昭和24年製作の黒澤明監督作品。私は“午前十時の映画祭”にて今回初めてスクリーン上で接することが出来た。世評通りの面白さで、当初このネタにしては長いと思われた上映時間も気にならないほど、観る者を引き込んでいく。また、この時代の“空気”を上手く醸成しているのも見事だ。
警視庁捜査一課の若手刑事・村上は、射撃訓練を終えて帰宅途中、バスの中で拳銃を掏られてしまう。銃の中には7発もの弾丸が残されており、犯罪に使われたら大変だ。村上は上司の指示で窃盗犯係のスタッフに相談し鑑識課の手口カードを調べてもらったところ、女スリのお銀の名が捜査線上に浮かぶ。彼女から銃の密売グループの存在を聞き出した村上だが、折しも件の拳銃を使った強盗傷害事件が発生。村上は所轄のベテラン刑事・佐藤と組んで密売組織のブローカーの本多、さらには拳銃を譲り受けた遊佐を捕まえるために奔走する。

映画は真夏の出来事として描かれる。とにかく、画面全体から伝わってくる“暑さ”が尋常ではない。冷房も無いバスの車内で満員の乗客に閉口しながら失態を演じてしまった村上の焦りと、それに追い打ちをかけるような炎天下の熱気の描写。密売グループの一味を探すため、ドヤ街を何日も歩き回る村上を悩ませる群衆の人いきれと汗臭さ。本多を逮捕するため、超満員の野球場のスタンドの中を動き回る捜査陣。すべてが殺人的な猛暑を伴って観客に迫ってくる。
これだけ暑いと、人は体裁を取り繕う余裕は無い。むき出しの本音が画面を飛び交う。そしてそれは、戦後間もない日本の猥雑なバイタリティを表現していることは論を待たない。クライマックスの村上と遊佐との対決は、そこに至る村上の直感と、バックに流れる上流家庭からのピアノの調べが、絶妙の演出だ。
村上を演じる三船敏郎、佐藤役の志村喬、遊佐に扮する木村功、いずれも好演だ。特に若いころの三船は後年の作品群とは違い、正統派の二枚目ぶりを見せつける(笑)。遊佐の恋人のダンサーを演じる淡路惠子はこれがデビュー作だが、存在感は圧倒的(当時まだ十代だというのも驚きだ)。
村上と遊佐は共に終戦直後に辛酸を嘗めたが、一方は立ち直って悪を追い詰める側になり、もう一方は犯罪者に落ちぶれる。まさに運命のいたずらだが、厳しい時代状況にあっても、悪は悪として断罪しなければならないという作者の真っ直ぐな正義感が滲み出て好ましい。この頃の日本映画を代表する快作だ。
警視庁捜査一課の若手刑事・村上は、射撃訓練を終えて帰宅途中、バスの中で拳銃を掏られてしまう。銃の中には7発もの弾丸が残されており、犯罪に使われたら大変だ。村上は上司の指示で窃盗犯係のスタッフに相談し鑑識課の手口カードを調べてもらったところ、女スリのお銀の名が捜査線上に浮かぶ。彼女から銃の密売グループの存在を聞き出した村上だが、折しも件の拳銃を使った強盗傷害事件が発生。村上は所轄のベテラン刑事・佐藤と組んで密売組織のブローカーの本多、さらには拳銃を譲り受けた遊佐を捕まえるために奔走する。

映画は真夏の出来事として描かれる。とにかく、画面全体から伝わってくる“暑さ”が尋常ではない。冷房も無いバスの車内で満員の乗客に閉口しながら失態を演じてしまった村上の焦りと、それに追い打ちをかけるような炎天下の熱気の描写。密売グループの一味を探すため、ドヤ街を何日も歩き回る村上を悩ませる群衆の人いきれと汗臭さ。本多を逮捕するため、超満員の野球場のスタンドの中を動き回る捜査陣。すべてが殺人的な猛暑を伴って観客に迫ってくる。
これだけ暑いと、人は体裁を取り繕う余裕は無い。むき出しの本音が画面を飛び交う。そしてそれは、戦後間もない日本の猥雑なバイタリティを表現していることは論を待たない。クライマックスの村上と遊佐との対決は、そこに至る村上の直感と、バックに流れる上流家庭からのピアノの調べが、絶妙の演出だ。
村上を演じる三船敏郎、佐藤役の志村喬、遊佐に扮する木村功、いずれも好演だ。特に若いころの三船は後年の作品群とは違い、正統派の二枚目ぶりを見せつける(笑)。遊佐の恋人のダンサーを演じる淡路惠子はこれがデビュー作だが、存在感は圧倒的(当時まだ十代だというのも驚きだ)。
村上と遊佐は共に終戦直後に辛酸を嘗めたが、一方は立ち直って悪を追い詰める側になり、もう一方は犯罪者に落ちぶれる。まさに運命のいたずらだが、厳しい時代状況にあっても、悪は悪として断罪しなければならないという作者の真っ直ぐな正義感が滲み出て好ましい。この頃の日本映画を代表する快作だ。