昨夕二つ、今朝二つと四つのシングルスの試合をした。四つとも先行されては追いかけるパターンで、これは相手を初見で、「勝てる」と思ってしまったからなのだ。確かに結果的にはそうなったが、苦戦を強いられたのは心のおごりがあったからだ。
どうしても『勝てる」と思うと、挑戦者の心になりにくい。「受けて立つ」という消極的な打ち方になる。また弱い者いじめではないが、何となくお付き合いが悪いという気もしないではない。理想を言えば、どんな相手でも「初球からの全力プレー」ではあるが、これが意外にむずかしいのだ。
獅子搏兎(ししはくと)という熟語がある。「獅子、兎を搏(う)つ」と言う。ラ
イオンはウサギをつかまえるにも全力を出す。易しいことにも油断せず、全力を挙げて努力することを言うのだが、テニスではもちろんのこと、肝心な信仰生活ではどうなっているのだろう?自分は全力をあげて神に聞き従っているのだろうか?
テニスのような、おごり高ぶりがありませんように。それが私の一番恐れるものです。 (ケパ)