元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ヤンクス」

2018-10-07 06:50:02 | 映画の感想(や行)
 (原題:YANKS )80年作品。肌触りの良い映画だ。戦時中を舞台にして、いわゆる反戦テイストも盛り込まれているのだが、描写自体は静かである。声高な展開を望む向きには受け容れられないだろうが、これはこれで評価出来よう。

 連合国側が攻勢を強めた第二次大戦末期、ヨーロッパ戦線にも多数の米軍兵士が送り込まれた。イギリス北部のヨークシャー州ステーリーブリッジの町にも、他の町同様に米軍が進駐していた。彼らはもちろん“ヨーロッパの解放”という名目でやって来ているのだが、一般の市民は彼らをヤンクス(アメ公)と呼び、決して諸手を挙げての歓迎はしていない。それでも、米兵と現地の女性との間の色恋沙汰は存在した。



 アリゾナ出身の炊事兵マットは、雑貨屋の娘ジーンと知り合い恋に落ちる。彼女も戦地に赴いている婚約者がいるのだが、それでも身近に好いてくれる男がいれば気にせずにはいられない。夫を戦場に送り出した主婦ヘレンは、妻子を残して赴任している米将校ジョンと懇ろになる。マットの同僚ダニーとバス車掌のモリーとの仲も、日増しに深くなっているようだ。しかしやがて戦争が終わると、彼らは辛い現実に直面し、米兵も町を去ることになる。後に「炎のランナー」(81年)のシナリオを手掛けるコリン・ウェランドの原案によるドラマだ。

 アメリカとイギリス、それぞれの国民性と、前線にいる者と銃後の守りにつく者達との格差の扱いが興味深い。ステーリーブリッジの住民が戦争で辛酸を嘗めるのは、決して米兵のせいではない。それでも親族を失った者は、米軍に八つ当たりする。その有様は観ていて辛い。

 戦闘シーンがあるわけではないが、戦争が一般国民の生活に入り込む不条理を過不足無く示しているのはポイントが高い。マットとジーンとの関係は良く描けており、特にラストの扱いは痛切だ。

 ジョン・シュレシンジャーの演出は丁寧で、余計なケレン味を抑えて淡々とストーリーを追っている。マット役のリチャード・ギアとジーンに扮するリサ・アイクホーンは、実に絵になる顔合わせだ。ヴァネッサ・レッドグレイヴやウィリアム・ディヴェイン、レイチェル・ロバーツといった面々もいい仕事をしている。そして特筆すべきはディック・ブッシュのカメラによる英国の風景。深い色合いで、とても美しい。味わいのある佳作である。
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「ユーズド・カー」

2018-08-05 06:43:15 | 映画の感想(や行)

 (原題:USED CARS )80年作品。ロバート・ゼメキス監督の初期作品だが、後年アカデミー賞を取るほどに“出世”した彼からすれば、本作はもはや思い出したくもない“黒歴史”になっているのかもしれない(笑)。それほどこの映画はグダグダで、質的には語るべきものはない。ただ、向う見ずな勢いだけはあり、ところどころに面白いモチーフは散見される。その意味では、存在価値ナシと片付けるのも早計だろう。

 アリゾナ州フェニックスの郊外で道を挟んで建つ2軒の中古車販売会社は、互いに熾烈な販売競争に明け暮れていた。その一つであるニューディール中古車販売の社員ルディは、将来政治家になりたいという野望を抱いており、選挙資金を貯めるために積極的なセールスを敢行。そんな中、社長のルークが心不全で急逝してしまう。

 困った社員たちは、社長が長期休暇に入ったことにして、好き勝手に仕事を始める。だが、そんな時に10年間行方不明だったルークの娘バーバラが突然帰宅する。真相を知った彼女は、怒って全員を解雇。自分が社長を継ぐことにする。その隙をついて道向かいの業者の社長ロイ(実はルークの弟)が、あくどい方法でバーバラを窮地に追いやる。以前より彼女を憎からず思っていたルディは、ロイに敢然と立ち向かう。

 出てくる連中が、いかにもアメリカの地方在住者らしく、良く言えば皆ノンビリとして、悪く言えば能天気で垢抜けない。そんな奴らが巻き起こす珍騒動も、別に興味を覚えるようなものではない。この映画を観る直前に、たまたま“アメリカの中古車屋は実にいい加減だ”みたいな記事を偶然雑誌で見かけたので、さもありなんという感じである。

 ゼメキスの演出はテンポが悪くてパッとしない。それでも、ルディが宣伝のために電波ジャックを実行し、一般家庭のテレビにお下劣な画像が流れるシーンは笑えたし、ロイの陰謀を打ち砕くために、大量の車が店舗に突入する場面はちょっとした見ものだった。そしてラストのオチには思わずニヤリだ。

 主役は若き日のカート・ラッセルで、抜け目ないキャラクターを楽しそうに演じている。ルークとロイの一人二役を引き受けるジャック・ウォーデンも、さすがの海千山千ぶり。ただ、残念ながらそれ以外のキャストは精彩を欠く。なお、製作総指揮にスティーヴン・スピルバーグとジョン・ミリアスが名を連ねているのが(今から考えると)何とも場違いでスゴい(^^;)。
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「黄泉がえり」

2018-05-25 06:20:18 | 映画の感想(や行)
 2003年東宝作品。熊本の阿蘇地方で突如死んだ者がよみがえり始めた。しかも当時の姿のまま数百人規模で。厚生労働省の調査員である主人公は真相を解明するために故郷・阿蘇に戻ってくる。熊本在住のSF作家・梶尾真治の同名小説(私は未読)を映画化したファンタジー。監督は塩田明彦。

 「どこまでもいこう」(99年)「害虫」(2002年)などで知られる塩田監督は子供やティーンエイジャーの扱い方が素晴らしくうまい。この映画でも老母の前に現れる幼い頃死んだ息子や、20代の男の前に現れる「年下の兄」などにまつわるエピソードは情感豊かで心に滲み入るものがあるし、自殺した男子中学生とガールフレンドとのくだりなんかは泣けてくる。



 ところが肝心の主役二人がまったくダメ。草なぎ剛は官僚どころか勤め人にも見えないし、もとより大根の竹内結子の演技など全く期待出来ない。たぶんそれまでマイナー系作品しか手掛けていなかった塩田監督には、こういう(おそらく監督自身が望んだキャスティングではなく、しかもあまり上手くない)当時の若手人気タレントの扱い方に慣れていないのだろう。

 意図的なカメラの長廻し等、何とか監督のペースに合わせようと努力はしてみるものの、最後まで精彩を欠いたままだ。クライマックスは竹内の死んだ元恋人をよみがえらせるのどうのという話になるが、それまでの二人の扱い方がイマイチ決まらないためほとんど盛り上がらない。

 しかも、舞台となる野外コンサート会場---柴咲コウ(本作では歌手としてのRUI名義で出演)の歌が延々と必要以上に流れる---の描き方がテレビドラマ並みにショボく、観ていて面倒くさくなってしまう。さらに悪いことに、オチが読める(暗然)。

 真相を明らかにしない不可思議なファンタジーとしては水準はクリアしているが、同じようなネタの大林宣彦監督「異人たちとの夏」(88年)の後塵を拝しているのは確かであろう。ただ、公開当時はヒットを記録し、3か月以上のロングランを達成した。一説にはSF色の強い原作を大幅に改変し、メロドラマに仕立てたおかげと言われている。
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「山猫は眠らない」

2018-05-12 06:25:21 | 映画の感想(や行)

 (原題:SNIPER)92年作品。比較的低予算の小品だが、キレのいいアクション編で楽しめる。特に、使用される銃火器類、およびその扱い方に対しての粘り着くような描き方は、その手のマニアにとってはたまらないだろう。また、甘さを押し殺したダンディズムの造出にも抜かりは無い。

 米軍のベテラン狙撃手であるトーマス・ベケットは、パナマとコロンビアとの国境近くのジャングルで、若手軍人のリチャード・ミラーと共に麻薬組織のボスであるオチョアと政権を狙うアルバレス将軍を“始末”する指令を受ける。将軍の農園に忍び込んだ2人はオチョアを仕留めることには成功するが、敵の逆襲を受けて将軍は取り逃がしてしまう。一度は撤退した2人だったが、そこへ武装ゲリラが現れ、ベケットを拉致する。恐怖に負けそうになっていたミラーだが、何とか自分を取り戻し、ベケットを救うために単身農園に乗り込む。

 ライフルから発射される銃弾をアップでとらえたショットが挿入されるが、これがなかなか効果的だ。別に手法としては新しくはないが、それでも観る者の目を奪うのは、グダグダ台詞を並べるよりも一発の銃弾で全てを語ってしまうようなドラマの組み立てが成されているからだ。それらが表現するものは、ベケットのプロとしての矜持、そしてミラーの意地である。

 ライフルに取り付けられたスコープから覗く映像の扱いに至ってはさらに顕著で、一発で標的を捉えるベケットの視線に対し、ミラーは逡巡する。だが、やがて迷いがなくなるあたりにミラーの成長を暗示させる段取りはさすがだ。もちろん、やたら長い回想シーンが挿入されることや、蕩々と作戦の概要が述べられることも無い。また、ベケットの首にぶら下がっている相棒たちの形見である認識票の束や、彼が捕らえられる前に砂の中に落としていく最後にひとつ残った弾丸など、小道具の処理も上手い。

 ルイス・ロッサの演出は淀みがなく、1時間40分というタイトな上映時間も相まって、凝縮されたドラマを堪能出来る。主演のトム・ベレンジャーとビリー・ゼインは好演。“ベテランと若手”という組み合わせは定番ながら、決してマンネリに陥らないパフォーマンスを発揮している。ビル・バトラーのカメラが捉えた密林の濃厚な風景も良い。
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「許されざる者」

2018-03-09 06:32:51 | 映画の感想(や行)

 (原題:UNFORGIVEN)92年作品。前から何度も言っているが、私はクリント・イーストウッドの監督作品を良いと思ったことは(わずかな例外を除いて)無い。何やら視点の定まらない、雰囲気だけに終わっている映画ばかりで、何が言いたいのか、作家としてのアイデンティティはどこにあるのか、まるで不明確。

 この「許されざる者」はアカデミー作品賞を獲得しているから観ただけで、本来は敬遠したい作品だったのである。観終わって、イーストウッドの監督作としてはマシな部類だとは思った。とはいっても封切り当時に評論家が言っていたように“渋味あふれる傑作”とか“西部劇の美しき黄昏”といった賛辞は全然浮かばない。美しい映像と、ジーン・ハックマンやモーガン・フリーマン、ジェームズ・ウールヴェットなどの脇役の演技の達者さに感心しただけで、それ以上の感慨はない。

 善玉悪玉が判然としないのが大昔の西部劇とは違う点だろう。イーストウッド扮する主人公マニーは正義を実行するつもりで街に入ったのだろうが、賞金をかけた女将からして私怨に走っただけであり、暴君の保安官にしても暴力を締め出すために適切な方法をとっていると言えなくもない。牧童たちは娼婦の不用意な一言にカッとなってバカなことをしたものの、反省しているようだ。第一、マニーはかつて女子供も容赦しなかった悪党であり、ラストには残虐さを見せる。

 これを、現代アメリカ社会を象徴していると深読みするのは易しい。つまり、正義という概念が崩れ去り、誰かの正義は他の誰かにとっての不正義で、大義名分を掲げた暴力が横行するといったような・・・・。しかし、それがどれほどイーストウッドの製作意図に反映されていたかは疑問である。

 彼はとにかく自分を育ててくれた西部劇にオトシマエをつけようとしたのであり、別れを告げているに過ぎないのだと思う。イーストウッドの映画としては珍しくテーマがはっきりしている点は、一応評価してもいいと思う。やたら暗くて興奮もアクションもない撃ち合いのシーン(正直言って、気が滅入る)、馬にも上手く乗れず、生ける屍みたいな青白いマニーの様子からしてそれは明らかだと思う。

 しかし、考えてみると、“西部劇の終わり”なんて、サム・ペキンパーの「ワイルドバンチ」などに代表されるように70年代までにすでに十分描かれていたのである。この時点でやる必要があったか、すこぶる疑問だ。作者の個人的趣味に過ぎないとも言えよう。印象は観る人によってさまざまだと思うが、私としてはプッシュしたい作品ではない。
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「妖獣都市」

2017-11-24 06:40:58 | 映画の感想(や行)
 87年作品。「バンパイアハンターD」(2000年)などで知られるアニメーション監督、川尻善昭の実質的なデビュー作。表現方法は少々どぎついが(笑)、なかなか見せるシャシンではある。菊地秀行の同名小説(私は未読)の映画化だ。

 電機メーカーに勤める平凡な若手サラリーマンの滝蓮三郎には、別の顔があった。それは現実世界と魔界とのバランサーとして働く、闇ガードと呼ばれるエージェントだ。2つの世界の戦いは有史以来続いてきたが、ここにきて秘かに不可侵条約が結ばれる。



 その調印式のため、イタリアの伝道士ジュゼッペ・マイヤーが日本に招かれ、その護衛を蓮三郎と魔界側の闇ガードである麻紀絵が受け持つことになる。だが、この調印を阻止するため、魔界の過激分子は次々と刺客の妖獣を送り込み、蓮三郎と麻紀絵は激しいバトルを展開するハメになる。だが、一見好色で軽佻浮薄なジュゼッペ爺の真意は別のところにあった。

 残念ながら、蓮三郎にはあまり“愛嬌”がない。ニヒルなプレイボーイを気取ってはいるが、25歳という設定のせいか、突っ張ってばかりで余裕が感じられないのだ。これが一回り上の年齢ならば、多少のオヤジ臭さを加味しつつも(爆)スマートに振る舞えただろう。

 しかし、相手役の麻紀絵の造型は良く出来ており、セクシーでグラマラスながら、弱さと可愛らしさをも兼ね備えている。スケベなジュゼッペの言動も愉快だし、何より魔界の首魁および妖獣達の扱いには非凡なものを感じる。つまりは、幾分頼りない主人公を周りのキャラクターがしっかりカバーしており、鑑賞に堪えうるレベルに押し上げているのだと思う。

 川尻監督の仕事ぶりは実に達者で、メリハリの利いたスピード感はグロい描写も不快にならない。そして艶笑ギャグもしっかり入っていて、飽きさせない。アクションシーンもソツなくこなしている。終盤のストーリーの扱いはいたずらにカタストロフに陥らず、“前向き”な姿勢を見せているのも悪くない。東海林修の音楽と当山ひとみによる主題歌、そして屋良有作や藤田淑子、永井一郎、横尾まりら声優陣も頑張っている。
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「夜明けの祈り」

2017-08-21 06:22:22 | 映画の感想(や行)

 (原題:LES INNOCENTES)こういう宗教ネタを前面に出した映画は、個人的には評価を差し控えたいのだが、主演女優の存在感と映像の美しさで何とか最後までスクリーンと対峙することが出来た。また歴史の一断面を知ることが出来るという意味では、観る価値はあると言える。

 1945年12月、ポーランドの寒村。フランスから派遣された若い女医マチルドは、赤十字で医療活動を行っていた。ある日、村の修道院のシスターが切羽詰まった表情で助けを求めてやってくる。マチルドは担当外であることを理由に一度は断るが、寒風の吹く野外で何時間も祈りを捧げている彼女の姿に心を動かされ、現場に出向いてみる。修道院では、7人の修道女がソ連兵の蛮行によって身ごもってしまい、何人かは出産間近だという。マチルドは医者としての使命感により、彼女達を助けようとする。だが、宗教的戒律が彼らの行く手を阻む。第42回仏セザール賞にて主要4部門にノミネートされている。

 確かにソ連兵の暴挙は許せない。しかし、彼女達の行動は理解しがたいものがある。苦しんでいるのに、なぜか外部に助けを求めることを躊躇する。一人の修道女の知らせによってマチルドはこの事件を知るのだが、修道院内には最後までマチルドに対して心を開かない者もいる。しかも、彼女達はこの試練を“神の意志”だとして受け入れようという向きもある。あと、ポーランドの医者に診せてはいけないと主張する修道女もいるのだが、そのあたりの事情がうまく説明されていない。

 ここで描かれる宗教は、人々を救うものではなく逆に障害になるようなものだ。もちろん、それを批判的に扱うことも出来るのだが、本作にはそういう素振りは見られない。何の事前説明も無く、確固とした既成事実として設定されている。これでは納得も共感も出来ない。少なくとも、キリスト教にはあまり縁の無い多くの日本の観客にとっては、ピンと来ないのではないか。

 監督は「ボヴァリー夫人とパン屋」(2014年)のアンヌ・フォンテーヌだが、あの作品に見られた軽妙さが微塵も無く、深刻さばかりが強調されている。作劇面でもメリハリが見られず、盛り上がりが見られないまま終盤を迎えるのみだ。

 ただし、マチルドに扮するルー・ドゥ・ラージュは見所はあると思った。初めて見る女優だが、可愛いだけではなく演技もしっかりしている。特に、何があっても動じないような胆力を感じさせるのが印象的。またカロリーヌ・シャンプティエのカメラによる、冬のポーランドの風景。清澄な修道院内の佇まいの描写は見応えがある。
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「夜空はいつでも最高密度の青色だ」

2017-06-03 06:32:53 | 映画の感想(や行)

 この映画の“外観”は、かなり危なっかしい。主人公の若い男女は自己陶酔型のモノローグと意味ありげな仕草を延々と垂れ流す。その芝居がかったワザとらしさに拒否反応を起こす観客も少なくないだろう。映像的なケレンも満載で、まさに独り善がりの駄作に繋がりそうな雰囲気だ。ところが、本作はギリギリのところで踏み止まる。これはひとえに、作者が描きたいテーマをハッキリと捉えていることに尽きる。奇態なエクステリアはあくまでその“小道具”として機能させているに過ぎない。

 看護婦の美香は昼間は病院に勤務する傍ら、夜はガールズバーで働く。言葉にできない不安や孤独を抱えているが、周囲の誰とも打ち解けられず、悶々とした日々を送っている。工事現場で日雇いの仕事をしている慎二は、学生時代は成績優秀であったにも関わらず、左目が不自由というハンデを負っていることから能動的な生き方を放棄したように見える。そんな2人が、偶然が重なり何度も会うことになる。

 美香は患者の最期に何度も立ち会い、また母親も早く亡くしている。慎二の同僚達は明日が見えない境遇に身を置いており、さらには仲の良かった智之が突然に命を落とすのを目の当たりにする。つまりは2人とも死や絶望と隣り合わせに生きており、何とかそれらに巻き込まれないように心の中に高い壁を作っている。

 ところが、そんな似たもの同士の彼らがめぐり逢うと、互いの立ち位置を客観的に見据えることになり、思わぬ“化学反応”を見せる。それは、相手の視点から“外部”を睥睨することであり、初めて自分の存在とこの世界との距離感を認識することである。努力が報われず先の見えない社会において、彼らはどう世の中と折り合いを付けるのか。その過程をポジティヴに描くことにより、尽きせぬ映画的興趣を呼び込む。

 本作にはラブシーンは存在せず、それどころか2人は手も握らないのだ。それでいて、この重くたれ込めた世界に立ち向かう“同士”としての熱いパッションが溢れている。原作は最果タヒの同名の詩集で、監督の石井裕也はそこからインスピレーションを得て物語を構築したという。かなりの難事業であったと思われるが、そのチャレンジは意欲的で頼もしい。

 慎二に扮する池松壮亮は、今まで一番と思われるパフォーマンスを披露している。美香を演じる石橋静河はぶっきらぼうな演技しかできず、容貌も母親の原田美枝子の若い頃には及ばないが、存在感はある。智之役の松田龍平も同じ二世俳優ながら、最初は大根だったことを考え合わせると、この石橋も期待できるかもしれない。他のキャストでは慎二の先輩に扮した田中哲司が最高だ。食えない中年男を実に楽しそうに演じている。希望を持たせた幕切れも含めて、鑑賞後の印象は良い。
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「ユニバーサル・ソルジャー」

2017-02-24 06:21:18 | 映画の感想(や行)

 (原題:UNIVERSAL SOLDIER )92年作品。ローランド・エメリッヒ監督の初期の映画だが、後年の大味ディザスター・ムービーとは違って予算があまり掛かっていない分、何とそれなりにまとまった出来にはなっている。・・・・というか、本来彼はこの程度の規模の作品を任せられるのが丁度良いと思うのだ。分不相応なスペクタクル巨編なんかを手掛けるから、ボロが出てくる。

 フーバーダムで起こったテロリストによる人質事件をアッという間に解決したのは、ペリー大佐率いる謎の特殊部隊だった。テレビリポーターのヴェロニカは、彼らの正体を探るためにペリー大佐を追う。ネヴァダ沙漠の中に停まる巨大トレーラーが彼らの基地であることを突き止めた彼女だが、兵士たちの正体が、死体を蘇らせて感情や記憶を消した改造人間であることを知ることになる。その中のリュックとスコットに、突然ヴェトナム戦争での記憶がフラッシュバックする。正気を取り戻したリュックはヴェロニカと共に基地から逃亡するが、ペリー大佐とスコット達は彼らを追跡する。

 ヴェトナム戦争で死んだ兵士2人が蘇生手術により戦闘マシーンとして生まれ変わるという筋書きは、大して新味は無い。しかしながら、この2人が、かつての戦場で敵対して同士討ちしたとの設定は悪くない。蘇った後も記憶が残り、生前のキャラクターそのままに大々的なバトルを展開する。

 エメリッヒの演出はとりたてて上手いというわけではないが、最後まで退屈させない程度の求心力は発揮している。ストーリーもほぼ“一本道の展開”なので、突っ込みどころも少ない。

 主演はジャン=クロード・ヴァン・ダムとドルフ・ラングレンで、もちろん前者が善玉役だ。思えばヴァン・ダムはこの頃アイドル的な人気があり、日本ではチョコレートのCMに出ていたほどだった(笑)。片やラングレンは「ロッキー4 炎の友情」(85年)からの流れで悪役一筋。でも、2人とも仕事が今でもコンスタントに入ってくるのは良いことだと思う。マッチョ系の役者では成功した部類だろう。ヴェロニカに扮するアリー・ウォーカーもけっこう魅力的。なお、続編が作られているが、私は未見である。
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「四十二番街」

2017-01-16 06:32:50 | 映画の感想(や行)

 (原題:42nd Street )1933年ワーナー・ブラザーズ作品。ハリウッド製ミュージカル映画の嚆矢として知られる作品だが、私は福岡市総合図書館の映像ホールにおける特集上映で、今回初めて観ることが出来た。映画としては時代を感じさせるほどの脱力系のドラマ運びながら、ラスト15分間のミュージカル場面の盛り上がりは目覚ましく、個人的には観て良かったと思っている。

 金持ちの老人アブナー・ディロンは女優ドロシー・ブロックに御執心で、彼女を主演に据えたミュージカルを作るために出費することになった。演出を担当するのはかつて名声を得たジュリアン・マーシュだが、実はスランプ気味でメンタル面も危ない状態。それでもカネのため無理して製作に乗り出す。

 一方、ドロシーが本当に好きなのは昔から仕事上のパートナーだったパット・デニングであった。そのパットは駆け出し女優のペギーと懇意になっていたが、ドロシーが痴話喧嘩の果てに怪我を負ってしまうと、ペギーに主役の座が回ってくる。すったもんだの末にキャストが決まり、開演まで時間がない状況で一同は稽古に励むのであった。

 正直言って映画の大半を占める誰と誰が惚れたの何だのといった展開は、退屈極まりない。ロイド・ベーコンの演出は冗長で、山らしい山もないまま時間だけが過ぎていく。しかしこれは、製作年度を考えると仕方がないかもしれない。当時はこのぐらいのマッタリした流れが丁度よかったのだろう。

 ところが、クライマックスのミュージカルの実演になると、一気にヴォルテージは上昇。高名な振付師であったバスビー・バークレーによる見事なステージは、観る者を瞠目せしめるだろう。特にフォーメーションを上からのカメラで捉えるシーンは、上演する劇場の観客が絶対に見ることができない光景であり、映画におけるミュージカルの可能性を示したことで、映画史に残る金字塔だという評価もうなずける。

 ジュリアン役のワーナー・バクスターをはじめビービー・ダニエルス、ジョージ・ブレント、ウナ・マーケル、ルビー・キーラーといったキャストは(あまりに古い映画であるため)馴染みがないが、申し分のない仕事をしていると思う。

 特筆すべきは脇役としてジンジャー・ロジャースが出ていることで、後年のMGMミュージカルで神業的なパフォーマンスを見せる彼女と同一人物とは思えないほど、身体が絞れていない(笑)。でもまあ、この時代ならば仕方がないだろう。それどころか、早い時期から彼女を起用したプロデューサーの慧眼を認めるべきなのかもしれない。
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