「お釈迦」様は、人間ですね。神様でも何か奇跡を起こす人でもありません。端的に言えば「苦しみ抜いた人」です。
キリストさんは神様で奇跡をも起こしたと思います。
さて、リスボンのジェロニモス修道院でずっと膝まずいて祈り涙するご婦人がおられてました。私が一周回って戻ってきても、まだ祈っておられました。
「う~~ん」
日本で仏教徒で阿弥陀如来像に涙することは正直、あまりないと思います。私はそんな人を見たことがない。
宗教観以前に、最近のスリランカ上座部仏教の方が今の日本に必要性を感じます。
私もまあ部類分けでは仏教徒だけれど、阿弥陀如来さんは何も語ってくれません。困ったからって、すがった事も正直ない。お釈迦様(仏陀)ゴーダマ シャダールダ)の言葉を聞きたいと思うのです。
人生は「苦」で出来ている。
今、アレボムッレ・スマサナーラさんの著作が売れてる一つの私の解釈です。
本願寺派だけれど、親鸞さんや、阿弥陀さんでもなくてね。仏様の思想に触れたくはないですか?
つまり、阿弥陀さんは何処からどの時点で入ってきたの?その辺りがややこしい?
大乗仏教ってのもなあ・・・、
昨夜の飲み屋での話です。イタリアレストランでした。酔っぱらいの話です。