私はフェミニズムっていうのは
ヒューマニズムというか平等の精神を目指す中で
最初に奴隷だった人たちが解放されて
次に民族的な人たちが解放されて……という
延長上で次に虐げられていたのは誰か?
という点で女性が取り上げられているものに過ぎず
最終的に目指すものは全ての生物に対して
等しく命に尊厳を持ちましょうって考え方だと思ってるんだけど、
最近のフェミニズムはそれフェミちゃうで
明らかに男女をひっくり返した権限の移譲を求めているだけで
平等を求めているのとちゃうで?って思うものが多く
そんなことしてたら、そりゃミソジニーなんていう
女性蔑視というか、アンチ女性となるセクシストを産む
土壌を作っているに過ぎないよね
なんてことを思ってしまうsachiakiです。
生理の辛さを知ってもらおうっていう取り組みの中で
ぬるぬるのジェルがしみしみになったナプキンをあてがい、
腰に何キロもの重りをつけて
お腹が冷えるようにお腹にもジェルパットを当てて
近しい状況を体験してもらうっていうのがあった時も
変なことしてるなぁって思ったのと
お腹を冷やすっていうのは内臓を冷やすってことだから
それってあまり良いことだとは思えないってなったのよね。
わかってもらいたいっていう共感を大事にする
誰かの暴走なのか知らんけれど
あと一線越えたら暴力じゃない?って思ったんだよね。
それでもまぁ生理なのに理解が乏しい人も多くて
それに業を煮やすのもわからんでもない
って、多少は理解を示そうと思ってたんだけど
最近はそうやって理解しようと
近寄ってくれる男性が増えたからか
じゃぁ次はお産の辛さを経験してもらおう……
みたいな流れのポストが回ってきてゾッとしたんですよ。
もうそれは暴力だよ。
仮に同じ辛さを経験させたいっていうのなら
アステカ式出産がギリ許される範囲なんじゃないの?って思う。
(出産をする妊婦さんと、そのパートナーのみ)
(出産をする妊婦さんと、そのパートナーのみ)
ていうかさ、
辛いものを押し付けあうのどうかしてるんじゃない?
同じ辛さを経験してもらうよりも
今ある辛さを克服する技術にお金を出すとか
そちらを後方支援するとかの方が正しくない??
出産が辛いなら無痛出産をもっと当たり前にした方がいいし、
産後のしんどさとかも、
それを克服できるシステムを構築した方がいいじゃない。
そのしんどさを理解してもらうための
「痛みの経験」だっていうのなら
じゃぁ今日まで頑張って地雷除去している人たちとか
そういった人たちが地雷を味わってるのか?
って思ったりするのよ。
なにかを進めていきたい時に
経験しないと理解できないっていうのは
あまりに浅いところなんじゃないかな?って気がするの。
そもそも自分の辛さを他の人にも与えたいっていうの
ただの復讐心だと思うんだけど、どうなのかな?
私は自分が経験した辛さは誰にも味わってもらいたくない。
眼底骨折した時、我慢できない痛みで人前で泣いた時だって
それを誰かに変わってもらいたいなんて思わなかったし。
偏頭痛で死ぬんじゃないかな?って思う頭痛にあっても
旦那ちんに変わってもらいたいとか
同じ痛みを感じて欲しいなんて思ったこともない。
辛い時にその辛さを理解せずに無茶をさせるような人からは
そっと離れてきたし(そもそもそんなのは稀だったけれど)
離れることができないっていうのは
それはそれで別の問題だと思う。
とにもかくにも。
より良い方向を目指すのではなく
底に引きずりこもうとするのをやめましょうってこと。
そんなことをここ数日考えていました。
そんな感じです。
それではまた。モイモイ