ここのところ考えていることの一つに
人間に体は必要なのか?
というものがあるんだけど、
こういうのって多分話の順序とかを間違えると
とんでもないことになりそうなので
Twitterなんかではできないなぁ
なんてことを思っているsachiakiです。
以前「赤鬼ちゃんの哲学地獄」っていう
イベントを打ってトークをしていた時にも
似たような題材でトークをしたことがあるんですけれど、
その時は身体はどこまで拡張可能か?
ってテーマで話をしたんですよね。
で、そのあと「体は分割できるのか?」みたいな話で
現在分身ロボットというサービスを展開している
エンジニアの方と話をしたんですよね。
現在AIのチャットボットがインフラ的に人々の手に渡りつつあり
まさに黎明期を感じているところですが
テキストで会話をしているだけの現在から
ボイスがつき、そこへヴァーチャルスキンがくっついて
実在しない人間と会話ができる時代まで
もうあと一息となっています。
なんなら触感を研究している人や
嗅覚の研究している人たちのものが
点在から集約に転じて
それらしい感触や気配までくっついてくるのも
それほど遠くないのかもしれません。
そうなってくると逆に人間のボディとは
いったいどうなるんだろう?
という疑問がついてきます。
「攻殻機動隊」という全身義体の主人公が
脳さえもクラウドに移譲されていて
自分の存在がなんなのか悩むという
いわゆる「我思う、我あり」の
コギトの話になったものですが、
攻殻が1995年ならデカルトが「我思う〜」を
提唱したのが1600年台半ばだと思えば
なんて長いこと人間は自分というものの曖昧さに
悩まされているんだろうと呆れもします。
しかしまぁ自分の体を含めて
身体と心(もしくは魂)というものが
分つことのなかった時代から
今はもしかすると分けられる時代、
というよりも自分の声やテキストが
別の場所や時代に届くのなら、
やはり身体と心は分つことができる
と考える方が自然な気がするんだけど
では体をなくすというのはどういうことなんだ?
ってのを最近よく考えています。
もちろん指一本だって失いたくないけれど
片や子供時代から父のボランティアの関係上
よく出会った足のない人や手のない人
叔母は10代の頃に失明した人だったし
今は従兄弟が全身麻痺だと聞いていてるし
実母は認知症にかかってしまったばかりに
現在という時間軸では生きていなさそう。
こうなってくると「身体とはなんぞや?」
って疑問も湧いてくるってもんですわ。
とくに答えはないので今日はこの辺で。
スプラトゥーン3のビッグランが今週末あるので
その練習をしなくちゃなのです。
というわけでまた明日。モイモイ。