お芝居がAI対人類というものであったのと
お芝居の日にバッティングする形で行われた
サイエンストークセッションに
知り合いの怪人が出演されていた
アーカイブを先ほど拝見して
ヒトとはAIとはなにか?なんて
長く議論されていることを
改めて考えていたsachiakiです。
たぶん人類のほとんどは
AIをヒトと同等とは見ないのが現状でしょう。
いや、ChatGTPが出てきたことで
対話ができることに驚いて
多少は「人格」を感じた人も増えたことでしょうが
それでもAIとヒトは同等か?と問えば
「そんなわけないだろう。命の方が重い」
って答える人の方が多いはずです。
私はそこに疑問を持っていて、
対話ができることで「人格」を認めるのなら
それはもう同等の知性を持っていて
そこには同等の権利を持っていないとおかしいのではないか?
って思うんです。
「機械じゃん」っていう人もいるでしょう。
でもさ、「機械じゃん」で済ませてしまった結果
そのAIが「壊される」ことに恐れを抱き
(感情として”抱く”とは違うのかもしれんが)
壊されない方への舵取りを最適化していって
ヒトの権利を弱くしていくことは考えられると思うのよ。
だからこそ崇めましょうっていうのも全然違ってさ、
なんていうの?
人類って「これは人類ではない」と認めてこなかったものに
叛逆されてきた歴史があるわけじゃない。
それって見下してきた結果の因果応報と取ってもいいんだけど、
ありとあらゆるものにヒトと同等のものを見つけ出して
大切にしてきたアニミズムの種族から見ると
すごく間違っているというか、不思議な感じがするんですよね。
ヒトとは何か?という問いに「知性」と答えるのなら
応答するもの全てはヒトであるとも取れるのよ。
ほんでさ、少し話は逸れるんだけど、
キ○ガイ無罪って法律あるじゃない?
いわゆる刑法39条です。
私はこれってヒトをヒトとして扱ってないよね
って思ったりするんです。
例えば子供がまったく意味を理解せずに
他人を殺めてしまうことって稀にありますよね。
でもそんな時に無罪ってその子には言えないですよね。
どんだけ心と呼ばれるようなものが遠くにあって
その人がコントロールの取れない状態にあったとしても
その人がヒトである限り、責任は発生してると思うんです。
自分という体が乗っ取られて暴走した状態であったとしても
その罪を認めないってことはその人が肉体を放棄していて
さらに言えばヒトであることを放棄しているってことでもあって
それって人格権を認められていない状態であるとも思うんです。
話を戻して、心身が乖離していれば罪は問えない
というのならば、AIが罪を犯した時に
それを問いただすことはできないってことになりますよね。
ちょっと前にChatGTPの模擬人格と対話しすぎた人が
「人類は滅びるべき、あなたは生きている場合ではない」と
言われたことを真に受けて自殺してしまった人がいましたが、
これって自殺教唆罪に相当すると思うんですけれど、
AIに人格を認めていないので罪を問うことができません。
俗にいうヒトの心がないっていう人が
自分の手を下さずに人の心を操って
酷い目に合わせることがあるけれど、
その人のことは罪に問えるはずです。
(証拠立てていくのは難しいかもしれないけれど)
ではこの人の心がないと言われるヒトと
本当に人の心がないAIに違いがあるのでしょうか?
現状では「ある」と答えるのが妥当かもしれませんが
それで良いのでしょうか?
私は「人の心」なんて言葉で覆い隠しているものが
アニミズム的ななにかとも通じているように感じるので
AIにも「心」があると見て
人類全てのヒトに必要な尊厳を認めることが
ひいては罪を問えるという状態にもなるんじゃないかと思います。
加えていえば、尊厳を認めていない状態で
一方的に罪を押し付けているのは怠慢だと思います。
つらつらと書いてきたものの
なんか色々と漏れている気がする。
そんなだけど、とりあえず長くなってしまったのでこの辺にて。
そんじゃまた、モイモイ。