昨日は、大きなそらまめをドルカスと買って来た(写真は大型猫のコールと買ったそらまめ)。大小サイズによる値段の方は目をつぶって、超特大のそら豆を選んだ。なぜなら、教師をしていて、大きな喜びの一つに子ども達への「読み聞かせ」があって、こんな大きなそらまめを見ると、どうしても思い出す絵本があるのだ。
「そらまめくんのベッド」(あらすじ)
大きくてふかふかのそら豆くんのベッドに、サヤエンドウとか他の仲間は一度は寝てみたいのだが、そら豆くんは「だめだめ、これはぼくの宝もの」と断固ノーだった。
ところがある日、そら豆くんのベッドが突然無くなってしまったから大騒ぎ。どんなに捜しても見つからないので、周囲の豆仲間がかわいそうに思って自分のベッドを貸してあげようとするが、そこはサイズが違ってどうしても合わない。ようやく見つけた時は、ナントうずらが卵を産んでいました。「しかたがない、少しだけ貸してあげよう」と何日もそばで待ちます。
卵がかえってようやくベッドを返してもらったそら豆くんは、豆の仲間の親切に、自分のベッドを開放し、みんなが喜んでメデタシ×2になるお話し。
自分がどんなに大切なものだからといって、一人悦に入って、独り占めしているだけでは、不思議と本当の喜び、楽しさは湧かないものだ。乏しくても分け合い、共感しあってこその喜びは、何ものにも代えがたい。
昨日もテニスの帰り道、ちょっと高めのミルクプリンを買う。一つだけしか買えなかったが、それをドルカスと等分にして食べる。「美味しい」を二人で感じ合えるのは、一人で全部食べることに勝るうれしさがある。
人生だって似たようなものかも知れない。ただ一人立って、つらさをこらえて歩くのではあまりにも空しい。十字架に架かるまで愛してくださっているキリストに、自分を明け渡す人生。伴侶と共に、心を一つにして二人三脚で歩む人生。共有することは、独占よりはるかに勝る。 (ケパ)