新☆歴史模擬授業第7回 「絶対王政」です。詳細は,この前の記事,「ご注意」をご覧ください。
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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。
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キンコーンカンコーン
「さて,今日から16~19世紀のヨーロッパの歴史を行います。
この時期は,ヨーロッパの激動の時代で,政治的・経済的に大きな変化をもたらし,
全世界を巻き込み,現在の歴史まで続くという重要な時代です。」
「そんなに大切な時代なんだ。」
「うん。・・ということで,これからテーマ別に何回かに分けてお話します。
テーマ別・国別に話すから,多少,時代が前後することがあるんだけど,
まずはテーマ別・国別に理解してもらって,
そのあとに,時代別に頭で並び変えてくれればかまわないわ。」
「はーい。」
「理解は一度にするものでなく,段階を組んで理解していくと良いもんね!」
「そうそう!」
「さて,16~19世紀ですが,
絶対王政・5大市民革命・帝国主義,という3つのテーマに分けていきます。
今日は絶対王政ね。」
「はい!」
「さて,では,ちょっと復習をば。前回までに,十字軍・大航海時代・宗教改革・ルネサンスについて
お話したよね。」
「うん。」
「十字軍までは,キリスト教&教皇中心で自給自足の生活をしていた西ヨーロッパ世界。
それが十字軍で教皇の力が衰えてきて,かわりに国王たちが力をつけてきた。
また十字軍により,遠くの世界があることを知り,貿易もさかんになっていった。」
「そうだったね。」
「そして,その貿易をさらに拡大し,それまで彼らの知らなかった世界とも貿易をするように
なったのが大航海時代。」
「アジアやアメリカ大陸とヨーロッパの人々が交流するようになったんだよね。」
「そうそう。」
「また,ほぼ同時期にキリスト教の構造にも変化があったね。」
「宗教改革ね。」
「それまでは教皇を頂点とする教会中心のキリスト教の宗派(カトリック)が主流だったけれど,
宗教改革により,聖書中心など,教皇中心の教会以外のものに重きを置くキリスト教の宗派(プロテスタント)が
うまれたんだったね。」
「はい!」
「このように,西ヨーロッパをまとめていた教皇が今までのように西ヨーロッパのリーダーにたてなくなったし,
盛んになっていた貿易運営には莫大なお金もいるし。
そこで,教皇にかわる,権力者が登場するの。それが,国王。」
「国王!」
「教皇がヨーロッパのトップだったときでも,
フランス・イギリスなどの国というまとまりはそれぞれあったんだけど,
割と曖昧(あいまい)だったったの。
うちらはこの地域に住んでるけど,従うべきは地域の長(諸侯・領主)で,一番のトップは教皇さま,という感じ。
しかし,だんだんと,国ごとにまとまりかけてきて,国王を頂点とする政治する国が多くなったの。
(ドイツ・イタリアなどは都市ごとにまとまり政治をする,など例外はありました。)」
「それって,イメージしやすい。国ごとにそれぞれ国王がいて,その人が政治するって形態。
私たちが思い浮かべる,昔のヨーロッパの国って感じ。」
「よく気がついたね!そうなんだよね。
今のように国ごとに政治するのが当たり前になってきたのがこの時代。」
「ほえー。」
「国王が中心となって政治をし始める。そうしたら次第に国王の力が強くなって,
それまでは力のあった封建領主(地方のトップたち)を,国王の臣下の貴族として従えるようになってきた。
そして,有力者で話し合って政治方針をきめる形態つまり議会より国王が強くなり,
国王が政治の方針をほぼすべて決めてしまえるような形態がうまれたの。
このような国王中心の強力な政治の仕組みを絶対王政と言います。」
「王様の政治が絶対的な力だから,絶対王政と言うのね!」
「そうそう!漢字で意味を考えるのは良いことだよ。
下に簡単な図を載せて見たので参考にしてね。」
「このような絶対王政の形態を持った代表的な国にイギリスとフランスがあります。」
「ほえー。」
「まずは,イギリス。
イギリスは16世紀に宗教改革を行いました。
・・といっても,前々回習った,ルターやカルバン(カルヴァン)の宗教改革とは少し毛色は違います。(カルヴァン主義寄りの宗教改革ではありますが・・)」
「宗教改革って,ルターやカルバンだけではないんだね。」
「イギリスはイギリス独自のプロテスタントの教会制度を整えるの。」
「ほえ?」
「教会ってさ,教皇が中心だったでしょ。でも,イギリスの教会は違うの。トップはイギリス国王。」
「えええ!」
「つまり,イギリスって政治的にも宗教的にも国民のトップは国王に,という形になるってこと!」
「簡単に言うとそうね。」
「精神的にも実質的にも国王が中心になるんだ。」
「つまり,そうすれば,
国王中心の強力な政治の仕組みである絶対王政がイギリスで行われるのは分かる気がするな。」
「そういうことね。
イギリスは宗教改革を経て,絶対王政の政治がおこなわれるようになります。
イギリスの絶対王政が絶頂期であるときの王は,エリザベス1世。女王です。
エリザベス1世はよく入試で出るので,要チェックね!(下のイラストは私が描いたエリザベス1世の
イメージ画です。)」
「はい!」
「女の王様なんだ!」
「国王は,議会を無視して,大商人と結んで,海外への進出をはかるようになります。
当時は,大航海時代で富を得たスペインが,アジアやアメリカへの海外貿易の中心で,
スペインの海軍(艦隊)はとても強かった。無敵艦隊と呼ばれるほど。
イギリスは,ほとんど海外進出できていない状態だったのです。」
「そうだったんだ。」
「それがエリザベス一世のとき,その無敵だと思われていたスペイン艦隊をイギリスが打ち破ったの!」
「ほえー!それはすごい!」
「それにより,イギリスは海上貿易通路を確保し,富を得ていくことになるのね。」
「ほえー。」
「では,次はフランス。
フランスはイギリスより遅れ,17~18世紀に絶対王政の時代を迎えます。
フランスは国内の宗教対立を抑え,国王が役人の組織を固め,軍隊を強化させて絶対王政を成立。
フランスの絶対王政の絶頂期の王様はルイ14世。
ルイ14世がつくり,絶対王政の象徴の建物に,パリ郊外にあるヴェルサイユ宮殿があります。」
「ヴェルサイユ宮殿・・聞いたことがあるよ!」
「私はヴェルサイユ宮殿に実際に行ったことがあるんだけど,到底1日ではまわれないほどの大きさで。
しかも,1つ1つの部屋が豪華絢爛(ごうかけんらん)で,これは,国王に絶対的な力がなかったら,
こんな立派なものは作れんだろうな~と実感したよ。写真はそのときの写真ね。」
「一度行ってみたい!」
「ヴェルサイユは行って損はないわ!いつか行けるといいね。」
「はい!」
「絶対王政の絶頂期を迎えたイギリス・フランス。
絶頂期があるということは,それをすぎると,あとはそれに陰りが出てくる。
イギリスやフランスは,絶対王政の絶頂期のあと,一大転機を迎えます。
また,その下地にはルネサンスの下地にあった「人間らしさ」や「古代ローマ・ギリシャの民主主義」が
関係もしていきます。
ではでは,次回は市民革命を行いますね。」
「はい!」
「ではでは今日はここまで,起立!礼!」
「ありがとうございました!」
キンコーンカンコーン
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引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。
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