ってもんだけど、
天邪鬼の民間語源となったという
天探女(あめのさぐめ)について調べていたら
天照大神の拝命を8年も無視していた
天稚彦(あめのわかひこ :天若日子)のもとに
天からの使いである雉が使わされて
その天からの雉の声を翻訳した
天探女が「この雉は不吉だから射殺してしまうといい」
って進言し、その通りにした天稚彦が
射った矢が雉の体を通して
天の神たち(天照大神と高御産巣日神)のところに届いてしまい、
叛逆の意と受け取った二柱が
「天稚彦に邪心があるならばこの矢に当たるように」と
矢を投げ返したら天稚彦の胸に当たって死んでしまった。
これをもとにして、天探女は余計なことをいう
捻くれ者の意ってことで天邪鬼の語源となった
っていうんだけどさぁ……。
「天稚彦に邪心があるならばこの矢に当たるように」
という誓約がかかった矢で死んでるんだし、
天稚彦が悪いだけじゃねーの?
ってなったsachiakiです。
前置きが長い。
天探女はどういう経緯であれ
結果的に死ぬ=不吉であることを
見破ってたわけだから間違ってないし、
そもそもそんな雉が遣わされるぐらい
サボり続けてきた天稚彦がアカンやないかいと。
でもって、わざわざ「叛逆の意があるかどうか」とう
大事な話を聞き出すのに翻訳通さないとならない
ものを送りつけてくるんじゃないよ……という
天の二柱についても思うところがあります。
まぁこんなのは神話の話なので
伝承の伝わり方とかニュアンスで違うかもしれないし。
あと一般的に天から降りてきた指示を持っている雉を
「射殺してしまえ」という女神が怖いってのも
あるのかもしれない。
女神っていうか巫女っていう立場の時と
天から降りてきた神だったり
国(土地?)の神であったりと
そこでも解釈が色々とあるからね〜。
どこによって立つのかでもだいぶ受け取り方も違うだろうし、
それが時代を超えているならなおさらってことは
思うところであります。
とはいえ、私も相当な天邪鬼で
今はひねくれ度もマシになっているから
そんな大したことにはなっていないけれど、
子供時代なんかは「なんであんなことを言ってしまったんだろう」
なんてよく自分で自分で御せずにいて涙したものです。
言うつもりもなかった言葉、
するつもりもなかった行動、
自分の中でも引き裂かれんばかりの
反対の意思を持つ自分と
どうやったらうまく関われるのか
そればかりに気を取られたりもしてました。
本当は行きたいのに「行きたくない」と言ってしまったり
逆に行きたくないのに「喜んで」なんて言葉が出てしまったり。
どうやって直したかといえば
反対の言葉が出ていることを「本当は違う」って言えて
それをちゃんと受け止めてもらった時に
やっと直ったって感じでしょうか。
今でも天邪鬼なところは時々出ている気もするけれど
制御できないってほどではなく
強いて言うなら「どちらも本音」って
自分の中の矛盾を受け止められるようになった
という感じでしょうか。
「こうでなくてはならい」みたいなものから
離れることができると、どうもうまくいくみたいです。
というわけで
なんだかかわいそうな解釈をされている
神様がいるなあって話でした。
さて、そろそろ作業に戻らないとなので
この辺にて。モイモイ。