(原題:Girl, Interrupted )99年作品。今ではアンジェリーナ・ジョリーは一応“有名女優”として通っているが、では演技面での実績は何があるのかというと、いささか心許ない。出演作の大半がお手軽な活劇物などだ。本作はそんな彼女が珍しく演技力を発揮した一編で、映画自体の質は大したことはないが、見事にアカデミー助演女優賞を獲得している。とはいえ若手の頃の手柄であり、オスカー女優という肩書以外は現在の彼女にフィードバックしていないのは、何ともやりきれない。
60年代。高校を卒業したスザンナは、その年の卒業生の中でただ一人大学に進学せず、無為に日々を過ごしていた。もともと神経症を患っていた彼女は、周囲からのプレッシャーに耐え切れずに無軌道な行動を繰り返し、ついには急性アルコール中毒で病院にかつぎ込まれ、そのまま精神医療施設に収容されてしまう。
そこはメンタル障害を負った少女たちが、厳しい監視のもとに生活していた。スザンナはリーダー格のリサと仲良くなり、一緒に脱走を図る。ところが問題児のリサは塀の内側でも外でもトラブルを起こすばかり。そんな彼女の乱行を反面教師として、スザンナは次第に自分と他者との関係性を見直すようになっていく。94年に出版されたスザンナ・ケイセンによる自伝の映画化だ。
ジェームズ・マンゴールドの演出が手緩く、表面的な描写に終始。精神病棟ではもっとシビアな場面が展開されたはずだが、まるで厳しさが伝わってこない。60年代という時代色も希薄で、映像自体も軽量級だ。同じく精神病院を舞台にした映画であるミロス・フォアマン監督の「カッコーの巣の上で」(75年)などとは比べようもない。
そもそも、いったい何を言いたかったのだろうか。リサみたいなキ○ガイとは付き合うなということか、それともアニマル・セラピーの重要性だろうか。まあ、たぶん精神病院の中で自分を見つけ、自己に向き合って強く生きるヒロインの人間的成長をどうのこうのという、前向きなテーマを追ったものだろう。でも、こちらはそんなお題目的なスローガンだけを突きつけられて素直に感じ入るほどイノセントには出来ていない。いわゆる“自分探し”の欺瞞性なんて、とっくの昔に知っている。
A・ジョリーが扮しているのはリサで、実に性格悪そうな御面相とゴーマンな態度が印象的だった。演じる側も乗りまくっていることが分かる。スザンナを演じているのはウィノナ・ライダーで、こちらも熱演。しかし、映画自体のヴォルテージが低いので、2人とも浮いているようにしか見えない。
ところで、現在でも一線で仕事をしているA・ジョリーに対して、W・ライダーは本作の後に次々と不祥事を起こし、干されてしまった。いわば映画の中での設定とは逆のことが現実では進行しており、何とも複雑な気分になってくる。