毎晩、本を風呂で読むのだが、最近、ふとしたミスで、沈没が多い。
同じ本を買うことになります。
今日、風呂に入ったら、昨日の紅茶椀も横に残っていた。
最近は、そういう中途半端が多い。異常に多い。
さて、
立って半畳、寝て一畳、天下取っても2合半。
ということで人生において、消費生活はあまり意味が無い。
それが全ての人もいるが、
人は「知」に向かわねばならぬ。が、
今更、理論宇宙物理学の扉さえ全く見えはしないし、文学も巨匠を超えることは無理なのは明らか過ぎる。今もって芭蕉を誰も越えれないのだ。
「運慶」も誰も越えていない。音楽もダメ、未だに長調・短調の意味も判らない。
広い世の中で、宇宙の膨張とか、ニュートリノなどをやってる人から見れば
コーヒー焙煎で「理論」とは、さぞ噴飯ものであろう。
宮大工の棟梁からみれば、珈琲焙煎で「職人」なんて言われたら笑いしかないだろうね。
コーヒーの話はもう「理屈」に近いね。屈折しすぎ。