97年作品。大学教授の岡本(奥田瑛二)と妻の綾(かたせ梨乃)はニューヨークへの旅行中の留守番を友人の脚本家の関谷(柄本明)とデザイナーの麗子(永島暎子)に頼む。彼らは若い頃全共闘運動の仲間であり、かつて関谷が刑務所にいる間、岡本は当時交際していた麗子を捨て、関谷の恋人の綾と一緒になったのだった。25年ぶりに再会した関谷と麗子は最初はとまどうものの、やがて“捨てられた者同士”の連帯感からねんごろな仲になってゆく。そこへ岡本とケンカした綾が一人で帰国してきて“離婚するかもしれない”と言う。忘れていたはずの若き日の葛藤が、再び微妙な四角関係を形成してゆく。脚本家・荒井晴彦の初監督作で、大分県湯布院でロケされている。
実に良くできた作品で、感心させられた。同じ四角関係といっても前述の「私たちが好きだったこと」のフヌケた作劇とは雲泥の差で、どっかの映画みたいに全共闘世代の湿っぽいノスタルジアを押しつけるものとも一線を画す、普遍性を持つ人間ドラマの秀作に仕上がっている。
長回し主体の映像は、まさに登場人物の心象風景そのものだ。ウソと本音と見栄と葛藤が渦巻く人間関係のあやうさ。TV的なカット割りでは途端に凡庸に堕してしまう繊細極まりない心理劇のあやを、寒色系の画面に焼き付けていく川上皓市のカメラの素晴らしさ。
麗子と寝て、帰ってきた綾とも寝る関谷を単なるズルイ男と設定するような底の浅い作劇ではない。麗子は年下の恋人からプロポーズされている上での情事だし、綾は関谷と寝ることで夫への面当てとしているし、岡本は妻を捨てて母親(加藤治子)の元に逃げ込みたい衝動を必死でこらえている。関谷はそれらを全て承知で、別居中の妻子とのしがらみを忘れるために情事にのめりこむ。本性はみんな優柔不断。しかし若い頃の過ちの精算とかの大義名分を持ち出し、欲望を正当化する狡猾さと、それで周囲をねじ伏せようとする図々しさ。反面その中に若干の純情さを持ち込むことも忘れない。つまりは計算ずくの“大人のアバンチュール”を、ここまで活写した映画はそうないだろう。
圧巻は、麗子と関谷が“若き日の綾と岡本”になりきって二人だけの芝居をしたあと、そのまま情事になだれ込む前半のシーン。それぞれがフラれた相手の若い頃になりきって、現在の二人の心情を吐露するという二重三重のドラマ運びに、ただただ唸るばかりである。
主演の4人の演技は申し分ない。実力のある俳優がそれに見合った役を思い切り演ずるという映画のあるべき姿を久々に見られる喜び。荒井監督はこれがデビュー作とは思えない、実に達者な演出だ。
人間、本音と建前を使い分け、トラブルにぶち当たって時にはやり過ごしながら、トシを取って枯れていくものだという、当たり前のことをしみじみと感じる、真の意味でのアダルトな魅力を持つ映画だ。湯布院の街がまるでヨーロッパの避暑地のように映し出されるが、そういえば作品自体のヨーロッパの秀作群に近いテイストを持っている。まさに必見の映画だ。
実に良くできた作品で、感心させられた。同じ四角関係といっても前述の「私たちが好きだったこと」のフヌケた作劇とは雲泥の差で、どっかの映画みたいに全共闘世代の湿っぽいノスタルジアを押しつけるものとも一線を画す、普遍性を持つ人間ドラマの秀作に仕上がっている。
長回し主体の映像は、まさに登場人物の心象風景そのものだ。ウソと本音と見栄と葛藤が渦巻く人間関係のあやうさ。TV的なカット割りでは途端に凡庸に堕してしまう繊細極まりない心理劇のあやを、寒色系の画面に焼き付けていく川上皓市のカメラの素晴らしさ。
麗子と寝て、帰ってきた綾とも寝る関谷を単なるズルイ男と設定するような底の浅い作劇ではない。麗子は年下の恋人からプロポーズされている上での情事だし、綾は関谷と寝ることで夫への面当てとしているし、岡本は妻を捨てて母親(加藤治子)の元に逃げ込みたい衝動を必死でこらえている。関谷はそれらを全て承知で、別居中の妻子とのしがらみを忘れるために情事にのめりこむ。本性はみんな優柔不断。しかし若い頃の過ちの精算とかの大義名分を持ち出し、欲望を正当化する狡猾さと、それで周囲をねじ伏せようとする図々しさ。反面その中に若干の純情さを持ち込むことも忘れない。つまりは計算ずくの“大人のアバンチュール”を、ここまで活写した映画はそうないだろう。
圧巻は、麗子と関谷が“若き日の綾と岡本”になりきって二人だけの芝居をしたあと、そのまま情事になだれ込む前半のシーン。それぞれがフラれた相手の若い頃になりきって、現在の二人の心情を吐露するという二重三重のドラマ運びに、ただただ唸るばかりである。
主演の4人の演技は申し分ない。実力のある俳優がそれに見合った役を思い切り演ずるという映画のあるべき姿を久々に見られる喜び。荒井監督はこれがデビュー作とは思えない、実に達者な演出だ。
人間、本音と建前を使い分け、トラブルにぶち当たって時にはやり過ごしながら、トシを取って枯れていくものだという、当たり前のことをしみじみと感じる、真の意味でのアダルトな魅力を持つ映画だ。湯布院の街がまるでヨーロッパの避暑地のように映し出されるが、そういえば作品自体のヨーロッパの秀作群に近いテイストを持っている。まさに必見の映画だ。

