(原題:L'ILLUSIONNISTE )作品内容と映画作りの手法がマッチしていない印象を受けた。フランスの喜劇王ジャック・タチの幻の脚本をアニメーションとして仕立てたのは、傑作「ベルヴィル・ランデブー」のシルヴァン・ショメ。今回はエキセントリックな味は抑えてオーソドックスなサイレント映画に近いスタイルを採用している。しかしこれが上手くいっているとは思えないのだ。

1950年代のパリ。場末のキャバレー等で古くさいマジックを披露する初老の手品師タチシェフは、電気が開通したばかりのスコットランドの離島での“営業”を頼まれることになる。娯楽の少ないその島では、時代遅れの彼の芸もまだ通用した。下働きをしていた少女アリスはタチシェフを本物の魔法使いだと思い込んで、彼と一緒に島を離れエジンバラの片隅で共に暮らし始める。実はタチシェフは昔一人娘を亡くしていて、アリスにその面影を見ていたのだった。
断っておくが、ここまで書いた大まかな設定は映画の中盤を過ぎてからじゃないと掴めない。アリスがタチシェフを魔法使いだと信じたことも、タチシェフに娘がいたことも、リアルタイムでは伝わってこないのだ。セリフを交わせばすぐに分かることを、サイレント形式を採用したおかげで説明不足の状態に陥ってしまう。
無口な“ユロ氏”にオマージュを捧げたつもりだろうが、ジャック・タチがもしも本作を手掛けていたら、もっと平易な語り口で臨んだはずだ。しかも、終盤の重要なモチーフにはメモ(セリフ)が使われているあたり、スタンスが徹底していないようにも思える。さらにはタチシェフが映画館に入ると「ぼくの伯父さん」を上映しているという、妙なところで“饒舌”なドラマツルギーが挿入されるなど、姿勢の一貫性の無さに違和感を覚えざるを得ない。

別にアニメーションにしなくても良かったのではないか。いくらタチ御大による元ネタでも、実写版で普通に映画化して悪いことはないだろう。それでもショメに任せるならば、アヴァンギャルドな持ち味を全開にして観る者の度肝を抜いて欲しかった。
映像面の仕上がりは及第点には達してはいるが、満点の出来ではない。このレベルのアニメ作品は他にいくらでもあるように思える。音楽も印象に残らない。良かったのは時代考証ぐらいだ。よほどのアニメ好きでもない限り、スルーしてもいいと思う。

1950年代のパリ。場末のキャバレー等で古くさいマジックを披露する初老の手品師タチシェフは、電気が開通したばかりのスコットランドの離島での“営業”を頼まれることになる。娯楽の少ないその島では、時代遅れの彼の芸もまだ通用した。下働きをしていた少女アリスはタチシェフを本物の魔法使いだと思い込んで、彼と一緒に島を離れエジンバラの片隅で共に暮らし始める。実はタチシェフは昔一人娘を亡くしていて、アリスにその面影を見ていたのだった。
断っておくが、ここまで書いた大まかな設定は映画の中盤を過ぎてからじゃないと掴めない。アリスがタチシェフを魔法使いだと信じたことも、タチシェフに娘がいたことも、リアルタイムでは伝わってこないのだ。セリフを交わせばすぐに分かることを、サイレント形式を採用したおかげで説明不足の状態に陥ってしまう。
無口な“ユロ氏”にオマージュを捧げたつもりだろうが、ジャック・タチがもしも本作を手掛けていたら、もっと平易な語り口で臨んだはずだ。しかも、終盤の重要なモチーフにはメモ(セリフ)が使われているあたり、スタンスが徹底していないようにも思える。さらにはタチシェフが映画館に入ると「ぼくの伯父さん」を上映しているという、妙なところで“饒舌”なドラマツルギーが挿入されるなど、姿勢の一貫性の無さに違和感を覚えざるを得ない。

別にアニメーションにしなくても良かったのではないか。いくらタチ御大による元ネタでも、実写版で普通に映画化して悪いことはないだろう。それでもショメに任せるならば、アヴァンギャルドな持ち味を全開にして観る者の度肝を抜いて欲しかった。
映像面の仕上がりは及第点には達してはいるが、満点の出来ではない。このレベルのアニメ作品は他にいくらでもあるように思える。音楽も印象に残らない。良かったのは時代考証ぐらいだ。よほどのアニメ好きでもない限り、スルーしてもいいと思う。