ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

今日の練習は

2012年10月26日 | ゴスペル

今日は月二回のピースフル練習日。いつもは勤労市民センターの音楽室を借りて練習しますが、場所が確保出来なくて、船橋教会で練習でした・・・(失礼。昨夜はここでダウンでした。以下書き足しました。)


教会の会堂で練習はちょっと緊張するかと思ったのですが、なぜかほっとして歌えたのです。Peaceful2

練習に来られた方も、大きな声でリラックスして歌っていましたので、よかった。ここではいつも賛美しているので、そして練習曲もやすらぎの曲ですから、よいですねえ。もちろん会場代もないのがさらにGood 

 

またピースフルは会員が増し、路上ライブ、そして、いろいろな場所で歌います。いま、その為に備えて練習ですと、神さまに告白しています。ドルカス

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愛はねたむ

2012年10月25日 | 聖書

 最近ある友と親しく話す機会があって、大昔のことを思い出した。
 結婚式後、教会の大ホールで披露宴の司会を私がすることになった。二人とも再婚同士である。新郎新婦にインタビューが続く中、新郎がこんなことを言った。「えーっ、ボクは妻になった○○子さんを束縛せず、彼女なりに自由に生きて欲しいと思っています」と。

 一瞬私は「エッ」と思った。そして内心では「そりゃ違うだ
Photoろう」と思ったものだ。その時は「違う!」と思ったことをうまく説明できなかったのだが、友と話していて、今は言えることに気づいた。
 結婚とはパートナーを自由にすることではない。その反対である。生計を一つにし、食べること寝ることを共有し、財と未来を一つにすることだ。私は妻を愛しているので、妻が私以外の人と私より深い関係を持つことを容認できない。神様以外に、一番の関心相手は親よりも子どもよりも、まずパートナーでないとおかしい。そんな私は心が狭いのだろうか?いや違う。愛しているとは、互いに束縛し合い、深く関係し、一体となることを願うもの。「パートナーを自由にしたい」とは一見、心が広いようでいて、実は(未だ)愛していないことを告白しているようなものだと今はよく分かる。

 「神は愛です」とは聖書の代表的な言葉だ。その愛なる神は最愛の独り子さえ、人間のために惜しまれなかった。神自身がいのちを投げ
Commands_11出して人を愛してくださった。本当に真剣だからこそ、聖書には偶像や多神教崇拝をとがめて、次のように十戒で真っ先に神は言っている。

あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである【主】は、ねたむ神であるから。(出エジプト 34:14)

 神は本当に人を愛しておられることがわかる。    (ケパ)


 
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秋の気配

2012年10月24日 | 自然

 この夏は長く感じました。いつまでも残暑が続いて、日中は半袖でも夕方には長袖シャツでも足りないようで、それでも広島行きで秋を感じ、そして

今朝ベッドから出るのいやと思うひやっとした空気でした。 皆さんはいかかだったでしたか?

昨夜の風が北風にかわり雨が冷たく感じました。 来週からはPhoto_2イスラエル派遣。二週間後に帰ったら秋は深まって、来月末にりんごの収穫に信州に帰りますが、更に秋は初冬に移り変わるのでしょう。 東京に来てから暑さ寒さ、特に寒さに弱くなってます。信州りずっと暖かいはずなのに寒さこたえるのって、あれっ年令のせいかしらん。

写真は日曜日船橋から都内へ移動中、夕暮れの中に大きく富士山がうっすらと見えて、初めて見た風景です。思わず撮った写真ですが、ビルと重なってよく見えませんね・・・


神が万物を創られたから、このような季節もまたこれから訪れる寒い季節も、素晴らしい恵みであることを思わされます。 ドルカス

初めに、神が天と地を創造した。 ー 聖書 -

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やすらぎの歌12集が手元に

2012年10月23日 | ゴスペル

先週末「やすらぎの歌12」の歌集が届き、日曜日に教会で早速皆さんに手渡しました。
昨年もその前の年も10月末でしたが、今年は1週間早く届いて、感謝^^です。

さらにCDは来月中旬には手元に届く予定です。早く新しい歌を全曲聴きたいですね。すでに教会では礼拝で歌っているのですが、新曲を覚えるのに必死で、ITのゴスペルライブやアンテオケ教会の礼拝の中で歌われる歌を録音したり、先に売り出した楽譜で覚えたり、必死です。

ですが、うれしいことに昨年まで流れていた「ゴスペルやすらぎの部屋」インターネットラジオが再開したのです。それもリニューアルして、パーソナリティーが日替わりで毎日の放送です。やすらぎの歌を流す番組で、それぞれ選曲がさまざまで、また12集に入らなかった応募曲もあり楽しみです。ラジオは特にながらで聴けてうれしい!

19日からスタートですでに5組のパーソナリティーが紹介しています。さすがにいままで担当された御夫妻は上手に話を運び曲を紹介してましたが、他のパーソナリティーもなかなかです。10組の日替わりのITラジオが楽しみになってきました。

http://yasuragiroom.blogspot.jp/
ゴスペルやすらぎの部屋

iPhoneでも聞くことが出来るのでいいですよね。皆さんもぜひ聴いてみて下さいね。ドルカス

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秋の一日

2012年10月21日 | 随想

Photo  秋の日差しの中、良い天気がつづく。つくづく思うのは、光が美しいこと。春に比べ斜光が強いのと、空気が澄んでいる。春はまさに虫たちが蠢(うごめ)くいのちの躍動感に満ちた感じだが、秋は紅葉と光の中、静寂がある。写真は今日ではないが、数日前の一日のできごと。

 初めの写真は歯科医院での治療を終えての帰り道。ドルカスが走っているのは、蚕糸の森公園の中。光と影がきれいだった。
Photo_2

 次は帰宅した途端、コールが目に妖しいヒカリで「遊んで」と。これはケパには決してしないが、ドルカスにだけ「その腕に飛びつき噛みつく、二人だけのゲームをしよう。高いジャンプをしてボクはふり落とされないぞ」、と挑んでいるのだ。

 そんなこんなでコールと一緒に船橋に着いてみると、空にはふしぎな筋雲が一面に・・・・。「こんなの、見たことないね」
Photo_3
と二人で顔を見合わせた。

 きれいで、すてきな風景の秋の一日だった。   ケパ  

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ごみの分別

2012年10月20日 | 生活

Photo 整理屋と化したケパドル
 今年になって、立て続けに3軒の家の整理をしている。掃除もするが、そのほとんどは不要品となった家財を処分(ゴミにし、搬出する)することが中心だ。こうも1年近く続くとは、ふしぎなことだ。体力は昔ほどないが、ともかく、今や私たちはセミプロ的な力量を、つけたくもないのに身につけつつある(^_^;)

分別は大切
 そこでいつも頭を悩ますのは、「不要品をどのようにして分別するか?」だ。先の東日本大震災でも同程度の膨大な瓦礫(がれき)ながら、分別して受け入れた自治体(東松島市)としなかった自治体(石巻市)とは処分費用が7倍違うとの報道があった(環境省の廃棄物対策課の見解では、「そこまでの差は認められない」とのこと)。確かに分別すれば処理は安全で、最小の廃棄物となり、コストは抑えられる。再利用できる資源にすらなる。大切なのはよくわかる。Photo_2

しかし大変な分別
 しかし、である。だれが分別するのか?当然ゴミを出す方である。先々日には自分が40年以上前に買った大きなステレオ(右のもの)を処分したが、これが大変だった。まず一辺が70センチある大きな木箱×3をねじ回しでばらさなければならない。電動ドライバーがないので、一箱に何十本と打ち込まれているネジを手動で一本一本外さなければならない。昔の日本製はすさまじく頑丈で、しっかりとできていて、これでわたしの右ひじはかなり痛んでしまった。角にはすべて当て木と接着材処理がなされている。実に丁寧だが、バラす方としてはやっかい極まる。特にセンターのプレイヤー部とアンプ部の取り外しは、さらに各ネジを順を追って外していく。集中力と根気がいる。こうして最終的には、たくさんの木ねじを含む金属とプラスチック、板と化した木部に分別できた。こうしてはじめて処分場が受け入れてくれるのだ。そして最後に残されたのは、わたしの右ひじの治療が(^O^)必要と・・・・・・。

お願いしたいこと
 分別の一番の問題は、処分場の設備によってはビニール・プラスチック類が燃えるゴミと燃えないゴミにあちこちすることだ。リサイクルできるかどうか、またこれを高熱で燃やせるかどうかの機械の性能にもよるようだ。また木の棒とかは、長さや大きさに制限があることも、処理したりリサイクルする処分場の都合によるようだ。これを日本国内では一律にしてくれたら、どんなに覚えやすく、スムースに作業ができるのにとわたしは思う。

最後に
 私たちは生きて行くのに、モノを買わなければならない。だからモノにはこだわるのは当然だ。それはいい。しかし、必需品以外で、例えば家具、衣服、趣味のもの、書籍・・・・これらはその人が生きていればこそ価値があるものであって、その価値はたとえ子であろうと、その後はほとんど価値がなくなるものだ。自分の愛着のあるものに囲まれて暮らしたいが、しかし、それはせいぜい、ダンボ―ル数箱分にしておきたい。そのぐらいなら迷惑もゆるされる。そのように整理できるのは、生きている本人だけなのだ。自分でしておきたいものだ。
 残しておいて喜ばれるものは、処分可能な土地とお金しかない。住んでいるなら良いが、立派な家屋ですら維持管理という重い負担を後継者に課してしまう。
Photo_3  この点で国語の教科書にも載った最高の人物がいる。田中正造(右写真)である。かれは明治の足尾銅山鉱毒事件で身命を投げ出した、国会議員クリスチャンの義人であるが、彼の死後残された遺品は、ただずだ袋に聖書だけが入っていたという。天国には、神の言葉以外とその人がしたこと以外に、何も持っていくことはできない。多くのモノがあることは、天国とは反対の道である。これは自分自身に言っている。  ケパ

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blogに集中してます

2012年10月19日 | 生活

いま帰りの新幹線の中、blog書くことに集中! Photo_4

秋空の下峠の道を、いい感じでドライブ^^。青い空と雨で潤った山の木々そろそろ紅葉も始まっていて、す・て・き しかし、これはおまけなのです。(写真1枚目行く途中ダムわきの遊歩道)
実はね。広島へ来たもう一つの目的は・・・実家の掃除・片付けです。
一日は雨のため徹底して二人で一部屋が物置化
とした部屋の片付けをして、3回の運搬で400kgのゴミ+資源用ゴミ を焼却場へ運び込みました。2回目の運搬は ぎりぎりの2分遅れを持ち込みOKしてもらえ、それは感謝でした。(過去に目の前で門扉が閉まり、すごすごと持ち帰りがあったのです)。

写真2枚目山の中腹の白い建物が、「ゴミ、資源収集場のきれいセンター」
Photo_6
2回目の
すっきりと気持ち良く帰ってきた帰り道、殆ど車の走っていない峠道で、スピード取り締まりしていて、一瞬どっきりでした今回です。

持ち込むことが、いつもだったら罪悪感があるのよね。こんなに不要品があったの。溜めてしまったの。って。でも今回は徹底して分類したのでなんかすっきりしてます。
すべて焼却するのではなく、再生品に使われる。きちんと分類したら、
1Kあたり35円の違いがあることもわかり、おかげで今回は400kのごみの為の出費は3195円
Photo_7
だからの持ち込み終わった時の余裕のドライブ。
ゴミ焼却場は、山の中にあってね。道中にはダムがあり公園がありの、素晴らしい自然の道を走るのです。ケパさんの実家からなんと、30分は必要なのです。もちろんちょっとスピードだしての距離だから^^
 今回はぎりぎりセーフもあったのだけどね。

(写真3枚目吉田町へ帰り道)

次回訪れるのは来春です。また、時間が取れますようにと祈ります。ドルカス

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孫が来た

2012年10月16日 | 感謝

S  広島に帰って、半年ぶりに姉、義兄に会った。さらに姪と姪の子(生後半年で)亮くんがちょうど来ていたので、タイミング良く会えた。姉夫婦にとっては初孫なので、うれしくて仕方がない(上写真)ようだ。特に義兄はすでに70代、姉も60半ばにしてのジジババなので感慨も深げだった。ドルカスもかわいい赤ちゃんを抱いてご満悦。みんな幸せな気分になった。

 ところでその中で、姪が私を「おじさん」と言っていたが、子の亮くんはおじさんをどう呼べばいいのだろう?と言うことになった。一同「う~ん」と考え、一呼吸おいて、「やっぱ、おじ
Photoいちゃん」としか言いようがないと言うことになった。確かに「おじいちゃん(^_^;)」には違いないムムム・・・。でも他に言い方はないのでしょうかねえ・・・・・。「ケパじいちゃん」以外に。     ケパ

 
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乗り継いで

2012年10月16日 | 生活

 今私たちは新幹線に乗っている。以前から広島行きを祈っていたが、イスラエル派遣を前にさらに休みは取れないと思って諦めていた。
 が、先週ひとりの姉妹が、家族で祖母を見舞う計画が出
Photo_8来たけれど、水曜礼拝は欠かしたくない。だから家族との事をキャンセルしようかと言ってきた。水曜日は礼拝後、学びの時と祈祷会が開かれているが、それに加わっているもうひとりの姉妹も、もしお休みになるのだったら、やらなければ行けない仕事があるので都合がいい、と言うのです。

 主よ感謝します。ケパさんが急いで予定の日程に格安料金の交通手段はないか探して、今日実現してます。1泊付けるプランで、通常の半額以下の料金。

Photo_9
 早朝7時に家を出ていま、新大阪からは山陽線と乗り継ぎ、あと1時間ほどしたら広島に着く。

朝からの断食で、おなかはペコペコ。着いたらまずあの美味しい店の「お好み焼きね」と、広島着を楽しみにする。

 年老いた母にせめて年に2~3回は訪ね、今回は息子だとわかるだろうかと思いながら、祈りたい。そう願うケパさんと共に来れたこと、神さま感謝します。今日から金曜日まで広島ですごします。  ドルカス

PS  しかし、広島はなんと遠いのだ・・・・この新幹線の利用する乗客がすでに3回ほど入れかわったのです。そして私たちの降りる広島でも、博多までの利用者が乗る。

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たった一つの希望

2012年10月14日 | 随想

    朝、目が覚めるとコールがすぐそばで熟睡していた。可愛いので優しく撫でたりすると、コールもされるまま、良い子だったが、しばらくすると豹変、私の足を突然噛む。噛み方は怒って噛むと言う風ではなく、何となくサインを送る風である。Call110208arm

   「痛いじゃないか!」と即座に反応する私。しかし、なかなか噛むのを止めてくれない。止めないのでだんだんとこちらは怒りモードに・・・。
    これを見ていた元猫屋敷の主人にして、ニャン道の達人のドルカスが、「キャットフードが欲しいんじゃない?」とアドバイス。やむなく起きてコールに食事を出してやると、ドルカスの言ったその通り、コールはムシャムシャ飛びついた。「ようやく通じた」とばかりに喜んで。

   
 う~ん参った。ふと人間関係もこれと同じでは?と気付かされた。人間関係の多くのトラブルが、素直でない相手の行動や言動の意図を、正しく読み取れないで起こることを。

    自分が余裕のないアップアップの状態だったり、平素から自己中心の傾向があれば、人間関係をうまく築けず、挫折した人生となりやすい。ところがそれが分かっていても自分を変える、これが至難の技である。私の体験では失敗ばかり、お手上げだった。なにしろ自分が可愛いし、特に被害者意識を持っていると、なお自己変革は絶望的だ。

    ところが唯一成功体験がある。イエス・キリストに出会い、十字架の愛に触れたことだ。ある朝、神がどれほど自分を愛してくださっていたか、神自らが語ってくださった。超不思議な体験である。私はあまりのことに、ボロボロになった。神のその愛に喜んで自分を明け渡し、捧げた。神に自分を委ね捧げたので、私は神のものになった。すると、神さまがサタンに代わって私の主になり、神さまに従う人生になった。これをBorn again(生まれ変わり)と言う。人は結局、賢く自分で生きようとしても、自分の欲、肉欲に囚われているので、サタンに属しCross_09支配されている。神かサタンのどちらかに従って生きるしかないのが、人間である。それならば、神に拠って生きることが絶対の幸せである。あなたも、どうか神を求め、神を体験してほしい。

 私は心の浮き沈みから完全に解放された。嘘が言えなくなった。気がついたら何ヶ月も、一滴の酒も飲まないで済んでいた。何よりも神に愛されている幸せに、心が浮き立つ。これは死ですら奪うことができない喜びだ。  ケパ

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