元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「人生に乾杯!」

2009-08-10 07:09:13 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Konyec)緩すぎるクライム・コメディで本来ならば評価に値しないのだが、これが舞台がハンガリーになってくると無視できないネタが頻出し、時として面白くなってくるのだから映画というのは分からない。

 生活に困って強盗稼業に身を投じる老夫婦の“逃避行”を描く本作。まず二人がかつての共産党幹部の運転手と伯爵令嬢だというのが興味深い。あらゆる意味で身分が違う彼らだが、歴史の変遷によりその“身分の上下”は幾度となく逆転し、さんざん苦労をしてきた挙げ句が雀の涙ほどの年金で貧乏暮らしを強いられている理不尽さが涙を誘う。

 社会社会主義的イデオロギーによる階級闘争をしている間に冷戦は終結し、代わりにやってきたのはグローバリズムという名の“弱肉強食至上主義”で、一般庶民はその“新たな収奪”の構図の前で無力に翻弄されるばかり。旧東側諸国にもたらされた“自由”とは“貧困になる自由”でしかなかったという笑えないオチは、実は我々日本人にとっても他人事ではない。

 手練れの映画ファンならすぐに分かることだが、この映画はアメリカン・ニューシネマのオマージュに溢れている。まず想起されるのは「俺たちに明日はない」だが、ラスト近くは「バニシング・ポイント」のテイストも散見される。ただし、アメリカン・ニューシネマが漠とした現状に異議を唱えた自己完結(自己満足)のレベルで推移していたのに対し、本作での現状把握はより具体的で切迫している。だからこそ終盤でのファンタジー的な処理に“救い”を見出す余地が大きいのである。

 主人公が乗って逃げるのは、かつてソ連の高官が使っていて払い下げられたリムジン・チャイカ。これが現代の実用主義のクルマとはまるで異なり、かといって大味なアメ車とも違う独特の典雅な雰囲気を醸し出していて好印象。滅びの美学を感じさせると共に、利便性一辺倒の現在の風潮に疑問を投げかける絶好の小道具になっている。ガーボル・ロホニの演出は特に才気走ったところはないが、エンスト一歩手前の作劇テンポを味わい深い方面に振っていく玄妙な展開を見せる。

 主演のエミル・ケレシュとテリ・フェルディは好演。今ではしがない年寄りだが、若い頃から人生の荒波を乗り越えてきた風格が感じられる(実際彼ら本人もそうだったのかもしれない)。二人を追いかける警察の間抜けぶりには苦笑したが、道行くクルマの車種を当てることを生き甲斐にしている交通課の巡査も登場して、けっこう楽しい。社会風刺にあふれたオフビートな犯罪ドラマとして推奨したい。
コメント
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