エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」
第5回 中学校時代②というか小学校時代の勉強を振り返る
前回,中学で勉強ができるようになった,ということをお話しました。
勉強ができるようになってから,小学校時代に勉強が苦手だった理由がわかりました。
私って「物事の根本がわからないと,心が受け付けない」性質だったということです。
小学校の勉強も,物事の根本がわかった方が勉強できるけど,
根本がわからなくても,点数そのものはとれる部分も多いんですね。
たとえば,速さと距離・時間の問題で,
小学校は「は・じ・き」というツールで問題が解けますよね。(私立中学受験だと,それだけでは太刀打ちできませんが・・)
小学校の私は,なぜ,「は・じ・き」で距離や速さが求められるのか?が納得いかなかったです。
今なら,先生に
「速さという定義とは何か?また商(割り算の答え)という存在は何を表すのか?もう少し,小学生にわかるような用語で説明して
もらえますか?」と聞くことができますが,
当時の私は,「わからない」としか言えず。
そのため,先生には「「は・じ・き」を使えば解けるって言ったのに,私の授業をこの子は聞いていないのか?」と不信感を抱かれ。
同級生にも「「は・じ・き」を使えないほど馬鹿なんだ」と馬鹿にされ。
しかし,中学に入ると,
「割り算のA÷Bは,分数のA/Bと同じである」ということ,
「割り算(商)とは,たとえば,仮に,Aという長さをB個で分けた場合,その分けた1つ1つが同じ長さだったら・・」
という「仮に」という条件であることを教えてもらい,
それで,やっと「速さ」の問題がわかるようになりました。
また,速さを,例えば「m/秒」という単位だと覚えてしまえば,
速さを求めるには,「m ÷ 秒」であることがわかるし(「/」は「÷」という意味と同等)
距離を求めるなら,分母の「秒」をなくせば「m」という距離がでるから,同じ単位の「秒(時間)」を
かけてしまえば,距離がでるなど・・。
また,小学校時代には,「m」から「Km」の単位に直すときは,「1000で割ると覚えよう」,といわれたけど,
それだと,納得いかなくて・・。
しかし,「1000m=1Km」だということさえ覚えれば,
「1000を1にするには,1000に,1/1000をかければよい!」と。
なので,解き方を1つ1つ覚えるのでなく,自分で解き方を導く形ばかりやっていました。
小学校のころには学校の先生の教え方しか知らなかったけれど,
中学からは母の家庭教師で,物事の根本を考えることに価値観をおいてもらえたので,
数学もできるようになりました。
小学生の教科書を読み直すと,物事の根本も書いてあるのですが,
当時は教科書を軽視をする先生だったので,教科書を読む,という行為をしませんでした。
なぜ,あのとき,先生のことを信じたのでしょうね?私を信じなかった,私の存在を認めない先生だったのにね。
また,私は,割り算がどうも苦手で,すべて掛け算でやるとできることがわかりました。
なので,割り算は,分数の掛け算で考えるようにしました。
また,足し算も苦手で・・。
割り算と引き算だとすんなり解けるので,中3で因数分解を習ってから,格段に計算力があがりました。
実は,「7+6」などの簡単な足し算を未だに私は暗算できず,指を使わないと計算できません。
でも,指を使うと馬鹿にされそうな状況のとき暗算をしなければいけません。
その際は,頭の中で因数分解をして暗算しています。今回の場合は,
7+6
=7+(7-1)
=7×2-1
=14-1
=13
と。この計算時間は約5秒。掛け算と引き算だけにすれば暗算できるんです。
なので,見た目では,まさか因数分解をしていたとは思われなかったり・・。
おそらく,詳しく調べれば,一種の障害なのかもしれませんが。
普通は,因数分解の方が難しいのにね。
また,「理科」も,物事の根本から考えるとわかるように。
小学校の勉強って,目に見えるものを中心に考えるものが多い。
でも,中学って,見えないものを論理的に考えるものが多くなってきます。
物理分野や化学分野など。電気の計算とか力の性質を数字で考えるなんて最高です!化学式も面白いよね♪
私って,生物分野が一番苦手です。今でも,物理が一番好きです。
「社会」も,小学校のころは苦手でした。
たとえば,地理の分野で ,小学校は「A県とB県はリンゴが,C県とD県はみかんの産地として有名」という局地的な情報が多い。
でも,中学では「リンゴは寒いところ,みかんは温かいところで育つ。そうなると,海流や風,山地・山脈の位置を合わした気候として・・」と
総合的に考えると理解でき,覚えられる。
歴史の分野も小学校のころって,「こんなすばらしいことをAという人物はしました」という感じで教えられたんですが,
その当時は納得ができなくて。「人間ってみんな良い人」という偽善的な感じで。
自分は「おかしい」と思うところも,「いいこと」「良い人」と思わないといけない気がして・・。
でも,母が歴史を教えてくれるようになった第一声で,「歴史は失敗の歴史」「歴史の悲劇はくりかえす!」と。
それで私の心を困らせていたものがすべてなくなり,そういう視点で歴史を見るようになったら,理解しやすくなり
理解できたら覚えられるようになりました。
私の場合は,小学校の先生の当たりが悪かったと思います。
小学校でも,物事の根本から小学生にわかりやすく教えてくれる先生もいるし,
私みたいな子を認めてくれる先生もいたのでしょう。
でも,私の先生は,「丸暗記」しか教えず,私みたいなやつは「馬鹿」な奴としか見なさなかった。
中学生のころは,勉強ができるようになりテストで点数そのものを取ること自体が楽しかった。
でも,安易に問題集を解いて点数だけを取る形でなく,「理解しなきゃ点数はとれない!」と思っていました。
ということで,中学のころは,「点数を取るために,理解する勉強」という形が,私と勉強の仲でした。
その関係が変わったのは,高校2年のころです。
その話をする前に,塾を嫌がっていた私が,塾に通うようになったのはなぜか?というのを次回話したいと思います。
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