「中点」「蒸らし」なんて言葉を使ってる限り
焙煎はモノに出来ません。
「中点」(生豆を投入すると必然的に釜の中の豆温度が下がるその最下点:グラフのボトムだから私はボトム点(温度の意味はではない)と呼ぶ、私のその言葉【ボトム点】には位置を示すだけである。意味はありません。)
特別な意図するもの私は持ってません。
土鍋が温かくなってます。(釜)そこに豆腐2丁(生豆)を厳かに入れると、お湯の温度は当然下がります。その下がった温度を何か「意味があるような言葉」を付けるのは国際的な見地からも可笑しいのです。「豆腐点」みたいな。
一体、その「豆腐点」に何の意味がありますか?
大体、その「ボトム温度」が変化する焙煎法・焙煎機自体がダメダメちゃんなのに、更にそれを修正するような技術論自体がチャンチャラ可笑しいのです。
ゴルフで言えば、真っ直ぐ飛ばない人にドライバーの工業的な技術論を諭しているようなもので、本末転倒です。
その「中点」(面倒なので使いますが)を変化させる要素は幾つもあります。
面倒なので一つで勘弁して下さい。
今、同時に冬の日本で、同じ豆、同じ量を同じ焙煎方法で煎りはじめます。
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A点 北海道 倉庫保管温度0度
B点 沖縄 倉庫保管温度25度
C点 横浜 倉庫保管温度13度
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それぞれ、「中点」は違う温度を示します。その他変化する要素は幾らもあります。勿論、投入温度でも違います。焙煎機自体を変えても違う数値を示すのです。
このABCの3点でどれが美味しいのですか?全く愚問です。意味がありません。どこから煎りが始まっても、それが結果になりません。そうでないと沖縄やハワイの焙煎店は冷蔵庫で冷やしてから焙煎しなければならない。そんな馬鹿はいない。
そのそも、それ以前に「中点」が焙煎の度に違うのは焙煎機自体がおかしいのです。
世界に目を広げても良いです。ヘルシンキの焙煎屋とNYの焙煎屋、カントマンズの焙煎屋と何処が美味しいのですか?
これも愚問ですね、所在地の気圧も大きく違います。気圧が違うから煎り方が違うわけはありません。
一体、何気圧なら美味しいのですか? 中点が何度なら美味しいのですか?
本当にそうなら、とっくの昔に情報が出てるはずです。400年も前から欧州では煎っているのです。
日本に海外から優れた焙煎機が入ってこないのは「ダンパー云々」と言う人がいるからです。世界中で日本だけ
確かにハンドピックするような最低ランクの豆を少し丁寧に煎れば劇的に変わります。それは基本が不味過ぎるからで、それとて、一級品を煎ったものと比べれば雲泥の差です。話しになりません。
トヨタのシエンタに、カヤバのアブソーバーとタイヤを185に変えるだけで劇的にハンドリングは安定しますが、86と比べたら話になりません。それをスゴイ技術だと思ったらカモです。
「連続焙煎」で中点が揃わないのは何故か?そもそも、その揃わないのは温度が正確な値を示さないだけで、無理やり揃えてもそれ自体が狂ってるのですから、全く意味はない。
前にも書きました。
サンマと焼くときに、生サンマの温度まで調整してロースターに入れる人はいないのです。そして火力で調整せず、空気の抜け方で焼き具合を変え、焼くよりも「蒸らす」なんて言ってるのと同じんです。
同日に焙煎して、その中点と呼ぶもの、変わること(揃わない)自体、全く焙煎機が判ってないということです。
そして、揃わなくても焙煎は出来るのです。
豆の美味しさは「仕入れ」で決まります。
中国製マツタケを調理しようと、国産まつたけには敵いません。もし違えば、素材を生かす和食の世界そのものが引っくり返ります。
「中点」と呼ぶものにもし意味があるなら、その人に聞けば良いでしょう。
「長年の経験だよ、勘が必要」
「言葉では表せない世界」(だったら数字で教えてよ~~)
いやいや、いつまでそんなこと言い続けるのでしょうか?
そして何をどう弄ろうと、検証してないのです。
「中点」に意味はありません。
「蒸してる」も人もいないのです。(当然)