新☆歴史模擬授業 第9回 市民革命2 イギリスー清教徒革命と名誉革命ー です。
詳細は前の記事の「ご注意」をご覧ください。
わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。
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「さて,今日は市民革命その2。前回は「市民革命とは何か?」というお話をしたね。
今日は,その「市民革命」の具体的な事件をお話します。」
「はい!」
「「市民革命」って,それまでの権力者が変わったものだったよね。たとえば,王様が権力者だったのに,
それが市民に権力が移った,と。」
「そういうことね!よく理解しているね。言葉だけ覚えるだけなら,社会の勉強の効果も半減しちゃうから,
しっかり理解して覚えようとする姿勢はすばらしいよ。(ただ、市民革命の定義は、わかりやすく説明しているため絶対的なものではありません。)
私たちは社会という科目を通して,どう生きていくか,を
学ぶのだから。」
「はーい!」
「さて,今日は,イギリスでおきた2つの市民革命を見ていきましょう。」
「2つもおきたんだ・・・。」
「5大市民革命で,イギリスが最初に市民革命のおこしたの。
・・・そういえば,前々回の復習。国王の力が強大だった政治の仕組みってさ・・。」
「あ,絶対王政!」
「そうね!で,絶対王政で習った国って?」
「イギリスとフランス!」
「そうだったよね!イギリスとフランスだったら,どちらが先に絶対王政の頂点に達したんだっけ?」
「イギリスだったね!」
「よく覚えているね!国ごとにちゃんと分けて覚えている証拠だね。」
「えへへ。」
「・・で,絶対王政が頂点をきわめちゃえば,そのあとは転落のみ・・。(絶対ではないけれど)」
「・・たしかに。」
「国王がしっかりとリーダーシップもとれていたり,力があるうちは誰も気にしないし,
たとえ不満を持っても,国王逆らえない。
しかし,国王にリーダーシップがなかったり,あまりに横暴すぎると反発してくる人たちが出てくる。」
「そうだよね。」
「イギリスでは,絶対王政を極めたエリザベス1世のあとに,イギリス国王を継いだ国王が,
国民に重い重税をかけたうえに,信仰の自由を認めないなどの政治を行ったの。
その国王は,別の地域からそこに来た王だったので,その国の価値観とかをうまく把握してなかったみたい。
それに,元々そこにいた人たちも反発する人もいただろうしね。」
「そうか・・。」
「しかも,王権神授説という,君主(国王)の権力は神から授けられたもので,人々に反抗する権利はない,という説も説いたの。」
「王様である俺様は神から力を与えられたものだ!ということなのね。」
「うわー横暴だ・・・。」
「それでも,国王が国民のためを考え政治をしていたら,みんなそれでも構わなかったんだろうけど,
その王・そして次をついだ王もそうではなかったから・・。
国王はしだいに議会と対立するようになった。」
「うわ。」
「さらに清教徒というプロテスタントのうちカルヴァン派の人々で主に構成されている議会派,
と国王派に分裂して,
長い間内乱がおこります。」
「国王派というのは,あくまで国王を擁護し,それまでの政治形態を維持しようという派閥だよね,漢字から見て。」
「そういうこと!えらいぞ!ただ単に,暗号のようにコクオウハと覚えないで,考える姿勢は!」
「えへへ。」
「ということは,議会派は,議会を大切にする派。議会っていうのはみんなで話し合って決める,
・・ということなので,民主主義に近いのかな?」
「そういうこと!よく考えているわね!」
「えへへ。」
「そして,1649年に,当時の国王が議会派に処刑されてしまいます。」
「処刑・・か・・過激な・・。」
「そして,議会を中心とする共和政治(簡単に言えば民主主義の政治)が始まります。
この事件を清教徒革命(ピューリタン革命)といいます。」
「清教徒の議会派が革命をおこす中心となったから,清教徒革命というのね。」
「そういうことね!」
「これで,民主主義完成だね!ばんざ・・,あれ?でも,2回イギリスで革命が・・と言ってたよね?
これでもう解決したんじゃ・・。」
「よいところに気がついたね。
それまで長い間,イギリスには国王というトップがいたのに,突然いなくなってしまった。
革命前までは,国王さえいなくなれば平和で良い世の中ができる!と思っていた人も多かったんだろうけど,
実際にはそうはいかない。
だってさ,これからは誰に従って政治をしていけばいいの?」
「そりゃ,みんなで議会で話合って・・。」
「そう,もちろんそう。でも,みんなで話し合っていたら,たいがい意見って対立したりしない?
人はそれぞれ違った立場や価値観で生きているんだから。」
「たしかに・・・,家でもTVのチャンネル争いをしたり,学校でクラスの出し物とか決めるときもすぐ決まらないもん。」
「だよね。しかし,1人,最終的にまとめる人がいたら,なんとかなるよね。」
「あ,たしかに。学校だと先生や学級委員長,家なら親とか・・。」
「そうそう。だから,清教徒革命がおこったあとに,だれかまとめる人が必要だったのよ。
そのまとめる人がだんだん権力を握っていって,それが悪い方向にいくと独裁者になってしまってね。
その権力者が,クロムウェルという人物。」
「ほえー。」
「権力者になりまとめるだけならいいんだけど,オレの言うこと聞かなかったらどうなるかわかってるだろうな!
という独裁を始めてしまうと,国民も反発してしまうでしょ。」
「そうだよね。」
「それで,クロムウェルの死後,結局,イギリスは王政に戻ります。
フランスに亡命していた,清教徒革命で処刑された国王の息子を呼び戻す形で。」
「えーじゃあ,清教徒革命の意味がなくなっちゃうじゃん!」
「当時もそう思う人がいたんだよね。それでも,国王が議会を大切にしてくれたら,まあ良かった。
しかし,またしても国王は,議会を無視したりと,先代と同じようなことをした。
そしてその国王の息子も同様に・・。」
「あ,それで,また革命がおこる!」
「そういうこと。」
「でも,また国王殺して,議会のみになったら,権力者が現れ独裁政治・・・そしてまた別の国王を呼んで・・,
ということをい繰り返すんじゃ・・。」
「良いところに気がついたね!そうなんだよね,同じことの繰り返しをしていたら,いつまでたっても,
真の民主主義は完成しない。
そこでね・・,横暴な国王は追い出そう,そして,議会を大切にする別の国王を
招こう!ということになったの。」
「あ,そうすれば,国王がいるから,前のように独裁者が現れる可能性も減るし,議会そのものは
大切にされるから,一石二鳥だね!」
「国王はいても,議会が中心に政治をすることには変わりないんだ!」
「今の日本みたい。天皇は象徴で日本の代表として存在するけど,議会(国会)が実際には政治を動かして
いくってことだね。」
「簡単に言えばそうね。(厳密に言うと,違う点はあります。)」
1688年,国王を追放した議会は,オランダから新しい国王を迎えます。
そして,新しい国王に,議会を重視し,
国民の自由の権利を守る約束をさせました。この約束のことを,権利の章典と言います。
これ以後,権利の章典はイギリスの政治の基本とされていきます。」
「ほえー。」
「この,革命のことを名誉革命と言います。」
「なんで名誉?」
「清教徒革命と違い,血を流さない,理想的な革命だったからかな?ほら,国王を殺さず,追い出しただけでしょ。」」
「あ,そっか。」
「このように,1649年に清教徒革命,1688年に名誉革命をおこしたイギリスはその後,
議会で多数を占める政党から首相が選ばれて,内閣をつくるようになり,世界初の議会政治が成立しました。」
「ほえ?」
「政治形態って言葉難しいよね。詳しくは中3の公民や高校の現代社会などで習うので,それまで待ってね。
今,簡単に言ってしまうと,国の一番大切な決まり・方針を議会で決めていく形が確定した,と思えば良いよ。」
「はい。」
「では,今日はここまで。次回は,アメリカの革命(アメリカ独立戦争)を行いますね。」
「はい!」
「では,起立・礼!」
「ありがとうございました!」
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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
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不快な気持ちになった方には申し訳ありません。
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