Happyday of LUCKY

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Y浅マジックふたたび

2011年02月12日 | Photography


きょうは5ヶ月ぶりにSIGNの写真茶話会へ行く。
前回の茶話会で12枚に仕分けされたネパールの写真につづく写真を、今回は21枚用意した。
撮影場所はカンボジアであったり、ニューヨークであったり、はたまた家の近くであったりとさまざまだが、通奏低音として響いている音色は同じだ。
写真の右下に印字された場所を読まなければ、それがいったいどこで撮影されたものかはほとんどわからない。
つまりわたしの写真はその場所の記録ではないということ。
では何の写真なのか。



じつはY浅さんに指摘されるまで、自分では場所の記録だと思って撮っていた。
たしかにそういう写真もあるにはあるが、前回そういった写真はことごとく外されて、さいごに残ったのは場所性を感じさせないものばかりであった。
だがそこに残った写真群を見て、自分が本当に見たかった風景(あるいは人物)はこれなんだと再認識し、胸のつかえがすっと消えたような気がしたのだ。
写真を撮るという行為はふしぎだ。
自分でも気がつかないうちに自分の見たいものを撮っている。
でもそれを読み解くカギがないと、気がつかないまま埋もれてしまう場合だってありうる。
いやそんな場合の方が多いかもしれない。



結局わたしは自分の快楽のために写真を撮っているということ。
美しい風景をファインダー越しに覗いてフレーミングする目の快楽であり、シャッターボタンを押した指の快楽であり、カメラを操作した手や頭の快楽であり・・・インクジェットプリンターから出力されたプリントを手にする快楽。
そんなことだけで写真行為って成立するのか、という人もいるだろう(わたし自身がそう思っていた)が、どうやら成立するようである。
仕事の写真を自分の快楽だけで撮るのは自殺行為だけど、プライベートな写真は好きなように撮ればいい。
まさに関心のあることだけにカメラを向けシャッターを切ればいいのだ。



[きょうの夕食]
妻と近所の飲み屋でのむ。

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3 コメント

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お邪魔します (硬派銀じ郎)
2011-02-13 16:05:52
昨日はありがとうございました。

ラッキーさんのブログを読ませていただきました。茶話会だけでは知り得ないものが…。
楽しいですね。

夕食は、すごい。
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いらっしゃいませ (ラッキー)
2011-02-13 17:29:47
こちらこそありがとうございました。
きのう硬派銀じ郎さんが並べられた写真たちが、Yさんの示す「カギ」によって並べ替え作業をし、さいごにまったくちがった見え方になったことに驚きました。
はやく本になったものを拝見したいです。
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自分が本当に見たかった風景 (Y.B.M)
2011-02-14 01:44:11
いい表現だと思います。それがラッキーさんのカギですよ。
そしてもうひとつ言っておくと、よりご自身に刺激があった場所のほうが確率が高いみたいです。
ですからあえてどこかに足を運ぶ、何かに出会うというプロセスは、ラッキーさんの作品には必要なのかもしれません。

近々カメラのことで相談させてください。
ラッキーさん方式で、いらないものを処分して必要なものを手に入れようと決心しました。
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