ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

神に愛された人

2013年08月11日 | 感謝

 わたしたちのキリスト教会には、ふしぎな特徴がある。それは大きな困難のただ中に今あるとか、あるいはそれを経てきた人が多いことだ。かく言う私もそうなのだ。私の場合など14年の長期にわたり、希望が砕かれ、砕かれての苦しみだったので、その時期、暗く悲観的な人柄に変貌してしまったほどだった。

 しかしその苦しみは見事に喜びに変えられた。いや単に変えられたのではなく、それまで価値が乏しいとしか思えなかった平凡さと日常そのものが、大きな喜びに変えられた。実際的にも、
Hymn_34私の過去最高の幸せな暮らしをしている。
 しかし一番変えられたのは、それまで人と比較して自分を義としていた面が、ごっそりなくなったことだろう。徹底的に自分が罪人であること、救いようのない高慢さを実感したことだろう。ただ神のあわれみの聖い御手が、野壺で腐りかけていた私をむんずとつかんで救い出してくださった。自分に対する見方がそのように変わったことだ。


 今夜のアンテオケの礼拝ライブで、「困難に遭うことは、神に愛されていることですから,心の底から喜んでください」と語られた。まさにその通りだ。だがそうかと言って、現在困難の渦中にある人に「喜びましょう」と言おうものなら、普通は「人の不幸をふざけないで!」とピシャリ、怒られてしまうことだろう。
 しかし今晩本当に私がそう言うと、言われた方は「はい、わかっています。本当にうれしいです」と、顔を笑顔に変えて答えてくださった。つくり笑いと違う、それはそれはすてきな笑顔だった。私も心から喜びがあふれてきた。心で「あなたの困難は勝利に変わり、喜びに変わる」と確信したからだ。

 不幸を不幸だと認識すると、不幸がホンモノになる。不幸を神が私たちを幸せにするためにあえて許されたものであって、その背後には絶大な祝福があると認識するなら、まさにその通りになる。しかしこれには、神への全面的な信頼と信仰がないと不可能である。私たちはその証人である。   ケパ



 
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