「砂も地球のカケラなんだと」アン・ルイスは歌った。
この世は、一粒の明るいコーヒー豆なんだと、道元禅師は勿論言わなかったけれど、この一粒の青い生豆の中に、嘘があり、真実があり、 それで生計を立てている人々、アルバイトしている人、遠いアフリカの農場で働いている人、トラックから貨物船の乗組員まで、世界は、多くの人達と実は繋がって、地球は今日も回っています。
この小さな小さな生豆も地球だとすれば、その上に
悪い奴も、いい奴もいるし、守銭奴もいれば、馬鹿も利口も詐欺師も当然存在する。
夜が明けると、地球の反対側は夜になる。 光と影。
陰と陽
でも結局はONEなのさ、と
今日は面倒なので
Mary J Blige と U2のボノ 6800万回再生されいる
「ONE」をお贈りします。
古い曲ですが、その圧倒的な存在感に打ちのめされます。このビデオクリップには私もサイドギターで参加してます。
ウソです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZpDQJnI4OhU
一体何が言いたいんだ?と思われるでしょうが、この曲を聞くとニーナ・シモンを思い出します。
https://www.youtube.com/watch?v=apdmD-5rFjQ
Ain't Got No... I Got Life
時間もないので「コピペ」でゆきます。
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本来の状態が何であるかがよく解っていると言う事は、初めも終わりも正しい状態である。その場合こそ「輝かしい珠」が、その姿そのものを語っている。そういう状態の眼目とは何かと言えば、この玄沙師備禅師が言われた「輝かしい珠」と言う事に尽きる。
しかしながら、自分自身も自分自身を取り巻いている客観的な世界も、一体この玄沙師備禅師の言われた「輝かしい珠」とは何なのか、また「輝かしい珠」でないものとは一体何なのかもよくわからず、あれこれと考えたり迷ったりして様々な形で仏道修行をしてきたけれども、この玄沙師備禅師の真実に適った言葉によって、自分自身の体も心も「輝かしい珠」であると十分理解し、そのことがはっきりわかってきたのであるから、心というものも単に自分だけのものではない。
この我々の日常生活の動きと言うものが生起し、消滅していく瞬間、瞬間を、あれは輝かしい珠だけれども、これは輝かしい珠ではないなどと、自分の日常生活を振り返って、これは駄目、これはいい、と言う事を誰が考える必要があろう。その事は、社会生活についても、あれは駄目、これは駄目とどうして軽率に判断する事が出来よう。その様な事を幾ら考えてもよくわからないという場合があっても、この我々の住んでいる宇宙と言うものが「輝かしい珠」でないということはない。
我々の日常生活の明け暮れと言うものも、輝かしい珠でないところの何かがあってそれを起こさせた我々の行動と言うものではないし、また輝かしい珠でないものが原因となって、我々が心の中で様々のことを考え、様々の思いをしたということではないのであるから、自分の頭を使い様々な心配をしている一進一退でさえ一顆明珠(一粒の輝かしい珠)以外の何ものでもない。
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http://honjoutarou.blog107.fc2.com/category88-5.html
西嶋先生の提唱録のHPがありましたので拝借しました。
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この珈琲の世界は8割はウソで出来ているといわれてますが、業界に入ってる人には見えません。見たくないのかもしれません。
香料のお得意先の業界は、化粧品業界、第二位は「コーヒー業界」。
ネスカフェの「ソリュブル・レギュラー・コーヒー」はつまり、溶けるレギュラーコーヒー、すなわち「インスタントコーヒー」で名前が変わっただけなのに・・
ネスプレッソ飲んでます。って言う人は「?」 いい人なんだろうと・・・・。
色々な事があるけれど、まあそれも人生さ、明日も地球は回ってるし、悪いこと自分はせずに、こんな小さな人生を地球の上でやってることも、また楽しいさ・・・と
いう感じで、1000年前の天才、道元は書いたと思うんのですが・・・
Mary J Blige
ベントレーの中で聞くと最高です。
問題は「ベントレー」が無いことです。