エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」
第25回 大学時代9
今回は大学3年の夏休みのお話。
大学3年の夏休みも「社会」の教員免許のための授業をとりました。
私の大学は,夏休みには,短期講座という授業もありました。
あまり短期講座はとる人はいないのですが,私の場合,通常の授業では授業をギリギリ限界まで入れていたので,
短期講座まで取らないと,「社会」の教員免許までは取れない状態だったのです。
私は大学3年は所属していた能楽部での部長(主幹)だったし,冬の発表会のための練習が大変だったから,
部活内で,必要以上に休んでおしゃべりしたりはしず,練習ばっかりしていました。(おかげで痩せましたが(笑))
他の子が,おしゃべりしていても,自分は練習をしていました。
部長である自分が遊んでいたら,後輩たちに示しがつかない,と。
ずっと前にお話しましたが高校で部長をやっていたときに,練習をしない部員たちを怒りまくったため,
部員たちの心が離れ,部活に来なくなってしまった苦い経験がありました。
その経験から,大学では,他の子がおしゃべりしていても,それを注意するのが怖く,できませんでした・・。
でも,まあ,それが舞台の発表という形では決して良い形で出たとは言えませんが,
あまりピリピリした雰囲気にならず,部員同士が仲良くなれた,とは思います。
卒業した今でも,そのときの部員さんたちは,後輩・先輩関係なしに仲が良いので。
それでは,大学3年の夏休みに話を戻します。
通常なら,部員同士のおしゃべりには加わらない私。
しかし,夏期集中講座に出ていた私は,遅刻する形で部活に。
そうしたら,部員たちが,何かのプリント(冊子)を広げてお話しているではありませんか?!
いつもなら,練習中なのでその輪には加わらないでしょうが,今回は違います。(無視して練習を黙々とするのは,感じが悪いので)
なので,「何してるの?」と聞いて,そのおしゃべりの輪に加わりました。
どうやら,他の大学の能楽部の方が,能楽のマンガを描いたそうで,
他大学と交流のある部員が部室に持ってきたようです。
そして,ある部員が
「うちらも,部で,能楽のマンガ描かない?」
と言いだしたのです。
そのとき,私はびっくりしました!
「え?マンガって素人が描けるものなの!」と。
当時の私は,コミケという存在を知らず,マンガというのは「プロ」を目指す人と「プロ」しか描けない,と思っていました。
普通,考えればそんなことはないはずなのに・・なぜか・・。
「マンガ絵を描けるのは,●●さんと萬火さんだから・・。」と突然私の名前が挙がりました。
「私はマンガの描き方がわからないぞ。
でも,部長の威厳を保つため(?)に,できない,とは言えない。」と心の中で思いました。
しかも,他の部員さんたちはそれで盛り上がっているし・・。
・・・ということで,部で能楽マンガをつくることに。
それで,私は初めて,「マンガの描き方」という本を買い,
プロットの作り方,キャラクター設定の方法,コマ割りの作り方,などを知りました。
・・結局,キャラクター設定だけで終了してしまい,当時はマンガ作成までは至りませんでしたが,
このことで,自分はマンガの描き方がわかり,卒業後に,趣味でマンガを描くようになったのです。
在学中に立ち消えとなった能楽マンガも自分だけで設定を多少変えて,卒業後に描きました。
(「能楽戦隊もの」で5人の能楽レンジャーがそれぞれ1~5番目物をベースとした特殊能力を持って戦うアクションマンガ。
第11話までは描き終わっていますが,それをネット上はで現在発表しておらず,友人に個人的に渡している形です。
その友人は,「はやく続きを」と言ってくれるほど,その作品を好きになってくれてありがたいです。)
左の絵は,そのマンガの表紙絵の1つです。
この大学3年の夏に,「マンガを描くことができる」ことを知らなければ,
現在のこのブログや,他のマンガブログは存在しなかったので,大きい出会いでした。
今回はここまで。
次回は,ついに,大学4年のお話です!
それまでは「学校の先生」になることしか頭になかった私が,一転して「塾講師」になろうとしたのか?!という
このテーマの一番大切な核心をつく内容です。
小5のいじめ,友人関係の不信感,「国語」でなく「社会」を愛したこと,能楽部によりマンガを描くことに目覚めたこと,
のすべてが終結する内容になっております。
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