西嶋和夫先生の「中論」の序章では、今までの西洋哲学の礎からの解釈への訣別を書いている。そこが明治からの印哲の主流派とは違う。
勤めることも、社会の厳しさをしることもない学者さんと、実業界で生きた方の違い、観念だけの世界ではない西嶋先生の方が私には、しっくり来る。
そして「井田両国堂」さんというサポートも、実業からのそれである。
で、他の本は中止して、当面これに費す事にするが半分以上は理解出来ない。
3行くらいで寝ていることがある。
サンスクリット語なんて知らないしね。
多くの仏教学者の研究は経典の「漢訳」からである。ところが実際は、この漢訳自体が間違っていると著者(先生)は説く。
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さて、世の中に色々な宗教があります。
しかし、どこも、誰も、このウクライナ戦争を止める事は出来ない。
有史以来,一度たりとも止めてないどころか、
有史以来、殆どの戦争は宗教絡みである。
この事実の前に、世に存在する宗教学者・宗教家は自らの存在意義を考える事はないのだろうか?
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今日は「憲法記念日」である。
ただ、机上の法律上の解釈だけで憲法をどうのこうの結論がないまま80年も過ごして来たが、今、必要なのはこの実社会で通用する国を守れる憲法が必要なのはいうまでもないことだ。
仏教も同じだろう。
実践者としての西嶋先生は、学者としての派閥ではないから、観念だけの仏教を提唱してこられなかったと思います。
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自分が「仏教徒」と自覚している日本人はどれほどいるのでしょう。
あなたは?私も自覚はない。
先生の提唱録の中でよく引用されるのが【法華経】(日本の日蓮宗とは関係ない)の中で話で、二つ目の猿が或る島に行ったら、そこの猿は皆、一つ目で、笑われた話があります。含蓄があります。
私は若い時から、原始仏教の本は、比較的に読みましたが身にはついてません。で、残ってる、或いは買い直した本は西嶋先生の【提唱】のモノが多い。
紀野先生も多い。「正方眼蔵」も全巻【提唱録】変えた。
この講義自体の期間は7年掛ったそうだから、2年くらいかけで読めば良いと思ってる。
まあ、キリスト教徒の【聖書】を読むようなものだ。
ホテルのベットサイドに必ず置いてあるが、これがまたよく眠れるのである。
だから、置いてあるとも言える。
ベットサイドに「聖書」があるのが「ホテル」の私の「基準」でもある。
前にも書いたけど、私が神様なら「長崎」「広島」の原発は不発にしてます。
だから、今後、「各戦争が起きても誰も止められません」
だから神様よりも
人間である「仏陀」がシンパシーがあります。
で何で「道元」なんですか?聞かれたので
「空海」は判らない!
「道元」は西嶋先生の提唱録があるから判る。
世界一難しい書を、誰でも判るように書いてある。
最近、新刊書店に行っても「エロ本」売り場が全く見ないようになりました。
あかんな~~~~
ではない。
最近のエロ雑誌はDVD付録なので買う気がしないだけです。
自動車雑誌も気乗りしない。
総合文芸も飽きてる。
ソロ キャンプ系の雑誌が多いこと驚く
アホちゃう?
あほやろね。