(原題:MUNICH)観終わって“スピルバーグもこういう映画を撮る時代になったのか”と感慨を新たにした。
72年の「ミュンヘン五輪虐殺事件」と、それに続くイスラエル情報部の“報復行動”を描く本作、スピルバーグらしい脳天気なドンパチ場面や大仰なSFX処理など皆無。それどころかエリック・バナ扮する工作員の苦悩に深く踏み込もうともしており、いつもの“内面描写には縁のないスピルバーグ”のレッテルを返上するような頑張りには驚かされる。
やはりこれはラストショットにも示されるとおり9.11テロ以降の状況が大きくのし掛かっているのだろう。確かにパレスチナ・ゲリラによるテロは憎むべき犯罪だが、その背景を検証すれば決して“アラブ側は徹頭徹尾悪い(あるいは正しい)のだ”とか“イスラエルの主張こそ全面的に正しい(あるいは悪い)のだ”とかいう通り一遍の解釈には行き着かない。スピルバーグがユダヤ人としての自らのアイデンティティを前面に押し立てようとしても、多くの要因が複雑怪奇に入り組んだ“現実”を前にすれば、あまりの“重さ”にただ立ちつくすしかないのだ。もはや「シンドラーのリスト」のような単純過ぎる映画は作れない。
ただしそれを“現状は一筋縄ではいかないものだ”と正直に吐露しているあたり、逆にスピルバーグの真摯さがあらわれているとも言え、作品のスタンス自体には好感を覚える。
某ホームページで自称“プロの評論家”なる人物が“米国共和党の現政権やリベラル派でさえ解決策を提示しているのに、スピルバーグは何のメソッドも提示していないのが残念だ”みたいなことを書いていたが、まったく的はずれの珍論と言うしかない。たかが一介の映画作家に“国際問題の解決法”のような大それたことを求めるのはナンセンス。それは政治家や学者や社会活動家などのプロフェッショナルの仕事だ。映画は対象を粛々と描けばそれでよいのであって、いたずらにイデオロギーにかぶれるとロクなことはない。
ヤヌス・カミンスキーのカメラによる冷たくキレの良い映像も見もので、これは本年度の米映画を代表する力作と評したい。