水曜日の定番として、サロン夜学をお昼に開いているsachiakiです。
最近は実存しているお店としてだけでなく、
オンラインカフェ(概念)というものを開いているのですが、
実存しているお店がわちゃわちゃしてくると
私がオンライン上のお客様とお話しするのが難しくなってしまうので
音声ファイルを作成して、ラジオ的にお楽しみくださいって形にしてみました。
今日作ったファイルで2個目だったのですが、
喋るテーマを「友情」というものにしていたんです。
これには割と最近私が宮台真司先生の記事を読んで
人間関係というものをキチンと築かないと空虚な人間となってしまい、
ロクなことをせんなぁという気持ちを込めて、
論語(/角川ソフィア文庫)の中より、
孔子曰く、益する者の三友あり。
損なうものの三友あり。
直なるを友とし、諒なるを友とし、多聞なるを友とするは、益するなり。
便辟なるを友とし、善柔なるを友とし、便佞なるを友とするは、損なうなり。
〜孔子先生の教え。自分にとって有益な三種の友がいる。
(逆に)有害となる三種の友がいる。
まっすぐな友、義理固い友、博識の友、これは有益である。
しかし、追従する友、裏表のある友、口先の巧みな友、これは有害である。
この話を取り上げてみました。
そして、この話をしている最中に、
そういや徒然草にも似たような話があったような…って思い出していたのですけれど、
昔の教養人って、必ず漢詩のことも知っていたそうなので
おそらくこの孔子の詩のこともご存知だったのだろうなぁとかなんとか。
ちなみに徒然草(第百十七段)の中では
よき友三つあり。
一つには、物くるる友。
二つには医師(くすし)。
三つには、知恵ある友。
とあり、よき友というのは「物をくれる友。医者。知恵者』となり、
物くれる物=金持ちと解釈して微笑ましく思っていたけれど、
与えてくれる人という拡大解釈をするなら、
なにかと機会をくれる人とかそういったものも含むのかな。
医者はいるとなにかと心強いものです。助かりますね。
そして最後にここでも知恵のある人をよい友達としているので、
いかに昔の人が知恵(情報や教養)を大切にしていたかが伺えるものです。
それは今もそうなんでしょうけどね。
徒然草の著者である兼好法師は
自分に欠けたものを持っている人を「知恵ある人」といったそうです。
これもまた含蓄あることよな…とため息が漏れてしまいます。
知恵を持っているだけでもなく、物知りなだけでなく、
自分が知っているものの他のことを知っている。
これはすごいことです。
私なんか小人・俗人なので、つい何もかも知っている気分になる時があるし、
自分よりもなにか足りなさそうな人を見かけた時に
自分の方が知っているような気になってしまうけれど、
例え生まれたばかりの子供でさえ
私の知らない世界を知っているわけですから
ものを知っていると一歩引いて受け止めなくてはなりません。
そんなこんなを話ししていましたが、
私の話の元ネタになった宮台真司先生の寄稿された記事はこちらにて掲載されています。
日刊スポーツに寄せられていたのか…と驚いてしまいましたけれど、ぜひご一読くださいな。
心が洗われる気持ちになりますよ。
社会学者の宮台真司さん 友達って何?/プロに聞く
てことで今日はこの辺にて。
そんじゃまた!モイモイ。
最近は実存しているお店としてだけでなく、
オンラインカフェ(概念)というものを開いているのですが、
実存しているお店がわちゃわちゃしてくると
私がオンライン上のお客様とお話しするのが難しくなってしまうので
音声ファイルを作成して、ラジオ的にお楽しみくださいって形にしてみました。
今日作ったファイルで2個目だったのですが、
喋るテーマを「友情」というものにしていたんです。
これには割と最近私が宮台真司先生の記事を読んで
人間関係というものをキチンと築かないと空虚な人間となってしまい、
ロクなことをせんなぁという気持ちを込めて、
論語(/角川ソフィア文庫)の中より、
孔子曰く、益する者の三友あり。
損なうものの三友あり。
直なるを友とし、諒なるを友とし、多聞なるを友とするは、益するなり。
便辟なるを友とし、善柔なるを友とし、便佞なるを友とするは、損なうなり。
〜孔子先生の教え。自分にとって有益な三種の友がいる。
(逆に)有害となる三種の友がいる。
まっすぐな友、義理固い友、博識の友、これは有益である。
しかし、追従する友、裏表のある友、口先の巧みな友、これは有害である。
この話を取り上げてみました。
そして、この話をしている最中に、
そういや徒然草にも似たような話があったような…って思い出していたのですけれど、
昔の教養人って、必ず漢詩のことも知っていたそうなので
おそらくこの孔子の詩のこともご存知だったのだろうなぁとかなんとか。
ちなみに徒然草(第百十七段)の中では
よき友三つあり。
一つには、物くるる友。
二つには医師(くすし)。
三つには、知恵ある友。
とあり、よき友というのは「物をくれる友。医者。知恵者』となり、
物くれる物=金持ちと解釈して微笑ましく思っていたけれど、
与えてくれる人という拡大解釈をするなら、
なにかと機会をくれる人とかそういったものも含むのかな。
医者はいるとなにかと心強いものです。助かりますね。
そして最後にここでも知恵のある人をよい友達としているので、
いかに昔の人が知恵(情報や教養)を大切にしていたかが伺えるものです。
それは今もそうなんでしょうけどね。
徒然草の著者である兼好法師は
自分に欠けたものを持っている人を「知恵ある人」といったそうです。
これもまた含蓄あることよな…とため息が漏れてしまいます。
知恵を持っているだけでもなく、物知りなだけでなく、
自分が知っているものの他のことを知っている。
これはすごいことです。
私なんか小人・俗人なので、つい何もかも知っている気分になる時があるし、
自分よりもなにか足りなさそうな人を見かけた時に
自分の方が知っているような気になってしまうけれど、
例え生まれたばかりの子供でさえ
私の知らない世界を知っているわけですから
ものを知っていると一歩引いて受け止めなくてはなりません。
そんなこんなを話ししていましたが、
私の話の元ネタになった宮台真司先生の寄稿された記事はこちらにて掲載されています。
日刊スポーツに寄せられていたのか…と驚いてしまいましたけれど、ぜひご一読くださいな。
心が洗われる気持ちになりますよ。
社会学者の宮台真司さん 友達って何?/プロに聞く
てことで今日はこの辺にて。
そんじゃまた!モイモイ。
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