■ 古い文献や名所図絵によりますと。焼ハマグリの名物は今で言う朝日町から幾つかの河口近くの富田・冨洲原町あたりのようです。この辺りは昭和40年代までは海水浴場として賑わってました。今は四日市競輪場があります。
■ 実際、東海道の旅人は、桑名の七里の渡しから今もかすかに残る東海道で京都まで行くわけですから、現在の桑名市で言えば、やはり国道一号線にやや沿ったルートです。
焼ハマグリは町屋川を越え、先に述べた四日市手前へ向かう浜辺で売られていたのです。
「渡し」の横には桑名城がありますから、今の海岸沿いではなく、入江町が海岸線に近い
■さて今は火力発電所がある富田、富州原辺りは砂地で、焼き蛤も大層美味しく評判になったわけです。
今で言う「吉野家」が流行っていたら、その手前に「すき屋」を開店するが如く、桑名近くでも売り始めたが、どうもイマイチだったらしい。笑
そこで旅人は「騙されませんよ」「四日市の手前で食べますよ」という意味が
その手は食わないぜ!という本当の意味と、もう一つ韻で桑名と「喰わない」と掛けたわけです。後者はダジャレですね。
つまり、二つの意味ですね。
ここは、大事なところですが、江戸文化の成熟度から見れば、明らかにdouble meaning(二重の意味)の方ですね。ダジャレだけではないと私は思います。
■今は 「そうは桑名の焼ハマグリよ」をググルと、一つ意味の、「桑名」と「喰う」の音だけでダジャレの単純な解説されてます。
ハマグリは関係しません。
そんな馬鹿な!。
2つの意味は、古い書にはキチンとかかれてますし。古老の話もそうなんです。
桑名の人の前では中々言いませんがね。実際書かれている、その書物が今思い出せません。
■ 実際、今、三重県桑名市の「名物」は何?と聞かれれば
桑名育ちの人なら「都饅頭」と答えるでしょう。私もそれに賛同します。
商家に行くと、必ず誰かが届けた「都饅頭」が菓子鉢にありました。
私が子供の頃は、絶対です。今も商家を数件回れば10個は確保出来ます。
今はお届けものも多様化してますが・・
だから、実際は飽き飽きしているわけです。だから何時でもあります。笑
箱と重さで「都饅頭」だと判ります。
■されど「その手は・・」をどう考えるかは自由ですが、ネット社会は、ネット以前のことが非常にあやふやになってます。古い桑名の人に何が名物ですか?と聞けば、期待にそう形で答えてくれる人、自分の「名物」を教えてくれる人、それぞれです。
私は「しじみの味噌汁」はINです。「アサリの吸い物」もIN。
焼蛤は桑名の名物ではなかった。今は名物かもしれません。
富洲原付近と桑名市では近代に発展が違い、飲食店数、宿は桑名の勝ちですからね。それと流通もね?
まあ、一つの備忘録として書いておきます。