満を持して、きのう発表となったニコンDfであるが、このカメラの開発は2009年夏からはじまっている。
じつに4年の歳月を経て、わたしたちのまえに現れ出た。
開発室長の後藤哲朗氏によると、いまやカメラ産業は旧来のカメラメーカーだけでなく、家電メーカーも参入し、魅力的な商品をつぎつぎに出してきている。そんな流れのなかで、ニコンらしい独自性を出すようなカメラをつくろうと企画したのがこの「Df」だという。
当初は社内にも「後ろ向き」「アナクロ」「そんなに暇ならもう1機種つくれ」などと反対意見もあったとか。
また、震災によって仙台工場が操業できなくなったり、新機種(D4)の開発もあったりで、紆余曲折を経てようやく完成したわけである。
工業製品の開発ってこんなに時間がかかるんだね。
ところで、ニコンのカメラを見渡してこのDfの立ち位置を考えたとき、どうしても比較してしまうのはライカのカメラである。
現在ライカ社は軸足をデジカメに移してはいるが、フィルムカメラもまだ製造しており、ほぼすべての機種に対して調整や修理も行なっている。たとえばわたしの使っているM2(1962年製)というカメラも、メンテナンスが可能。
こんなアフターケアができるのは、マイスターと呼ばれる職人たちの技術が長年にわたって継承されているからであるが、同時にM型ライカの形がほとんど変わらずに進化してきたからでもある。
つまりM3の登場以来、距離計やシャッターユニットや巻き上げレバーなど、ほとんどの部品が同じもので、未だにその供給ができるからこそのサービスだということだ。(機種ごとに細かいちがいはあるので、すべての部品が同じというわけではありません)
そんな頑固一徹なライカ社もデジタルの波に逆らうことはできず、M7までつづいたフィルムカメラの路線を、2006年からデジタルカメラへと大きく舵を切った。M8の登場である。
いま、あらためてM8を見ると、レンズマウントが同じだというだけで、中身はまったくちがうカメラなのに、よくぞここまで従来のM型に似せて(?)つくれたものだと思う。
M2と並べてみると、それはよりはっきりするだろう。
M8が出た当初、「ボディが分厚くなって持ちにくい」などとオールドライカファンには不評であったが、こうして比べてみるとほとんど変わりがないように見える。
おどろいたことにボディの幅は137ミリでまったく同じ。高さが4ミリ、厚さが5ミリ増しただけだ。
上面にあるのはシャッターボタンとシャッターダイヤルだけというシンプルさ!(丸い窓は撮影できる枚数とバッテリー残量が表示されます)
背面のボタンやダイヤル類もたったこれだけで、設定できるメニュー内容はとても少ない。使用説明書がなくても、なんとかなりそう。
要するにカメラの操作で大切なのは露出(絞り値とシャッタースピード)、ピント、フレーミングの3つだけということを、M8は教えてくれる。
そしてその主張はライカというカメラが生まれたとき(1923年)からまったく変わっていないのだ。
話をニコンDfに戻そう。
ライカM8と比べると、えらくごちゃごちゃと付いているように見えるが、絞り環とシャッターダイヤルで露出を決定するのはライカと同じだ。(もちろんオート露出も使えますが)
ピントはマニュアルで合わせてもよし、わたしのように視力の弱ってきた人はオートフォーカスを使うもよし。
あとは視野率100パーセントのファインダーで、心ゆくまでフレーミングをたのしんでください、というのんびりした撮影スタイルがライカと一脈相通ずるところがある。
旗艦機D4とほぼ同じスペックを持っていながら、それは内側に秘め、写真を撮る本当のたのしさを味わうためにこのDfは生まれた。
仕事とは完全に切り離して、たとえばこのカメラ1台だけ持って旅をするというのが似合いそうだな。
じつに4年の歳月を経て、わたしたちのまえに現れ出た。
開発室長の後藤哲朗氏によると、いまやカメラ産業は旧来のカメラメーカーだけでなく、家電メーカーも参入し、魅力的な商品をつぎつぎに出してきている。そんな流れのなかで、ニコンらしい独自性を出すようなカメラをつくろうと企画したのがこの「Df」だという。
当初は社内にも「後ろ向き」「アナクロ」「そんなに暇ならもう1機種つくれ」などと反対意見もあったとか。
また、震災によって仙台工場が操業できなくなったり、新機種(D4)の開発もあったりで、紆余曲折を経てようやく完成したわけである。
工業製品の開発ってこんなに時間がかかるんだね。
ところで、ニコンのカメラを見渡してこのDfの立ち位置を考えたとき、どうしても比較してしまうのはライカのカメラである。
現在ライカ社は軸足をデジカメに移してはいるが、フィルムカメラもまだ製造しており、ほぼすべての機種に対して調整や修理も行なっている。たとえばわたしの使っているM2(1962年製)というカメラも、メンテナンスが可能。
こんなアフターケアができるのは、マイスターと呼ばれる職人たちの技術が長年にわたって継承されているからであるが、同時にM型ライカの形がほとんど変わらずに進化してきたからでもある。
つまりM3の登場以来、距離計やシャッターユニットや巻き上げレバーなど、ほとんどの部品が同じもので、未だにその供給ができるからこそのサービスだということだ。(機種ごとに細かいちがいはあるので、すべての部品が同じというわけではありません)
そんな頑固一徹なライカ社もデジタルの波に逆らうことはできず、M7までつづいたフィルムカメラの路線を、2006年からデジタルカメラへと大きく舵を切った。M8の登場である。
いま、あらためてM8を見ると、レンズマウントが同じだというだけで、中身はまったくちがうカメラなのに、よくぞここまで従来のM型に似せて(?)つくれたものだと思う。
M2と並べてみると、それはよりはっきりするだろう。
M8が出た当初、「ボディが分厚くなって持ちにくい」などとオールドライカファンには不評であったが、こうして比べてみるとほとんど変わりがないように見える。
おどろいたことにボディの幅は137ミリでまったく同じ。高さが4ミリ、厚さが5ミリ増しただけだ。
上面にあるのはシャッターボタンとシャッターダイヤルだけというシンプルさ!(丸い窓は撮影できる枚数とバッテリー残量が表示されます)
背面のボタンやダイヤル類もたったこれだけで、設定できるメニュー内容はとても少ない。使用説明書がなくても、なんとかなりそう。
要するにカメラの操作で大切なのは露出(絞り値とシャッタースピード)、ピント、フレーミングの3つだけということを、M8は教えてくれる。
そしてその主張はライカというカメラが生まれたとき(1923年)からまったく変わっていないのだ。
話をニコンDfに戻そう。
ライカM8と比べると、えらくごちゃごちゃと付いているように見えるが、絞り環とシャッターダイヤルで露出を決定するのはライカと同じだ。(もちろんオート露出も使えますが)
ピントはマニュアルで合わせてもよし、わたしのように視力の弱ってきた人はオートフォーカスを使うもよし。
あとは視野率100パーセントのファインダーで、心ゆくまでフレーミングをたのしんでください、というのんびりした撮影スタイルがライカと一脈相通ずるところがある。
旗艦機D4とほぼ同じスペックを持っていながら、それは内側に秘め、写真を撮る本当のたのしさを味わうためにこのDfは生まれた。
仕事とは完全に切り離して、たとえばこのカメラ1台だけ持って旅をするというのが似合いそうだな。