この美しいアニメ映画は「大空への夢」と「生きる」がテーマになっています。
しかし夢は戦争の傑出した武器となり、無残な焦土と化しました。映画ではふれていませんでしたが、特攻機になるとは誰が想像できたでしょうか?そして「生きて」と菜穂子が言ったことばは、「生きねば」という、堀越二郎へのメッセージともなっています。しかし主人公は夢も菜穂子もすべてを失って、ただ「生きる」しかないのです。
世界に冠たる長寿大国となった今の日本には、「生きねば」ではなく、「どう生きているのか?」が問われているのです。わたしはそれが気になります。自分の命をただ消費し、尽きておしまいにするのでもなく、戦前のような、誤った「国家主義」で「滅私奉公」「忠君愛国」でもなく、命を超えた命以上の価値を、各人が見出し、次世代に伝えていく必要があります。しかしそれはナント、人間の力では届き得ないのです。
映画では、二人は右イラストの「いずみ」で互いの心を知ります。堀辰夫の原作に劣らず、男女の純粋な愛に心を打たれるシーンです。ただそれには、菜穂子の「祈り」がありました。
最近聞いたある牧師のことば、「人は愛されて安息し、愛して満足する」とはその通りです。これは「人は神に愛されてはじめて絶対的な安息を見い出し、神を自分以上に愛してはじめて心から喜びを覚える」という意味です。願わくば親子、男女という人間の愛よりはるかに優る、神の愛という「いずみ」によって、永遠に生きる喜びがわれわれに注がれますように。 ケパ