昨日、映画「終戦のエンペラー」を観た。最近宮崎アニメの零戦の物語「風立ちぬ」がヒットしているようだが、わたしはそれはそれ、ぜひこの秀逸な「終戦のエンペラー」をみなさんに一度は観て欲しいと思った。
まず第1に題名の通り、終戦と昭和天皇の戦争責任問題がテーマである。これはハリウッド映画だ。だから戦勝国アメリカ側から見た、偏ったものかと思ったがとんでもない、少し心配になるぐらい実に公平に史実を踏まえたものだ。そしてわたしがオススメする第1の理由として、映像という圧倒的な情報量を背景に、今に至る戦後日本の理解が相当進むということだ。
第2に父との確執そのものの映画だった。
わたし自身としては「天皇戦争責任」について、帝国海軍人であった父との確執を思い出し、年を経たこともあるが、父の世代の天皇崇敬がかなり?理解が進んだ。戦後生まれのわたしに、戦前育ちの染みついたものが理解できるはずがないのだ。しかし映画はそれを強力に説明する。
これはわたし自身の過去の一コマである。
今は大昔、十代だったわたしが、ある時父に「あれだけの犠牲者を出し、『天皇陛下万歳』と死なせて行ったその最高責任者である天皇陛下に、ほんとうに戦争責任はないのか?」と詰め寄ったことがある。すると父は言下に否定し、「陛下が戦争を終わらせられたからこそ、今日のわたしたちがある」と言い放った。それを聞いたわたしは「終わりじゃない、はじめたことが結果のすべてなんだ。父は何を言ってるんだ」としか思えなかった。しかしこの映画を観るなら、わたしたち父子の違いもよくわかる展開になっている。
第3に人間天皇がある。
これはハリウッドの映画なので、欧米式の価値観にもとづく天皇の戦争責任のなぞ解きの映画でもある。しかし主人公がどんなに占領軍の威光をかさに、あらゆる武官・文官・侍従たちの誰に聞いても容易に答えが出ない。ただ一つ確からしいことは、戦争を終わらせるために、その御前会議で陛下が異例中の異例、はじめて判断をくだしたということだけだった。しかしそれではあまりにも証拠が乏しい。(左写真は映画のもので、実際の写真と酷似している。つまりそれだけ時代考証にこだわり、事実を求めた映画つくりとなっている)
結局マッカーサーが命じたなぞ解きは失敗に終わった。それでも日本の降伏時の条件、共産化防止、統治上の先行き不透明さなど諸般の事情から、天皇の戦責は問わない方針に進むのだが、それでもマッカーサーは、自身の売名のためか、決断の正しさを確認したいためか、最後に天皇に会って人物を見ておきたかったようだ。
何度も親から聞かされてきたことだったが、映画の終わり、たった一度のマッカーサーと陛下の会見において陛下が、戦争の責任と所在を明らかにして言う。「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねる」・・・・確かにこれでわたしは全身、胸がつまったのだった。父の日本、無駄じゃなかった、誇りに思えた。
今の日本人は、あの時代までの日本人とはまったく異なった民族になった。この映画は、その原点を明らかにしてくれている。まったく福音はなく、真の意味で幸せではないけれども、一応わたしたちは再び立ち直ることができた。そして今、この日本のたましい、霊の救いが急務となり、立ち直されなければならない時が来てはいないか。 ケパ