エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」
第2回 小学校時代②
小4のころまでは、先生にも同級生にも馬鹿にされていた私。
しかし、なんとなく違和感を感じていたけれど、それなりに幸せでした。
それが一変したのが小5のときの「いじめ」でした。
小5のときに、クラスの女子は2グループに分かれていました。
2グループと言っても、人数半々に分かれていたのではなく、
クラスの女子のほぼ1グループになり、そのグループに入らない数人がいた、という感じです。
私は大人数のグループの方に属していて、そのグループの中心人物の子と一番の仲よしでした。
母親同士も仲が良いので、家族ぐるみでその子と遊びに行ったりもしました。
その一番仲の良かった友達は、頭もよく運動神経もよかった。みんなの憧れの女の子でした。
私といえば、「馬鹿」で「変な女」で、しかし、家は裕福そうな家。
なので、同級生からすれば、「蔑みの対象」であると同時に「ねたみの対象」であったのだと今になっては思います。
小5あたりって「自分を確立していく第一歩」が始まる時期です。
しかし、その「一歩」で間違うことをする子がいます。
正しい「自分を確立していく(アイデンテティの確立)」は
「自分はこうで、相手は違う。それぞれが違う生き方・価値観がある」という絶対的な視点で自分という存在を自覚すべき
なのに、
「私はあの子よりも優れている」と
自分の勝手な価値観による優劣で他人との違いを図ろうとする子が出てきます。
そのような子が 「いじめ」 を始めるのです。
私の同級生たちは、「自分たちの優位性」を確認するために私をいじめました。
「蔑みの対象」であり、かつ「ねたみの対象」であった私には、かっこうの餌食です。
「あの子のくせに、いい気になっている」という間違った正義感のもと、彼女たちは私をいじめるのです。
どのようにいじめに発展していったのか、時系列で追っていきたいと思います。
1:みんなと話しているとき、私の言うことに対し、
今までのように会話しながら笑うというかたちでなく、
「クスクス」と友達同士で目くばせしばがら笑う。
→そのときは、私はなんとなく変だな?と感じただけでした。
2:一緒に遊んでしても、私のすることなすこと、すべて馬鹿にされたり否定される。
たとえば、絵を描いていても、「ダサい絵」と言われました。
マンガっぽい絵を描くと「お母さん(私の母のこと)は絵が上手なのに、
萬火ちゃんは下手だね。ほんとにお母さんの子?」とまで。
私は、当時、あまりマンガっぽい絵を描きませんでした。
自分の持っているぬいぐるみにつけた名前を、「うわ、変な名前」と言われたり。
また、私の好きなマンガに対し、「そんなマンガ読んでいるなんて子供っぽい」とも。
当時の私は、恋愛&学園&部活マンガよりも、ファンタジー系や推理系が好きでした。今でもそっちの方が好きです。
勉強で間違えると、ものすごく馬鹿にされる。「そんなこともわからないんだ。」と。
それがなんども続いたので、先生に当てられたとき、「また間違えたら馬鹿にされる」と思うと、
あたまが真っ白になり答えが出てこなくなって
その状態を見ている同級生たちがクスクス笑っているのが聞こえる。
それで思わず泣き出すと、先生は「困ったやつ」と馬鹿にした顔をする。
それでよけい、同級生たちが笑う。
→このころには、何もかもに自信がなくなり、同級生たちに笑われること怖くなって、何もできなくなりました。
3:何か一緒に遊ぼうとしても、何かにつけて理由をつけられ、仲間外れにされる。
遊んでもらえない理由は、「雰囲気を壊すから」とか「ずるいことをするから」など。
しかし、「ずるいこと」なんてしたことなかった。
→でも、当時の私は、「そういう風に思われる自分が悪い」と本気で信じ込んでいました。
そしてだんだん笑わなくなる。
こういう状態が半年ほど続きました。
当時の私としては、それが「いじめ」だという自覚はなく、親にも相談しませんでした。
そんな状態の私が、どのように「いじめ」から脱却したか、を次回話したいと思います。
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