ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

愛のかたち について

2013年08月13日 | 映画•映像

 「終戦のエンペラー」「風立ちぬ」は、終戦というこの時期にぶつけられた秀作映画だ。それなのに本来、本筋とは関係のないはずの男女の愛がそれぞれのテーマ、「天皇の戦争責任」「零戦」に色濃いく織り込まれている。映画は娯楽なのでしかたがないと言えばそれまでなのだが。

 

 ところで一般的には男女の愛には出会いがあって、一目惚れするかまたはいつしか恋になり、困難を乗り越えて互いに結ばれていく・・・・が理想であるし、ほとんどそのパターンになっている。おませだった私が関心を持ち始めた子どもの頃、両親にそういうパターンを期待して「なれそめ」を聞いたことがある。
「お見合いで、暗い電灯の下で、顔を一度も上げなかったので、妻になる人の顔がわからない」まま結婚したのだそうである。私は二度とそれから両親に聞くことはなかった。ただ「ああっ、愛のない男女の間に自分は生まれたのだ」とひどく落胆した。そして自分は、決してそんな結婚はしない!と決心した。

 

 そんな思いに凝り固まって成長したので、お見合いはもちろんあり得ない。自分の理想の女性との出会いを期待し続けることになった。描け、と言われたら絵でも文でも彼女を描けたと思うが、それ以上に、出会いとか性格の詳細まで完璧に凝り固まっていた。ところが「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるように、現実とは恐ろしいもので(※わたしはこれらはすべて神のご計画であったことを後に知ったのだが、この時はこのような言い方でしか言い表せなかった)、二十歳で学生運動に挫折してクリスチャンになった半年後、突然、そのホンモノが、私の状況設定通りに登場することとなった。
   かんたんに説明すると、ある日の教会の礼拝後。急に賑やかになるのだが、会堂の最前列に座っていた私に後方、会堂入り口の辺りの女性たちの声の中に、あの低いアルトの声を聞いたのだ。驚いてふり返って見ると、そこにあの、寸部たがわぬ女性が立っていた・・・・・。
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 それから7年して、いろいろあって、互いの指さえ触れぬままで二人は結婚した。二人の娘まで与えられて、幸せな結婚なはずだった・・・・・のだ。

 その女性とは今のドルカスだ、と言いたいところだが、残念ながら別人だ。すでに推察されている方もいるかも知れないが、ドルカスとの結婚はまったく白と黒、正反対のものになった。そこに、痛切な痛みの歴史と、悔い改めがあったことを想像していただきたい。今にして思えば私は、自分の夢を追っていただけの、エゴイスティックな人間だったのだ。

 ドルカスとは、互いの伴侶を同じ胃がんで天へ送ったことが共通点だった。それ以外は「知人の妹」と言うだけで、顔だけは知っていた。ところがそれまで、神様が私にあらかじめ予告し、忍耐させた上、さらに「アイアイサー、あなたが導かれる女性であれば、たとえどんな女性であってもめとります」と告白させられていた。言い方は悪いが、「拒否権ナシ、人間的な愛情ナシ」なのだ。


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 どうか若いみなさん、映画では上等な恋愛を見せてくれますが、多くの場合、相手を愛しているつもりでも、実は自分の夢を相手にかぶせているだけではありませんか。少しだけ、自問自答してみてください。人が人を愛する、それって異性が関わってくると実は超困難なことです。

 ですが、イエス・キリストという本当の神を信じてください。この方は真実、人間を愛し、究極の愛、十字架にかかってくださいました。人間をそこまで愛してくださる神は全知全能の神で、最善の道を歩ませてくださるのです。ただ神に従うことが、多くの人の場合、できないのですが・・・・。

 私が正反対の選択、自分の目でも思いでもなく、ただ神の選択に従ったことは、どれほど正しかったことでしょうか!現在、わたしほど幸せな夫はいないことでしょう!神は実際的にも、こころから神を愛し、従うものを祝福してくださるのですから。  ケパ

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