昨日から正式に、ゴスペルクラブ「ピースフル」の伴奏をはじめた。
弾いていると、弾き語りのように両方はうまくいかず、どうしても伴奏に専念することになる。少しさびしいが、そこは割り切らねばならない。伴奏は大変だ。緊張と冷や汗ものだったが、みんなの歌声を聴きながら、合わせながら、笑顔で演奏する。これはこれで実に楽しい。※笑顔は後半の、少し余裕が出た時だけです。
私の年代で男性のピアノは珍しいだろうと思う。私がピアノを始めたのは、自主的ではない。姉がピアノをねだって買ってもらう時、「弟もやるから」と私をダシにしたのだ。こうしてピアノをすることが決まった。
ピアノが家へやってきた日、私はこの楽器の音が好きになった。なにしろ力強い音だ。家でこれを弾かれると大音量なので、戸外へ逃げるか、またはおとなしく聴くしかない。好きになったので、避難しなくてすんだ。それですぐに姉と一緒に、近くのピアノ教室に通うようになった。歯医者さんの娘さんで、ちょっと厳しい感じの先生だった。
しばらくして教室のピアノ発表会が行われた。大勢の人の前で、大きなグランドピアノを弾かねばならない。我が生涯で、緊張のランキングとしてはこれが史上最
高だと思う。今でもその時の記念写真が残っていて、何十名かの盛装した女の子たちの端に、黒いタイツをはかされた半ズボンの男の子がぽつんと一人だけ、実に恥ずかしそうに立っている。
2.3年は通ったが、普段はあまり練習しないので、結局バイエルを卒業するかしないかで終わった。10歳前後の話である。ところがなぜか高校生になったら、松ぽっくりに火がついたように、またピアノを始めた。理由は簡単である。ギターの弦が指に痛いので、ピアノにしたのだ。姉は京都で大学生活を始めたので、ピアノが私専用になったせいもある。
自分の意思で始めると上達は早い。ソナチネまで突き進んだが、先生の都合で1年後、突然終わった。
まるで暗闇を照らす光のように、自分の人生がわかる時がある。たとえばこのピアノである。これで永遠に終了と思っていたピアノが、教員採用試験で生かされた。試験の課題曲を弾き終えた時、試験官は私にこう言った。
「キミは音楽専科が無理だと申請しているが、そんなはずはない。今すぐ可だと書き直しなさい」・・・・とんでもない誤解だったが。
そして今である。もちろん力がないので一時的だとわかってはいるが、ピースフルの奏楽者としての働きである。これを避けて避け続けてきたが、どうしてもしなければいけなくなった。不思議なのはどうしてかわからないけれども、1年半前ぐらいから伴奏の仕方の個人レッスンを受けていた。どうしてなのか、実にふしぎだ。しかし神に従う私たちの人生には、すべて神の計画の下で歩まされている。試練も悲しみ苦しみも、何一つ無駄なものはなく、感謝なのだ。・・・・そしてこのピアノも。 ケパ
? すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(Ⅰテサ5:18)