(原題:BASTARDEN )見応えのある大河ドラマだ。作劇が冗長になる点も少しあるが、崇高な使命を達成するために、立ちはだかる幾多の困難に正面からぶつかる主人公の姿は感動を呼ぶ。また、あまり知られていなかった彼の国の近世の有様が紹介されているのも興味深く、鑑賞後の満足度はかなり高い。
18世紀のデンマーク。ルドヴィ・ケーレン大尉は軍を退役したばかりだが、手持ちの財産はほとんど無かった。そこで彼は貴族の称号をかけて、広大な荒れ地(ヒース)の開拓に着手する。だが、その土地を支配している有力者フレデリック・デ・シンケルは、開拓者の名声がケーレンに集まることを恐れ、露骨な妨害工作を仕掛ける。一方ケーレンは、デ・シンケルの非道な扱いから逃げ出したメイドのアン・バーバラや、身寄りの無い褐色の肌を持つ少女アンマイ・ムスらと、まるで家族のような関係性を構築する。デンマークの作家イダ・ジェッセンによる実録小説の映画化だ。

正直言って、映画作家が好んでやりたがるヴィジュアル面でのケレンやトリッキィな展開等が無いのは、物足りなく感じる向きもあるだろう。しかし、正攻法に徹する方がこういう歴史ドラマでは効果的なことがある。ましてや、本作で扱われている題材は本国の歴史好き以外の観客にはお馴染みではない。だから愚直なまでにストレートな手法に徹するのも、決して間違いではないのだ。
しかしながら、主人公とデ・シンケルとの関係は“真面目な庶民と悪代官”という。娯楽時代劇の鉄板の設定であることも確かである。エゲツないことを平気で繰り出してくるデ・シンケルと、それに耐えつつも何とか逆転の方策を練るゲーレンとの対立は、それがエスカレートするほどドラマ的に興趣を呼び込む。
終盤、ついには究極的に手荒な方法を選ぶデ・シンケルに対し、これまた堪忍袋の緒が切れたような実力行使に走るケーレンとその仲間の姿は、カタルシスが横溢してかなりの盛り上がりを見せる。この一件から年月が経過した状況が紹介されるラストに至っては、主人公の功績と尽きせぬ夢が強く印象付けられ、余韻を残す。
ニコライ・アーセルの演出は骨太で、前半部分は小回りが利かない箇所も見受けられるが、概ねドラマ運びは揺るがない。主演のマッツ・ミケルセンは、まさに横綱相撲。そこにいるだけで絵になる存在感は、映画を最後まで引っ張るには十分だ。アマンダ・コリンに敵役のシモン・ベンネビヤーグ、子役のメリナ・ハグバーグに至るまでキャストは万全。ヒースの茫洋とした風景を捉えた映像も良い。
18世紀のデンマーク。ルドヴィ・ケーレン大尉は軍を退役したばかりだが、手持ちの財産はほとんど無かった。そこで彼は貴族の称号をかけて、広大な荒れ地(ヒース)の開拓に着手する。だが、その土地を支配している有力者フレデリック・デ・シンケルは、開拓者の名声がケーレンに集まることを恐れ、露骨な妨害工作を仕掛ける。一方ケーレンは、デ・シンケルの非道な扱いから逃げ出したメイドのアン・バーバラや、身寄りの無い褐色の肌を持つ少女アンマイ・ムスらと、まるで家族のような関係性を構築する。デンマークの作家イダ・ジェッセンによる実録小説の映画化だ。

正直言って、映画作家が好んでやりたがるヴィジュアル面でのケレンやトリッキィな展開等が無いのは、物足りなく感じる向きもあるだろう。しかし、正攻法に徹する方がこういう歴史ドラマでは効果的なことがある。ましてや、本作で扱われている題材は本国の歴史好き以外の観客にはお馴染みではない。だから愚直なまでにストレートな手法に徹するのも、決して間違いではないのだ。
しかしながら、主人公とデ・シンケルとの関係は“真面目な庶民と悪代官”という。娯楽時代劇の鉄板の設定であることも確かである。エゲツないことを平気で繰り出してくるデ・シンケルと、それに耐えつつも何とか逆転の方策を練るゲーレンとの対立は、それがエスカレートするほどドラマ的に興趣を呼び込む。
終盤、ついには究極的に手荒な方法を選ぶデ・シンケルに対し、これまた堪忍袋の緒が切れたような実力行使に走るケーレンとその仲間の姿は、カタルシスが横溢してかなりの盛り上がりを見せる。この一件から年月が経過した状況が紹介されるラストに至っては、主人公の功績と尽きせぬ夢が強く印象付けられ、余韻を残す。
ニコライ・アーセルの演出は骨太で、前半部分は小回りが利かない箇所も見受けられるが、概ねドラマ運びは揺るがない。主演のマッツ・ミケルセンは、まさに横綱相撲。そこにいるだけで絵になる存在感は、映画を最後まで引っ張るには十分だ。アマンダ・コリンに敵役のシモン・ベンネビヤーグ、子役のメリナ・ハグバーグに至るまでキャストは万全。ヒースの茫洋とした風景を捉えた映像も良い。