97年作品。高層公団住宅に当たって共同生活を始めることになった二人の男(岸谷五朗、寺脇康文)。彼らが入居祝いで酒場で盛り上がっていたところ、偶然二人の女(鷲尾いさ子、夏川結衣)と知り合う。“キミたちも一緒に住もうよ”などと酔った勢いで誰が言ったかは知らないが、彼女たちは翌日からマンションに強引に引っ越してくる。4人の共同生活は、やがて微妙な四角生活へと発展していくが・・・・。
“おい、こりゃトレンディ・ドラマそのまんまじゃねえか”と思ったのは私だけではないはず。岸谷の職業は照明デザイナー、寺脇はCMフォトグラファー、鷲尾はオシャレな美容室に勤め、舞台は浦安の高級マンションで、インテリアはそのテの雑誌のグラビアそっくりだ。独身貴族を決めこんだような4人の、どうでもいいようなホレたハレたの煮えきらない話が延々続くんだろうと思ったら、実際その通りで(^_^;)、この作品はそんなのを面白がる程度の低い観客向けの泡沫映画なのかと断言したくなった。
しかし、「きらきらひかる」などの松岡錠司監督だけあって、神経症を患う夏川と気のいいアンちゃんの岸谷との関係を丁寧に描いたり、田口トモロヲ扮するヘンな大学助教授をからませたり、工夫の跡は認められる。石井勲の撮影は見事だし、梅林茂の音楽も悪くない。でも、そんな監督の努力も最初の30分程度しか保たなかった(笑)。あとは“客集めのトレンディ路線”という製作サイドの意向が前面を覆い、TVドラマに毛の生えた程度の展開を見せられるばかり。
鷲尾の前の妻子持ちの恋人とのくだりや、寺脇がネパールにしか棲息しない蝶をカメラに収めたがっていることや、単なるOLに過ぎない夏川が“医者になって自分の病気を直せ”と他の3人に言われて簡単に医科大学に合格してしまう話など、バカみたいにワザとらしいエピソードが続き、岸谷と夏川のくっさーい別れのシーンの後、映画は5年後の彼らの再会場面で幕となるが、これまたセリフによる説明過剰の不自然極まりないダサくてイモくてトホホな仕上がりで、見ていられない。
私は本作を某映画祭で観たのだが、上映後のティーチ・インでは“こんなのを出品させた奴は誰だ!”という非難ごうごうの修羅場だったらしい(私は出席しなかったけど ^^;)。
“おい、こりゃトレンディ・ドラマそのまんまじゃねえか”と思ったのは私だけではないはず。岸谷の職業は照明デザイナー、寺脇はCMフォトグラファー、鷲尾はオシャレな美容室に勤め、舞台は浦安の高級マンションで、インテリアはそのテの雑誌のグラビアそっくりだ。独身貴族を決めこんだような4人の、どうでもいいようなホレたハレたの煮えきらない話が延々続くんだろうと思ったら、実際その通りで(^_^;)、この作品はそんなのを面白がる程度の低い観客向けの泡沫映画なのかと断言したくなった。
しかし、「きらきらひかる」などの松岡錠司監督だけあって、神経症を患う夏川と気のいいアンちゃんの岸谷との関係を丁寧に描いたり、田口トモロヲ扮するヘンな大学助教授をからませたり、工夫の跡は認められる。石井勲の撮影は見事だし、梅林茂の音楽も悪くない。でも、そんな監督の努力も最初の30分程度しか保たなかった(笑)。あとは“客集めのトレンディ路線”という製作サイドの意向が前面を覆い、TVドラマに毛の生えた程度の展開を見せられるばかり。
鷲尾の前の妻子持ちの恋人とのくだりや、寺脇がネパールにしか棲息しない蝶をカメラに収めたがっていることや、単なるOLに過ぎない夏川が“医者になって自分の病気を直せ”と他の3人に言われて簡単に医科大学に合格してしまう話など、バカみたいにワザとらしいエピソードが続き、岸谷と夏川のくっさーい別れのシーンの後、映画は5年後の彼らの再会場面で幕となるが、これまたセリフによる説明過剰の不自然極まりないダサくてイモくてトホホな仕上がりで、見ていられない。
私は本作を某映画祭で観たのだが、上映後のティーチ・インでは“こんなのを出品させた奴は誰だ!”という非難ごうごうの修羅場だったらしい(私は出席しなかったけど ^^;)。

