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歴史模擬授業(第25回 明治の産業・文化)②-1  

2010年12月20日 11時04分47秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第25回。明治の産業・文化です。詳細は、前の記事の①をご覧いただくようお願いいたします。

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「さて、今日は明治時代の最後を行いましょう。

明治時代の全体の動きは前回でほとんど終わっています。

今回は、前回までの内容を思い出しながら、あらたに産業・文化をしていきます。」

「産業・文化は時代の社会背景を映す鏡だから、復習するにももってこいの内容だね。」

「うん。そうだね。そう言ってもらえると私もうれしいわ。ではでは始めます。

明治時代というのは、

江戸時代に開国し、ヨーロッパの政治体制・文化が入ってきて、

さらに新政府(明治政府)になってからは、

ヨーロッパの政治形態・技術を学ぶのに必死だった時代だったね。」

「うん、そうだったね。政治分野ではどんどんヨーロッパのような民主主義になっていったね。」

「もちろん、文化だってヨーロッパ風(洋風)になる。

ヨーロッパ風の髪形に服装、建物、食事、生活形態に。

たとえば、男の人は江戸時代の髪形であったちょんまげを切って、現代のような髪形になる。

服装も洋装になる。女性はドレスを着たりね。(右の絵参考。あくまで参考で。)

また、建物もレンガ造りの洋館がつくられたり、ガス灯もついたり。

郵便制度も、前島密(まえじまひそか)によってつくられた。」

「あ、前島密って一円切手の人だ。

私、切手を集めるのが趣味なので、知ってるよ!」

「楽しそうな趣味だね。切手って見ててカラフルで良いよね!」

「えへへ。」

「あと、電信・電話も設けられたし、鉄道だって敷かれた。

最初の鉄道は、東京の新橋から、神奈川の横浜まで、ね。

暦も欧米が使っていた太陽暦、つまり今、私たちが使っている暦が使われるように

なった。

 

このように、明治になって欧米の文化を盛んに取りいれ、人々の生活の様子が

大きく、変化したことを文明開化と呼びます。

時々、「開化」の「化」を「花」と間違える人がいるので気をつけて。」

「はい。」

「ほえー。いろいろと変わったんだね。」

「また、外国人の学者や技師も日本に招かれ、色々なことを教えてくれたりしたの。

このとき日本に来た有名な外国人に、

札幌農学校(北海道大学の前身)に招かれたクラークというアメリカ人がいます。

札幌農学校でクラークはキリスト教信仰に基づく授業をして、

内村鑑三新渡戸稲造(大正時代に

登場します。)などの学生に深い感動を与えたそうで。

クラークが言ったとされる有名な言葉に、

少年よ大志をいだけ」というものがあります。

彼の言葉どおり、内村鑑三や新渡戸稲造はそののち世の中に大きく羽ばたいていきます。

たとえば、内村鑑三は、キリスト教の立場から日露戦争に反対したりね。」

「ほえー。やっぱり教育ってすごく大切なんだね。」

「うん。そうだね。教育によって、人々はもっと大きくなれる、なりたい自分になれると私は思う。

また、他にも、日本にまねかれた外国人に、大森貝塚を発見したモースなどもいます。」

「あ、縄文時代で習ったあのモースさん!」

「うん。そう、あのモースさん。」

「ほえー。」

 

「あと、学問の大切さを説いた人物もいました。それが、福沢諭吉(ふくざわゆきち)。」

「あ、一万円札の人!」

「そうだね、一万円札の肖像画に描かれている人だね。

福沢諭吉は、身分によって職業や学ぶことが違っていた江戸時代とは違い、

これからは、どの人間も同じように勉強しよう、と言います。

それはなぜかというと、それが人間の平等につながるから。」

「え?え?なぜ勉強と平等がつながるの?」

「勉強をしないということは、何も世の中について知らないということ。

そしたら、もし自分が何かを行動したくても動けない。つく職業だって限られるでしょ。

たとえば、計算の仕方を学ばなくて、どうやってお金を稼げる?

歴史や政治のことを知らなくて、どうやって政治に参加できる?

 

つまり、勉強をする機会は誰にでも平等に与えられなきゃいけないし、

勉強をし、どんな身分の人でもやる気さえあれば、どんなものにでもなれることで

真の平等が生まれる、ということですよ。」

「うーん、むずかしいけど・・・なんとなくわかる。」

「今、私たちが習っている内容も将来何の役にたつんだろう、と疑問に思うことってあるでしょ。

でも、嫌々ながら学んで身につけていくことで、将来の幅が広がる。

たとえば私の場合、5教科全部、嫌々ながら勉強して、

同じぐらいの点数・順位・偏差値をとるようにしていたから

家庭教師をしている際に5教科すべて教えられる。

おかげで仕事の幅が広がったのよね。

大学時代に嫌々ながら日本文化を学んでいたから、

今、文化史を説明するのが楽なんだよね。もし日本文化を学ぶのを拒否していたら、

文化史を授業で説明するときに、教科書読めばわかる、といって逃げた授業をしていたかもしれない。」

「ほえー。嫌々でも勉強することは、後々良いこともあるんだね。」

「うん。そういうこと。あああ、また話がそれてごめんね。つい、勉強のことだったもんで・・。

 

福沢諭吉は、人間の平等と学問の大切さを、「学問のすゝめ(がくもんのすすめ)」という本で説きます。

「学問のすゝめ」は、「天は人の上に人をつくらず、人の下にひとをつくらず といへり」という

書き出しで書かれています。」

「つまり、人には上とか下とかなしに、皆平等ってことね。」

「うん!そういうこと。よくわかったね!すごいぞ!」

「えへへー。」

「また、民間だけでなく、政府も教育の必要性を考え、

新しい学校の制度である学制というのをつくります。

学制によって、中学校・小学校などが全国に設置されたの。

小学校教育の普及させて、男女が等しく学ぶという国民全員が教育を受けることを目指しました。

(完全に男女平等というわけにはいきませんが)

また、専門の教育にも力注ぎ、東京大学を設立したりもしました。」

「あ、あの東大!」

「うん、 あの東大。東大は今でも国立でしょ。もともと国がつくった教育機関だからね。」

「ほえー。」

「また民間でも多くの私立の学校が設立されます。

「学問のすすめ」を書いた福沢諭吉は慶應義塾(けいおうぎじゅく)、

立憲改進党をつくった大隈重信は東京専門学校(現在の早稲田大)を。」

「あ、この前習った大隈重信も出てきた!」

「あと、新島襄(にいじまじょう)が同志社、津田梅子が(のちの)津田塾をつくりました。」

「聞いたことがある学校の名前ばかりだ。」

「この学校は、古く歴史がある伝統がある学校だったんだね。」

「そうね。大学の歴史を調べるのも面白いわよ。」

「へー。今度、調べてもみようかな。」

 

「また、医学(西洋医学)の分野も日本に入り、研究者が現れます。

有名な研究者は3人、

破傷風血清療法(はしょうふうけっせいりょうほう:

傷から体内に入り、高熱を発し、重症だと1日いないに死亡するという菌である破傷風菌を

血清療法という方法で防ぐ、というもの。医学には私が詳しくないので、もし細かい点が異なっていたら申し訳ありません。)

を発見した北里柴三郎

赤痢菌(せきりきん:赤痢という、腹部の痛み、血便を伴う病気の原因の菌)を発見した志賀潔(しがきよし)。

また、黄熱病の研究をし、ガーナという国で亡くなった野口英世(のぐちひでお)。」

「野口英世って、千円札の人だ!」

「今のお札って、明治時代の人が多いね♪」

「このように、病気の原因が、菌だということや対策がわかるようになった明治時代って私は好きよ!

たとえば、それまでは妖怪の仕業だとか神の天罰だと言われていたことが、

そうでないことがわかったのって、かなり救われるもの。」

「そうだよね。これで多くの人が救われるもんね。」

「そうそう。」

「あと、文学の世界も西洋風になります。

小説という形態が、文学の主流になります。

明治に小説という言葉が生まれます。

小説には、

人間はどう生きるべきか、とか世の中はどうあるべきか、現代の世の中の問題点を浮き彫りにする、

など、世の中に対する深いメッセージが込められています。

 明治時代の有名な小説家には、

森鷗外(もりおうがい)や、夏目漱石(なつめそうせき)がいます。

彼らは、簡単に言えば、超インテリ。二人とも海外留学しちゃうからね。

二人はライバルだったそうです。

私の勝手なまとめですが、鷗外は医学系、漱石は文科系の頭の良い文章を書きます。

(文章の話が医学の話とかではなく、あくまで頭の構造とか価値観とかのことです)

どちらも、自分たちはどう社会に貢献すべきか、とか、

世の中の常識をここに当てはめると成り立たたないではないか!という話を書いたりします。

森鷗外の代表作は、「舞姫」「高瀬舟」。この作品は高校の現代文でどちらかは習うのでお楽しみに。

私は森鴎外の小説が一番好きなので、おすすめだよ!

ただ、文章の書き方が昔のままなので(文語体なので)小学生や中学生には難しいかも?

だから高校でお楽しみに!

夏目漱石の代表作は「吾輩は猫である」「坊っちゃん」です。

夏目漱石は、内容はむずかしいけど読みやすいよ。夏目漱石の作品も高校で習うのでお楽しみに!」

「はーい。高校の現代文って、社会とリンクしているものが多いよね♪」

「また、島崎藤村(しまざきとうそん)という人物もいます。

彼の作風は途中でかわったりするので、一言ではまとめづらいんだけど、

私なりに勝手にまとめると、「リベラル(平等)」を小説で追い続けた人だと思います。

有名な作品に「破戒」「夜明け前」など。また詩集に「若菜集」があります。

古い歌謡などを聞くと、島崎藤村が作詞というものもある。彼の詩はとてもロマンあふれて美しいです。」

「ほえー。」

「さて、あと、歌集で有名な女流歌人が、入試で最も出ます

その歌人の名は、与謝野晶子(よさのあきこ)。

彼女は、青春のさなかにある女性の姿を賛美し、

恋をロマンチックにうたった「みだれ髪」などを書きます。

また、彼女は戦争を反対する歌も歌ったことで有名です。」

「明治時代は日清・日露戦争など戦争をよくしていた時代だもんね。」

与謝野晶子は、日露戦争に行った弟を心配してうたった

「君死にたまふことなかれ(君死にたもうことなかれ)」

という作品を書きます。」

「ほえー。文学を通して戦争批判したんだね。」

「当時、女性の地位は低い。だって選挙権もないでしょ。」

「そういえば、衆議院の選挙権は、直接国税15円以上治める満25歳以上の男子のみだもんね。」

「だから、与謝野晶子は文学という手段で、自分の意見を出した。

文学・文化というのは、差別されている人が唯一、世の中に意見を出せる手段とも言えるのよね。」

「たしかに・・そういう見方もできるね。」

「あと、絵画の世界では洋画を描く人も現れます。

有名な人に黒田清輝(くろだせいき)がいます。

彼は、西洋風の写実的な作風で、日本人女性を描いたりします。

彼の代表作「湖畔(こはん)」は一見の価値あり!

(私独自のまとめ方なので、細かいことが違っていたらすみません。日本美術は勉強中でして・・)」

「絵画もヨーロッパ風になったんだね。」

「あと、音楽の世界も洋風に。

それまでは、

最初に出した音を基準に、それの上げ下げで、相対的に歌う曲がほとんどだったのに対し、

ドレミファソラシドという音符、つまり絶対的な音で歌を歌うようになった。

明治の音楽家としては滝廉太郎(たきれんたろう)という人物が有名。

「荒城の月」や「花」(歌曲集「四季」の1つ)などの作品が有名。」

「あ、音楽の授業で歌ったことある!」

「「荒城の月」は私、好きでね。カラオケに行くといつも歌うんだ!」

「渋い!」

「かっこいんだよね、あの曲!」

「あああ!つい、長く文化について話してしまってごめんね。

この時代を説明する先生ってあまりいないので、この歴史模擬授業だけでも説明をして

すこしでも理解・興味を持ってもらえれば良いと思って。」

「難しかったけど、大人になったらもう一度明治時代の文化を勉強したいと思ったよ。

未来の楽しみが増えた!」

「ありがとう、そういってもらえて。

明治時代の文学は苦労すればするほど、理解できるものが多いから

これからの人生で、いじめや孤独、理不尽なことで苦しめられたら、

将来明治の文学を理解できる力が備えられるんだ、と少しでも

ポジテイブに考えると良いよ。」

「たしかに、悪い方ばっかに考えたら、よけい辛いもんね。」

「そうそう。どんなことも自分の感じ方次第だからね♪

では、次は産業の方もやりますね。」

<産業>

「はい!」

「産業は、殖産興業というスローガンがあったのでもわかるように、

どんどん日本は工業化が進んでいきます。

そして、日清戦争前後から、軽工業(織物など)で産業革命(産業の方法が、機械による大工場での生産に

かわり、それによって社会構造が変わること。)がおきます。」

「ほえー。」

「そして、重化学工業の産業革命(第二次産業革命)は日清戦争も関係してきます。」

「?」

「ほら、日清戦争のあとで結んだ下関条約で得た賠償金の1部って何に使ったと話したっけ?」

「えーと、たしか・・八幡製鉄所。そっか、製鉄は鉄鋼業だから重化学工業だ!地理で習ったね!

(重化学工業・・機械工業・化学工業・金属工業)」

 「地理も知らないと歴史は理解できないんだね。」

「八幡製鉄所ができたことで鉄が日本国内でつくれるということがわかるね。」

「ほえー。」

「このように、どんどん産業が発達していく。

しかし、工業はうまく処理しないと毒になるぶしつが生まれます。

当時は、産業化ばかりに目がいってしまい、どうしてもその悪い点をみのがしてしまう。

 そのため、栃木県では、銅山から流れ出た鉱毒が渡良瀬川流域に広がり、

住民におおきな被害を出したという、足尾銅山鉱毒事件もおこります。

そのときに、衆議院議員の田中正造(たなかしょうぞう)が、

足尾銅山鉱毒事件を議会で取り上げるなどし、

彼は一生を公害問題の解決に努めることなりました。」

「あ、この話、小学校の国語でならった。」

「学校によりけりだけど、そういう学校も多いみたいね。

国語でそのひとの生涯を勉強すると、歴史も勉強しやすいでしょ。」

「うん。」

「だから、歴史人物が主人公の小説やマンガは読んだ方が良いよ。

もちろん創作部分もあるけど、教科書と照らし合わせて読めば、

勉強にもかなり役立つから。」

「うん。色々と読んでみようかな。」

 

「では、明治時代はここまで。次は大正時代を行います。ではでは終わります。起立!礼!」

 

「ありがとうございました!」

ーーーー

おわり。

 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

また私は平和主義者で、s決して名時代の戦争・侵略の歴史を良いものだとは思っておりません。

 

 

 

 

 



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