初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない(箴言20::21)。
これは聖書の言葉である。ここでの「財産」もそうだが、「幸せ」「成功」「栄誉」など何でも当てはまると私は思う。若い内の財産はためにならない。美貌や人気も同様である。むしろ不幸であるとすら思う。
私はイケメンではない。本当は性格の方に問題があったのだが、とにかくモテるということとは無縁な人生だった。それが幸せだった。ドルカスと結婚できて、幸せだと思い、当然他に目が向かない。これだから昔から、異性関係で過ちを犯したことはなかった。もしイケメンだったら誘惑が多く、意思の弱い私は罪を犯したことだろう。これは牧師として、幸せである。
そんな風に見てみれば、出世コースに乗りながら出世できなかったこと・・・・・退職して地位を失ってから、へりくだりへの、つらい下り坂がそうとう緩和された。現在のあらゆる肉体の衰え(目・耳・歯・運動能力などの老人化現象)・・・・・・命尽きるまでに、神からの使命を果たす残り時間、つまりチャンスの有限時間を知らせてくれている・・・・・・などなどすべてが幸せにつながって行くではないか。
決定的に私は祝福されていると思うのは、実は死後の世界、これを最高の希望だと託しているからである。イエス・キリストを心から信じる者は、これが目当てで生きている。だから内村鑑三が娘の死を「万歳・ハレルヤ!」と言ったように、死は\(^O^)/ヤッターなのである。実際クリスチャンの葬儀に行くと、みな笑顔で逝っている。
「初めに急に(つまり自分の力ではなく)得た財産は」、実は不幸の始まりなのだ。 ケパ