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歴史模擬授業(第26回 大正時代 第一次世界大戦後)②-5 国際連盟

2010年12月26日 11時14分15秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業26回 大正時代です。

詳細は12月23日の記事①をご覧ください。

大正時代は、外国の歴史も入り、内容がたいへん濃いので、

8つに分けていきたいと思います。

1:第一次世界大戦①(全体の動き)

2: 第一次世界大戦②(ロシアの動きと社会主義とは何か)

3:第一次世界大戦③(日本の動き・戦争直後のアジア)

4:第一次世界大戦の後①(全体の動き)

5:第一次世界大戦の後②(日本と世界の関係)

6:日本国内の話①(大正デモクラシー)

7:日本国内の話②(普通選挙制の確立)

8:日本国内の話③(大正時代の文化)

となります。

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

また私は平和主義で、この時期の日本の行為を良いものだとは思っておりません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

今回は、4の第一次世界大戦後 国際連盟 をみていきます。

ーーーーーーーーーーーー

 

「では、今回は第一次世界大戦後の世界の状況をみていきましょう。」

「はい。」

「第一次世界大戦で、戦争はいけないないものだ、と痛感したヨーロッパの人々。

 

 そこで、アメリカ大統領ウィルソンの提案で、世界最初の平和を守る国際的な組織である

 国際連盟が1920年に誕生しました。」

「それまで平和のための世界規模の組織はなかったんだ・・。」

国際連盟は、スイスジュネーブに置かれました。

スイスは第一次世界大戦で中立を守り、

戦争に参加しなかった、という平和の象徴の国でもあったのです。」

「そうだったんだ。」

「日本も、国際連盟に加盟して、

 常任理事国という国際連盟の中心を担う国の一員として参加しました。

また、新渡戸稲造(にとべいなぞう)が国際連盟の事務局次長として活躍しました。

「あれ、新渡戸稲造って、明治時代の文化のときに出てきたよね。

たしか、クラークさんに教えを受けた生徒さんで・・。

そこで、大正時代にでてくるって先生が言っていたのをおぼえてたけど、

まさかここで登場するとは!」

「クラークさんお教えの「少年よ、大志を抱け」をまさに実行した人だったんだね。」

「そうなのよね♪ちなみに、旧五千円札に新渡戸稲造は描かれていたのよ。」

「え?そうなの?!今度、古いお札コレクションから抜きだして見てみよう!」

「お札コレクション?!すげー!」

 

「さて、これで、二度と、世界規模のおそろしい戦争はおこらないと思っていた。

しかし、国際連盟があるにもかかわらず、数十年後、第二次世界大戦はおこってしまう。

それはなぜかというと、この国際連盟には大きく分けて2つ点で問題点があったから。」

「問題点?」

「1つは、(軍事力が強い大国のうち)ある3つが国際連盟に

参加しなかった(できなかった)の。 そこはどこかな?想像がつかないかな?」

「え?」

「1つは、敗戦国。一番、イギリスやフランスとも対立してて、負けた国。」

「あ、ドイツ!」

「そう、1つはドイツ敗戦国のため不参加。(のちにドイツは参加します)」

「ほえー。でも、それじゃあ、負けた国が国連に入れないんだったら、その国はますます孤立しちゃううじゃん!

「あと、この国際連盟は、アメリカやイギリスなどの戦勝国が中心になってつくっている。

 これらの国は資本主義。ということは・・。」

「あ、社会主義の国は入れない(入らない)。)

(社会主義そのものが悪いものだ、と言っているわけではありません。)」

「そういうこと。」

「ということは、ソ連(ロシア)も不参加なんだ。」

「そうそう。で、あと1つは、「え?なんで?言い出しっぺなのに・・。」という国。」

「国際連盟をつくろうと言ったウィルソンはアメリカの大統領だから

・・不参加したのはアメリカ?」

「そう、アメリカ。」

「えーなんで?!」

「大統領自身は、国際連盟に参加する気だったんだけど、アメリカの議会が反対したの。

 公民(政治国際)を習うとわかるけど、行政権(アメリカの場合は大統領)と立法権(議会)は

 密接に関係していて、議会が承認しなきゃ条約とかも成り立たなかったでしょ。

(わかりやすく言うために説明したため、国によって多少の違いはあるかもしれません)」

「そっか。」

「ということで、アメリカ・ドイツ・ソ連が不参加でした。」

「あと1つの問題点は?」

「それはね、国際連盟は武力制裁(ぶりょくせいさい)ができなかったの。」

「ぶりょうくせいさい?」

「今回の場合、戦争をしようとしている国がいたときに、言うことをきなかかったら、

「戦争はするな!」と言って国連が武力をもって、つまりその国を攻撃して、

戦争をやめさせようとすることを、武力制裁というの。」

「えー、でも、それじゃあ、国連が戦争をしているように見えるんだけど・・。」

「うん、だから、何事も武力で解決してはならない、それこそ平和だ、と当時の人々も考え、

 もし戦争をしようとする国があったら、話し合いで解決しよう、と思ったから、

武力制裁ができないようにしたの。」

「そっかあ。」

「でも、言うこと聞かない国だって出てくるでしょ。

それで、結局第二次世界大戦を止められなかった。

なので、第二次世界大戦の悲劇をおこすまいとしてできた、

今の国際連合は武力制裁をもっています。」

「そうなんだ。」

「国際連合については、公民(小学生だと政治国際)で習うのでお楽しみに。」

「はい。」

 

 

「このあと、世界の大国は国際平和を願う一方で、軍備拡張にも努めていきました。

 しかし、だんだんと財政が苦しくなった。それで、平和と軍備縮小を求める声が高まり、

 軍縮会議を行いました。1921年のワシントン軍縮会議

1930年のロンドン軍縮会議など。

ワシントン軍縮会議では、アメリカ・イギリス・日本などの戦艦を制限するという内容の条約も結ばれました。 

また、このころ(1922年に)、日英同盟は廃止されました。」

「え?なんで廃止したの?」

「第一次世界大戦で、日本は日英同盟を理由にして、中国に進出したでしょ。

 だから、イギリス側からしたら、もう利用されてたまるか、ということになった。

 また、日本の中国進出によりアメリカと日本が対立するようになったので、

アメリカとも仲が良いイギリスと、日本との同盟が難しくなったりしてね・・。」

「うーん、日本の自業自得といえば自業自得なのかな・・。」

「日英同盟もなくなったから、日本はだんだんと世界から外れていくことになる。」

「うーん。」

「以上が世界の動きね。

第一次世界大戦後の世界は平和に向けて動いていく姿が垣間見れる時期でした。

ではでは、次は、第一次世界大戦後の日本の動きをみていきましょう。」

「はい。」

「ではではおわります。起立、礼!」

ーーー

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

また私は平和主義で、この時期の日本の行為を良いものだとは思っておりません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 



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