風と道は、違う
「エスプレッソ」道にみたいなものはありません。
どうしても日本人は「道」を作りたがります。以前にも書きましたが「道」には、お金が落ちているからです。
イタリアで観察していると・・・・
それもイタリアで一番忙しいミラノ駅で、その中の一番忙しい店で観察しても、
どのバリスタの「タンパー」は持ってません。有っても、黒いプラスチック製の付属品、ほとんどの方は、グラインダーに付いているタンパーで押してるだけです。
ドーサーに一杯コーヒー粉を貯めてあり、オーダーが入ると(まあ、5秒に一杯)カチャとするだけです。
お客さんも「グいっ」と飲んでスグ消えます。
一杯、1ユーロです。
全てが日本と違います。つまりカルチャーが違います。
ですから、日本独自の「こうでなければならない」という「道」は意外に危険です。
所詮、それは狭い道なのです。
排他的な狭い道では、一定の人間だけが大きな顔をして、金を取りながら「道」を説きます。
そんなものの全てに意味はありません。
もちろんイタリア人のバリスタには到底通用しないのです。本物に通用しない精神なんて意味はありません。
空手道・柔道・剣道・・・すべて「道」がつくのもは、精神的な道をその基本とします。
茶道でも同じ、礼に始まり、礼に終わるとすれば、単純な下記の技術の展開ではありません。
つまり
ペーパードリップ
サイホン
イブリック
プレス
エスプレッソ
全てコーヒーを抽出する手段に過ぎません。
手段を目的化する幼稚な精神が「道」を作るのではなく、そこのある「金」を集めようとする【金銭欲】が「道」ようなものをつくります。
ようなものです。ニセ物です。
見えないものは解りにくい、だからイタリアに行けば良い。行かなくとも解るけれど
本物はイタリアにあります。「道」はない。
角々に「BAR」があるだけです。
日本にあるのは
【風】なのだ
広島お好み道があるのではなく。
広島風お好み焼、があるだけなのだ。
つまり、言い換えれば、既に日本に広範囲にお好み焼という文化が定着しているからに他ならない。
日本風エスプレッソ文化は既にある。
韓国も、香港も、世界中にそれぞれ固有のエスプレッソ文化は存在していますが「道」ではありません。
「道」だと思ってる人が、通行料を取る。