ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

歴史の皮肉か?

2018年08月25日 | 
イスラエルに行って最初に感じることは、イスラエルというこの奇跡の国(1948年の第一次中東戦争の歴史をひもとけばわかる)、これは中東というアラブの国々の中に浮かぶ孤島のような、近代的な西洋の国であることだ。これは国づくりを主導したのが、アシュケナージと呼ばれるヨーロッパから帰還した人々であったためである。

何度も行く中、しばらくしてそれまで気づかなかった事が、ふとわかるときがある。エルサレムの土産物で「聖地巡礼マップ」を見ていて、ある時、まだ行けてない所がたくさんあることに気づくいた。
エルサレムのすぐ南に、イエスの生まれただろうベツレヘムには行けるが、最も重要な土地、ヘブロンやベェル・シェバに行けてない。北にはシェケム、サマリヤがある。(※シロだけは、この群れは毎年ではなくとも行けている)

これはそのほとんどが、PLO(ファタハと呼ばれるヨルダン川西岸自治政府)の領土内にあることに気づく。要するに観光とか、巡礼では危険なのだ。(※例外はエリコとベツレヘム)

そして現在のイスラエルの主要な部分は、かつてのペリシテ人が住んでいた地中海側の平野部分であって、残念ながら、ここにはヤッフォとカイザリヤ以外、あまり主要な巡礼スポットがない。

これはどういうことだろうか?
そう、イスラエルの住む場所がかつてと入れ替わっているのだ。旧約聖書の時代、アブラハムの子孫であるイスラエルの民は、アブラハムがそうであったように、主に羊などの牧畜を生業とする山の民であった。対するに海岸部のペリシテ人は基本、進んだ都市国家であって、鉄器を使用する先進民族であった。戦い方も戦車を駆使した進んだ集団戦法が得意であった。(古代の戦車)

これに対し首都がエルサレムという雪が降るぐらいの、最も高い山間部にあるように、イスラエル人は自分たちのフィールドである山、又は山裾でペリシテ人を迎え撃つ山岳戦が多かった。そこでは戦車や集団戦法があまり機能しないからだ。
このペリシテ人はイスラエルのカナン定着時代直前ぐらいかほぼ同時期に、ギリシャ方面から移住してきた海洋性の民族である。だから海岸部にポリス的な都市国家を築いていた。

何百年も経て、サウル王の息子ヨナタンは、山道の隘路でペリシテ人と戦って勇名をはせたのが好例である。イスラエルの初期の古戦場はだいたい山である。
ダビデの時代、王国時代になって、この宿敵ペリシテ人を圧倒。ようやくイスラエルは富強になり、このペリシテやモアブ・アンモンなどの周辺国との野戦もこなせるようになったのだ。

今のイスラエル人は海岸部や平野部に住み、山間部はアラブ人である。この逆転現象には神の計画があるのだろうと思う。



ケパ



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