持てるものが才能だと思っていたけれど
日本屈指の思想史家、丸山眞男曰く
”持たないもの、足りないものこそ才能”
だそうで、ええええ!?ってなったsachiakiです。
まぁ話には続きがあって
「持たない、足りない」って思うからこそ
そこに執着が生まれ、常人では考えられないほど
何十時間も練習したり、
反復することをし続けられるのだそうで、
普通なら飽きてしまうことが
諦められないからこそ才能になるのだ
ってことらしいです。
ちなみに今日はこの「才能」という言葉に2回も出会った日で
なんだか不思議な縁を勝手に感じていました。
ていうか、この勝手に感じ取ることってのが
人間にできる人生に対しての意義だと思うので
この手のものがたくさんあれば豊かなのだろうなと思います。
話を戻すと、1回目に「才能」についての話が出たのは
友達の展示に行った時の話で
アーティストってのはすごいね〜!って話を私が持ち出したら、
なにを言ってるんだあんたもじゃないかって話になって、
その後に自分がいかに持っていないか、
中途半端であるか、異邦人であるかという話になって
そんな時に
「いつも”さっちゃんは今なにをしてるの?”
ってなぜか私が聞かれるんだよ」
って言われて、なんだそりゃ〜って爆笑してたら
「どこへ行っても気にかけられるってのは才能だよ」
って言われまして、そうなのかぁってなってたんですよね。
いや、直接聞いてよって思うのもあるんだけど
話題に上がるってのはありがたい話でもあるなぁ
なんて思ったりもしました。
で、そんな話をした日だったというのに
その自分が知らないところで「持っている」話の後で
宮台真司さんと安藤裕子さんが対談するYoutubeを見ていた時に
安藤さんが持ち出された話がタイトルにもした
丸山眞男さんの話だったんです。
そしたらなんだから混乱してしまいまして
持っていないことが才能っていうけれど、
昼は持っていることが才能って話だったし
なんだろうこれは?ってなったのでした。
なんにしても才能ってやつは
自分では感知しにくいものであることには違いなさそうです。
ちなみに才能についての条件は
(1) 明確な目的
(2) 反復可能な形式化された練習
(3) 練習を反復する膨大な時間(およそ10万時間)
の3種類の条件が必要なのだそうです。
10万時間ってすごいね!
レタッチ、たしかに最初はなんで私が?って
フォトショップが苦手なのに〜って泣きながらやってきたことなので
そういった意味では10万時間っていうのは近しい数字だし
(なにせ15年以上、必要ないって言われても続けてる)
執着が生み出したものであることには違いないかもなぁ。
参考になるかわからないけれど
才能について、なんだかよくわかんね!
ってなった時の一つの捉え方になったら幸いですよ。
そんじゃまた。モイモイ。