(英題:The Syrian Bride)感服すべき秀作だ。第三次中東戦争により“無国籍状態”になったイスラエル占領下の村に住むモナは、シリアの男性の家に嫁ぐことになった。しかし、国境線を越えると国籍がシリアに確定してしまい、元の村には戻ることが出来ない。そういうヘヴィなシチュエーションの中で結婚式に出席した人々と、その関係者達とが織りなす群像劇を作り出した監督(製作と脚本も兼ねる)のエラン・リクリスの腕前は実に非凡である。
何より、作劇の焦点をこういうシビアな政治的状況に丸投げしておらず、ドラマの背景のひとつとして料理している点が素晴らしい。本編はあくまでホームドラマなのである。国際問題や社会問題を扱った映画は数あれど、ヘタをすればそんな“問題”を取り上げたこと自体に満足してしまい、肝心のストーリーは完全にその“問題”に寄りかかった挙げ句に“お座なり”になる例はけっこうあるのではないだろうか。
とにかく、十数人にもなる主要登場人物を決して手抜きせずに捉え、それぞれのキャラクターを掘り下げると共に見せ場をも振り分けてしまう作者の手腕に圧倒される。しかも演出テンポが良く、シークエンスの切り分けも名人芸クラス。ユーモアを散りばめて観客を笑わせることも忘れていない。結婚式をネタにした集団ドラマといえばロバート・アルトマンの「ウエディング」やミーラー・ナイールの「モンスーン・ウェディング」を思い出すが、この映画はそれらより遙かに優れていると思う。
そして、分かりやすい家族劇で観る者を引き込んだ後だからこそ、終盤近くの切迫した事態の深刻性がヴィヴィッドに伝わってくるのだ。出てくる連中は地元の住民ばかりではなく、シリア本国の者がいるかと思うとイスラエル側の人間もいる。さらには国連関係者やロシア人まで顔を揃える。飛び交う言語はアラビア語やヘブライ語、英語やロシア語やフランス語など多岐に渡っている。そんな様々な文化圏に属している者達が“結婚”という普遍的な祝祭には一様にポジティヴな反応を示しつつ、しかしどうしても超えられない壁が彼らを阻んでしまう、その不条理に身を切られる思いである。
ヒアム・アッバスやマクラム・J・フーリとクララ・フーリの親子など、おそらくは本国では実力派として通っているであろうキャストのパフォーマンスは万全。そして、不安定な状況下にあっても毅然として一歩を踏み出すヒロインの姿には感動する。実質的な主人公であるモナの姉の名前はアマルだ。アマルはアラビア語で“希望”を意味するらしい。彼らの住む世界に希望があらんことを心より願いたい。