社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第25回 マンガって素人でも描けるの?!

2013年08月24日 23時56分16秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第25回  大学時代9 

 

今回は大学3年の夏休みのお話

 

大学3年の夏休みも「社会」の教員免許のための授業をとりました。

私の大学は,夏休みには,短期講座という授業もありました。

あまり短期講座はとる人はいないのですが,私の場合,通常の授業では授業をギリギリ限界まで入れていたので,

短期講座まで取らないと,「社会」の教員免許までは取れない状態だったのです

 

 

私は大学3年は所属していた能楽部での部長(主幹)だったし,冬の発表会のための練習が大変だったから,

部活内で,必要以上に休んでおしゃべりしたりはしず,練習ばっかりしていました。(おかげで痩せましたが(笑))

他の子が,おしゃべりしていても,自分は練習をしていました。

部長である自分が遊んでいたら,後輩たちに示しがつかない,と。

 

ずっと前にお話しましたが高校で部長をやっていたときに,練習をしない部員たちを怒りまくったため,

部員たちの心が離れ,部活に来なくなってしまった苦い経験がありました。

その経験から,大学では,他の子がおしゃべりしていても,それを注意するのが怖く,できませんでした・・。

 

でも,まあ,それが舞台の発表という形では決して良い形で出たとは言えませんが,

あまりピリピリした雰囲気にならず,部員同士が仲良くなれた,とは思います。

卒業した今でも,そのときの部員さんたちは,後輩・先輩関係なしに仲が良いので。

 

 

 

それでは,大学3年の夏休みに話を戻します。

 

通常なら,部員同士のおしゃべりには加わらない私

しかし,夏期集中講座に出ていた私は,遅刻する形で部活に。

 

そうしたら,部員たちが,何かのプリント(冊子)を広げてお話しているではありませんか?!

 

いつもなら,練習中なのでその輪には加わらないでしょうが,今回は違います。(無視して練習を黙々とするのは,感じが悪いので)

なので,「何してるの?」と聞いて,そのおしゃべりの輪に加わりました

 

どうやら,他の大学の能楽部の方が,能楽のマンガを描いたそうで,

他大学と交流のある部員が部室に持ってきたようです。

 

そして,ある部員が

「うちらも,部で,能楽のマンガ描かない?」

と言いだしたのです。

 

そのとき,私はびっくりしました

 

「え?マンガって素人が描けるものなの!」と。

 

当時の私は,コミケという存在を知らず,マンガというのは「プロ」を目指す人と「プロ」しか描けない,と思っていました。

普通,考えればそんなことはないはずなのに・・なぜか・・。

 

マンガ絵を描けるのは,●●さんと萬火さんだから・・。」と突然私の名前が挙がりました。

 

私はマンガの描き方がわからないぞ。

 でも,部長の威厳を保つため(?)に,できない,とは言えない。」と心の中で思いました。

 

しかも,他の部員さんたちはそれで盛り上がっているし・・。

 

・・・ということで,部で能楽マンガをつくることに。

 

それで,私は初めて,「マンガの描き方」という本を買い,

プロットの作り方,キャラクター設定の方法,コマ割りの作り方,などを知りました。

 

・・結局,キャラクター設定だけで終了してしまい,当時はマンガ作成までは至りませんでしたが,

このことで,自分はマンガの描き方がわかり,卒業後に,趣味でマンガを描くようになったのです

在学中に立ち消えとなった能楽マンガも自分だけで設定を多少変えて,卒業後に描きました。

(「能楽戦隊もの」で5人の能楽レンジャーがそれぞれ1~5番目物をベースとした特殊能力を持って戦うアクションマンガ。

第11話までは描き終わっていますが,それをネット上はで現在発表しておらず,友人に個人的に渡している形です。

その友人は,「はやく続きを」と言ってくれるほど,その作品を好きになってくれてありがたいです。)

 左の絵は,そのマンガの表紙絵の1つです。

 

この大学3年の夏に,「マンガを描くことができる」ことを知らなければ,

現在のこのブログや,他のマンガブログは存在しなかったので,大きい出会いでした

 

今回はここまで。

 

次回は,ついに,大学4年のお話です!

 

それまでは「学校の先生」になることしか頭になかった私が,一転して「塾講師」になろうとしたのか?!という

このテーマの一番大切な核心をつく内容です。

小5のいじめ,友人関係の不信感,「国語」でなく「社会」を愛したこと,能楽部によりマンガを描くことに目覚めたこと,

のすべてが終結する内容になっております。

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第24回 大学3年の過酷スケジュール

2013年08月24日 23時55分57秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第24回  大学時代8 

 

 

前回は,

大学2年で,「国語」でなく「社会」の先生になることを決意し,

そして,私を必要としてくれる友人のために,何度も辞めようとしていた部活(能楽部)を続けることにした,というお話をしました。

 

この決意が,現在の私の形の基礎をつくってくれました

 

 

今日からは,大学3年のお話。今回は,大学3年の私のスケジュールについて。

 

 

 

大学の授業は,

自分の所属の学科である「日本文化学科」の卒業単位に加え,

教員免許のための単位,「国語」だけでなく「社会」の教員免許のための単位,の3つを取る形になり,

平日は朝から晩まで授業三昧でした。

(また,「学芸員」の資格のための授業もとっていました。

資格単位が他の必要な授業と被っているものが多かったので。また,「西洋美術史」が好きなので,博物館で働くことも夢でした。)

 

さらに,授業がない,水曜の午後と土曜の午後は,部活(能楽部)。

しかも,部長(主幹)。

さらに,舞囃子『小袖曾我』の主役(正式にはツレの五郎役),舞囃子『敦盛』の地頭(謡いというコーラスのような役目の長)を

するので,練習量も大変でした。普通は,どちらか1つなんですが,人数の関係でそうなりました。

しかも,『敦盛』は,先輩たちがほとんど発表していないものだったので,参考にできるビデオもなく,

しかもすっごく難しいし・・。

 

さらに,大学2年でバイトを辞めたのですが,大学3年になり,

どうしても「社会を教えたい」という想いがあり,塾講師のバイトを始めました。

 

大学2年までは塾関係のお仕事でしたが,生徒に授業をする仕事ではありませんでした。

大学の同級生たちは家庭教師や塾講師のバイトをしているのがすっごく羨ましかったです。

さらに,「国語でなく社会の先生になりたい」と思ったけれど,実際に「社会」の教員免許がとれるかは不明

すべての単位を一発合格しなければ,「社会」の教員免許はとれないほどのカツカツのスケジュールだったので。

「国語」はおそらくとれるので,もし,「先生」という職業に就く場合,「国語」しか選択肢がなくなってしまうことも・・・。

(教員採用試験で受かるかどうか?という問題もありますが・・。)

だから,学生の間だけでも「社会」を教える,という行為をしたかった

 

 

 

・・ということで,大学3~4年の私のスケジュールは

月 朝9時~夕方:大学 → 夜:塾講師のバイト

火 朝9時~夜:大学

水 朝9時~昼:大学(の授業) → 昼~夕方:部活 →夜:塾講師のバイト

木 朝9時~夕方:大学 → 夜:塾講師のバイト

金 朝9時~夕方:大学 → 夜:塾講師のバイト

土 午前中:塾講師のバイト → 昼~夕方:部活

日 フリー

 

という過酷スケジュール

行き帰りのバス・電車では爆睡,休み時間はポーっとして省エネモード,という形。

 

ただ,大学2年までは,時間に余裕はあったけど,月~土は大学,日曜はバイト,と

1日中休みがなかったので,それよりは精神的に楽でした。

 

日曜は,ほぼ寝てました。

 

この過酷スケジュールにより,それまで母と一緒に見ていたアメリカドラマを見ることができなくなりました

(「ER」はシーズン6までは最後まで見ましたが,7・8あたりは見たり見なかったりで,9からは見ない形に。

「Xファイル」もシーズン4くらいまで?)

それにより,アメリカドラマに関する熱もまったくなくなってしまいました。(当時)

 

とりあえず,毎日生きるのに必死でした

ご飯も食べる暇がなくて一食くらい抜いていることも多々あったし,

部活でよく動いたし,授業も毎日大変だったおかげで,大学3年間の1年間で10キロ痩せました。

(今は,その痩せた分10キロを自力で増やしてしまいましたが・・・。あー,あのころの私は痩せていた!まあまあキレイだった・・。)

 

大学3年の前期は,とにかく「社会科」の先生になりたい!の情熱で生きていた気がします

よく倒れなかった,と自分を褒めてやりたいです(笑)。

 

次回は,大学3年の夏休みにおきた,衝撃的(?)な出来事です。

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第23回 仕事より友人をとる!

2013年08月24日 23時54分42秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第23回  大学時代8 

 

前回のお話の続きです。

前回は,大学2年の秋ごろに,自分の専攻科目の「国語」でなく,

自分が心の底から愛していると気づいてしまった「社会」の教員免許を取得したい!と思うようになり,

「社会科」の教員免許を取る授業の時間の関係で,部活(能楽部)を辞めようと決意した,とお話しました。

 

しかし,部活で仲良くなった友人と,退部したことで疎遠になりたくありませんでした。

それで,退部をすると部員の皆さんに伝える前に,その友人にだけ,先にお話しようと思いました

 

これは,かなりの覚悟でした。

 

おそらく,その子に嫌われるな,と思っていました。

なぜなら,時期部長(主幹)に私は決まっていました。

その子が次期副部長(副主幹)に決まっていたので,私が辞めたら,その子が部長(主幹)になります。

 

また,次の学年(大学3年)のときの発表会で

その子と『小袖曽我』という演目(プログラム)での舞囃子で一緒に出演することも決まっていました。

(通常,能楽の舞囃子という舞台形式は,舞う人物は1人。なので,その一人が退部をしてしまったら,その演目自体の発表は

なくなることが多い。しかし,『小袖曽我』は,舞う人物は2人なので,1人欠けたら,代わりの人物を探さなければならない。

もし代わりの人物がいなければ,1人で舞うこともありますが・・。)

 

なので,私が退部したら,その子に多くの迷惑がかかるのがわかりきっていました。

 

部活のある水曜にの前の火曜日は,最後の授業がその子と一緒だったので,

一緒に帰ることができる唯一の機会でした。

 

それで,そのときに,退部することをその子に伝えました

なぜ退部するか?の理由を嘘をつかず真実だけ話し,また,部活を辞めてもずっと友達でいたい,と。

 

そのときは,その子は黙って私の話を聞いていました。

 

「怒っている様子はないけれど・・,やっぱり嫌われたかな?」と思いました。

でも,自分の選んだ道だから,しょうがない・・。

 

 

 

しかし,次の日,その子が「ちょっと2人だけでお話しよう!」と声をかけてきました。

 

私は,「怒られる」と思いました。

 

 しかし,全然違っていたのです! 

 

その子は,

辞めないでほしい。萬火さんがいなくなったら,楽しくないもん!」

と言ったのです。

そして,何度も何度も,「部活を辞めないでほしい」と言ってくれました。

 

 

私は感動しました。

 

この子は,私という存在を必要としてくれるんだ!」と。

 

 

私は,小5のときにいじめにあい,「私」という存在を全く認めてもらえませんでした。

小6や中学でできた友達も,その場かぎりのことが多く,

また,私が少しでも自分の意志を通そうとすると,友人を失うこともありました。

 

だから,私は,「自分の意志を友人に通す」ことをすることが怖く,

自分がしたいことを言うことはしませんでした。

 

「都合の良い子」でさえいれば,嫌われなくて済む,と。

 

しかし,その子は,私が自分の意志を通そうとしても,私を嫌いませんでした

しかも,んなワガママな私をひきとめようとしてくれているんだ!と。

 

こんな素晴らしい人を,私はどうして裏切ることができるだろうか?

 いやできるわけない

  私は,他の子のように日本文化も能楽も愛せない。(当時)

  でも,この子を愛してる(友人という意味)。

  だったら,この愛する友人のために,能楽部にいようではないか!」と。

 

 

実は,いままで話していませんでしたが当時していたバイトは,人間関係で苦労していました

男性に愛想がなかった私は,男性のバイトの同僚から嫌われていました。

ひどい人だと,私の悪口を生徒さんに言ってました。その生徒さんは私の担当クラスの子ではなかったので

直接的な問題はなかったですが・・。でも,それでかなり男性不信に陥り,今の旦那に出会うまで,

「私は絶対結婚しない!」と思っていましたが・・。

上司の方々(正社員の方)も,私のことはあまり期待していなかったようで,冷たい待遇でした。

 

 

この友人の優しい言葉で,私は目が覚めました。

 

就職に有利だという見た目だけで,そこにいるのはむなしいじゃないか!

 誰も私のことを必要としてないのに。

 それよりも,私という唯一無二の生き物を必要としてくれる人がいるところに行こう!」と。

 

 

それで,バイトを辞め,部活は続けることを決意

(バイトは,3月に次年度に続けるかどうか?の話が出るので,そこで辞めることにする形)

 

 

 

・・ということで,大学2年で,「国語」でなく「社会」の先生になることを決意,

そして,何度も辞めようとタイミングを逃していた部活(能楽部)を続けることになりました

 

この決意が,私のその後の運命を大きく変えていきます

それについては次回♪

 

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