きょうは奈良の自主研究サークル・写真茶話会RRの「楽しむ写真・六人の視点」展を見にいく。
場所は主宰者SIGN邸のすぐ近く、Quadrifoglio CAFFEの1階にあるギャラリーだ。ちなみにクアドリ・フォリオとはイタリア語で「四つ葉のクローバー」を意味する。
今年のRR展のテーマは「楽しむ写真」。ああ写真をたのしんで撮るってことね。
ところがじつはそうではなく、写真そのものを一人称として捉えて、「写真さん」自身がたのしむ写真だという。意味わかる?
わたしの理解はこうだ。
カメラが生まれて約190年が経過するが、この間、人類がカメラを通して見てきたシーンは良きにつけ悪しきにつけ、最もダイナミックな人類の歴史であった。写真というものを擬人化すれば、「写真さん」こそがその生き証人である。
写真さんは人類のさまざまなシーンを見てきたし、いまも見つづけている。だが最近、彼(彼女?)は日常のあらゆる場面に借り出され大忙しである半面、そのたのしみ方がせまく固定化されてきたことに悩んでいる。
写真さんはもっといろいろなものを見たいし、たのしみたいと願っている。その願いをSIGN氏が叶えようという企画がこのRR展なのだ。
写真の本質は「記録し伝える」ことだ。その主語は「感動」である。だとすればカメラを操作する人間側にもそれなりの感性や覚悟が必要だろう。
きょうは職場の上司と寿司屋に来てますとか、彼氏とディズニーシーに来ましたとか、ナンバでサヤ姉見かけました、みたいな写真をいくら撮っても見る人の心には届かないし、それは感動からは遠いものにしかならない。
さて前置きが長くなったが、RR展に展示されている写真たちは非常に密度のあるステキな作品であった。
6人それぞれの作家が1年以上かけて撮ってきた写真を「楽しむ写真」という視点で選び抜いたものなので、それぞれに伝わってくるものがある。
とりわけイケモトタツヤ氏の作品にわたしはとても感動した。彼の作品は自分の仕事のようすを丹念に記録し、それを何冊ものフォトブックに丁寧にまとめている。「いつ仕事してるの?」というツッコミを入れたくなるほど、その写真群は臨場感にあふれ力強く、しかも写っている被写体(多くは人物)にとって意味のある局面を的確に切り取っている。これはもう写真家の仕事である。
一人称の「写真さん」がたのしみたいと願っていたものがイケモト氏の写真には宿っている。そしてそれは見た人の心にも確実に伝わってくる。写真のもつ力をまざまざと見せつけられた気がする。
この写真展の会期はきょうまでだが、カフェのオーナーのご好意でつぎの展覧会までは作品をそのまま展示しておくらしい。今回見ることができなかった人は、たとえば二上山に登るついでに見ることは可能だ。
Quadrifoglio CAFFEのHPはこちら
場所は主宰者SIGN邸のすぐ近く、Quadrifoglio CAFFEの1階にあるギャラリーだ。ちなみにクアドリ・フォリオとはイタリア語で「四つ葉のクローバー」を意味する。
今年のRR展のテーマは「楽しむ写真」。ああ写真をたのしんで撮るってことね。
ところがじつはそうではなく、写真そのものを一人称として捉えて、「写真さん」自身がたのしむ写真だという。意味わかる?
わたしの理解はこうだ。
カメラが生まれて約190年が経過するが、この間、人類がカメラを通して見てきたシーンは良きにつけ悪しきにつけ、最もダイナミックな人類の歴史であった。写真というものを擬人化すれば、「写真さん」こそがその生き証人である。
写真さんは人類のさまざまなシーンを見てきたし、いまも見つづけている。だが最近、彼(彼女?)は日常のあらゆる場面に借り出され大忙しである半面、そのたのしみ方がせまく固定化されてきたことに悩んでいる。
写真さんはもっといろいろなものを見たいし、たのしみたいと願っている。その願いをSIGN氏が叶えようという企画がこのRR展なのだ。
写真の本質は「記録し伝える」ことだ。その主語は「感動」である。だとすればカメラを操作する人間側にもそれなりの感性や覚悟が必要だろう。
きょうは職場の上司と寿司屋に来てますとか、彼氏とディズニーシーに来ましたとか、ナンバでサヤ姉見かけました、みたいな写真をいくら撮っても見る人の心には届かないし、それは感動からは遠いものにしかならない。
さて前置きが長くなったが、RR展に展示されている写真たちは非常に密度のあるステキな作品であった。
6人それぞれの作家が1年以上かけて撮ってきた写真を「楽しむ写真」という視点で選び抜いたものなので、それぞれに伝わってくるものがある。
とりわけイケモトタツヤ氏の作品にわたしはとても感動した。彼の作品は自分の仕事のようすを丹念に記録し、それを何冊ものフォトブックに丁寧にまとめている。「いつ仕事してるの?」というツッコミを入れたくなるほど、その写真群は臨場感にあふれ力強く、しかも写っている被写体(多くは人物)にとって意味のある局面を的確に切り取っている。これはもう写真家の仕事である。
一人称の「写真さん」がたのしみたいと願っていたものがイケモト氏の写真には宿っている。そしてそれは見た人の心にも確実に伝わってくる。写真のもつ力をまざまざと見せつけられた気がする。
この写真展の会期はきょうまでだが、カフェのオーナーのご好意でつぎの展覧会までは作品をそのまま展示しておくらしい。今回見ることができなかった人は、たとえば二上山に登るついでに見ることは可能だ。
Quadrifoglio CAFFEのHPはこちら
なるほどなるほどと読ませて頂き、そしてそこからオートバイとの共通性も感じました。
バイクの本質は「走り移動する」ことだけど
尽きぬように駆り出されるニューモデル達の多くは生まれながらにして本来走るべき相応しい場所がこの島国には無い場合がほとんど
オートバイさんは此処こそが自分の働き所だともっと張り切りたいのだ、数少ないフツーのオートバイであるSR
は決して快適とは言えない日本の交通事情でも共に働き甲斐を示してくれる相棒である。
ではまた
SRくんは日本の道路でもそれなりに楽しめる希有なバイクですね。
「たのしむバイク」というテーマで日本のバイクを見わたすと、なかなかそれに合うものがないのが悲しいです。
結局、パワーよりもフィーリングが大切だと思います。いま、気になってるのはロイヤルエンフィールドです!