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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ザ・ファイター」

2011-04-19 06:34:05 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE FIGHTER )実話を元にした本作は、家族の在り方に対する底抜けに楽天的なスタンスが心地良い映画だ。いかに親がロクデナシでも、兄弟が極道者でも、子供が落ちこぼれでも、家族でいる限り何とか道は開ける。決して絶望してはいけないという、真摯なメッセージが見て取れる。もちろん、実際はそんなに上手くいくわけではない。でも将来を悲観して捨て鉢になるよりも、少しでも前向きに日々を生きていく方が数段マシであるし、何より楽しいに決まっている。

 マサチューセッツ州のローウェルに住むディッキーとミッキーは父親が違う兄弟。兄のディッキーはかつて天才肌のボクサーだったが、ヤク中になって廃業。今では自堕落な生活を送っている。弟のミッキーは兄に劣らぬ実力派のボクサーだが、困ったことにトレーナーは兄が引き受け、マネージャーはボクシングは素人の身持ちの悪い母が担当している。そのため無謀な試合を組まされ、苦戦の連続。ミッキーの恋人のシャーリーンは、家族と手を切れば勝てると提案する。

 ここで面白いのは、家族と絶縁するか恋人と分かれるかという“二者択一”の路線には行かないことだ。どちらもミッキーにとっては大切。特に家族は、過去にいろいろとあってもやはり離れられない。結果、両方の顔を立てることになる。正確には“両立するように努力する”のである。それは、誰が誰を必要としているかを再検証する作業であり、本人が自分の立ち位置を確認することでもある。そういう地道なやり方が功を奏し、事態は好転してゆく。

 試合のシーンは素晴らしく、まるでリングサイドで観戦しているようだ。ミッキー役のマーク・ウォールバーグの身体の鍛え方は本物で、出で立ちや動きがボクサーそのもの。ディッキーに扮するクリスチャン・ベイルも“肉体改造”してやさぐれたボクサー崩れの雰囲気を実に良く出していた。

 息子達を溺愛する母を演じたメリッサ・レオも見事だし、シャーリーンに扮したエイミー・アダムスも「サンシャイン・クリーニング」に続いて“若い頃はチヤホヤされたけど今はパッとしない女”の役柄が板に付いてきた。デイヴィッド・O・ラッセルの演出は正攻法で、シークエンスの組み立て方にも破綻がない。田舎町ローウェルの捨てがたい風情と共に、観る者の記憶に残る良作だ。
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「第8回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その4)

2011-04-18 06:33:41 | プア・オーディオへの招待

 昨年(2010年)に設立されたばかりの国内ガレージメーカー、SPECのプリメインアンプも試聴することが出来た。RSA-F1RSA-V1の2台だが、どちらも大手メーカー品と見まごうばかりの立派な外観だ。しかも両方ともデジタルアンプで、図体が大きい割に発熱も消費電力も少ない。

 ただしRSA-F1は120万円を超え、RSA-V1でも50万円近い。いわゆるデジタル臭さのない、フラットで高駆動力の機器だということは分かるが、同価格帯の他社製品と聴き比べてみないとユーザーサイドとしては購入対象にするわけにはいかないだろう。

 会場ではオーディオ機器に加えてAVシステムのデモンストレーションも行われていた。今回の目玉は3D仕様をフィーチャーしたプロジェクターで、VICTOR三菱、そしてSONYの製品がエントリーされていたが、3D映像は予想以上にアピール度が高いので驚いた。近くで見ればヘタな映画館を上回るクォリティだ。

 プロジェクターの機種ごとに偏光メガネの規格が違うので、プログラムが進むたびに掛け替えなければならなかったが、将来は統一される動きがあるという。そしてそれは映画館での映写システムをもカバーできるということで、自分用の偏光メガネを所有して家庭でも劇場でも使えるような時代が来るかもしれない。

 最後に印象に残ったことを二つ挙げたい。一つ目は、中古品コーナーに置かれていた80年代後半の国産スピーカーである。30センチのウーファーを搭載し、サイズはデカくて死ぬほど重い。あの頃はこういう仕様の製品を(どのメーカーも)一本59,800円で売っていたのだ。

 今から見ればとても採算が取れないような物量投入だが、十分ペイするだけの需要があった。しかし、音色の多様性や使う者の住宅事情を考えない大型機種の氾濫は、景気が悪くなると共に多くのオーディオブランドもろとも消え失せる背景をも形成していた。まるでバブル期の“夢のあと”を感じさせる出で立ちでそのスピーカーは会場の片隅に鎮座していたが、また誰かの部屋で鳴る日が来るのだろうか。

 もう一つは、TRIODE社のブースに展示してあった真空管アンプである。上面に傷が付いているために、おそらくは定価よりもずっと安い値札が貼られていた。説明書きを読むと、東北地方のショップで“被災”したのだそうだ。震災は人的被害と共に莫大な物的損傷も引き起こしているが、(キズ物の電化製品を目にしたぐらいで何だそりゃと言われそうだが)その片鱗を見てしまったようで慄然とする思いがした。一刻も早い復興を願わずには居られない。なお、そのアンプには売却済のレッテルが付けられていた。新しい持ち主のもとで元気な音を聴かせてくれることだろう。

(この項おわり)
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「第8回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その3)

2011-04-17 06:56:25 | プア・オーディオへの招待

 今回試聴できた機器の中で印象に残ったものを挙げていきたい。まずはデンマークのRAIDHO ACOUSTICS社のスピーカー、X Monitor。広帯域リボン型トゥイーターユニットと、セラミック製のコーンによる中低音ユニットによるコンパクト型2ウェイだが、とにかく音場の広さには圧倒させられた。スピーカーの周りの空間までもが朗々と歌いまくるという、得難い再現性を持つ機種だ。定価は約55万円だが、一度気に入ったら長く鳴らし込みたくなる製品だと思う。

 X MonitorをドライヴさせていたアンプがAPRIL MUSIC社Stello Ai500という機種。何と韓国のメーカーである。 他のスピーカー群と繋げて聴いたわけではないのでアンプ単体のキャラクターは把握しきれてはいないが、なかなか駆動力のある製品であることは確かだ。洗練されたデザインも相まって、所有欲をくすぐる機器である。

 米国ANTHONY GALLO ACOUSTICS社のスピーカー、The Reference 3.5も面白い製品だ。まるでオブジェのようなスタイリッシュな外観。低音ユニットが横向きに付けられているせいか、音場の展開が巧みだ。左右に棚引く音響空間の創造性には、誰もが聴き入ってしまうだろう。

 独MUSIKELECTRONIC GEITHAIN社のスピーカーは昨年(2010年)秋のオーディオフェアでも試聴したが、今回はスタジオモニター用の高級機であるRL 901に接することが出来た。前回聴いた比較的低価格の民生用機はあまり印象に残らなかったが、このRL 901は優れ物だ。バランスの良いモニター的サウンドなのだが、音の一つ一つが芳醇で楽器や声の響きが味わい深い。パワーアンプ内蔵型のアクティヴ・スピーカーで、意外と使いこなしは難しくなさそうである。民生用として本機を元にしたME901KAという機種もリリースされる予定とのことで、それも機会があれば聴いてみたい。

 英国Harbeth社のスピーカーは毎回試聴しているが、今回は勝手が違う。例年ではスウェーデンのPRIMARE社のアンプでドライヴしていたのだが、同社の日本での販売権が切れたせいか、国産のACCUPHASEのアンプを使用していた。ところが、印象が前回までと全然違うのである。奥ゆかしい柔らかさに、パッと明るい積極性が加わった。アンプをチェンジしただけでこうも変わるものかと驚いた次第。これならばジャズやクラシックはもちろん、ロック系でもイケそうだ。考えてみると私のメイン・システムのアンプもACCUPHASEだし、Harbeth社のスピーカーは次のグレードアップの有力候補になりそうである。

 米国McIntosh社は古くから高級アンプ類の作り手として知られているが、珍しく今回はスピーカーを大々的にアピールしていた。最近リリースしたXRT2Kである。中高音ユニットを縦にズラッと並べた奇態なデザインで、正直サランネットを外した様子は見ていて“引く”ものがある(笑)。しかし、音は実に正攻法だ。明るく開放的だが、余計なケレン味はない。聴感上はフラットで、十分な分解能を確保している。

 昔からMcIntoshのアンプは色彩感のあるパワフルな音というイメージがあるが、それは同社のアンプがJBLALTECといった典型的な西海岸サウンドのスピーカーとペアで鳴らされることが多かったからだと思う。McIntosh自体は元々は東部のメーカーだ。XRT2Kのキャラクターも含めて、明朗なハイスピード系の音は、THIELMAGICOといった最近のアメリカの“主流派”(?)にも通じるものがある。McIntoshのアンプも汎用性は高い。いつか欧州ブランドのスピーカーを繋げて聴いてみたいものだ。

 ハリウッドにある世界屈指のレコーディングスタジオ「オーシャンウェイ・レコーディング」のオーナー兼エンジニアが開発したモニターシステムが、OCEAN WAY MONITORSである。フェア会場ではそのハイエンドモデルHR-2が展示されていた。

 高さが190センチほどある大型スピーカーに加え、専用イコライザーとクロスオーバーを含めて800万円強にも達する高額商品。ユニットごとのマルチ駆動に必要なアンプと、それに見合ったプレーヤーなどを用意すると2千万円は軽く超えるシステムになる。音の方だが、カラリと晴れ渡ったウエストコースト・サウンドだ。しかも圧迫感や特定周波数帯域の不自然な強調感もない。屈託のない押し出しの良さに加え、音場の奥行きは恐ろしく深く、音楽情報の全てを引き出そうという感じのサウンド・デザインである。これを一般家庭に入れようというユーザーはめったにいないだろうが(笑)、今回聴けただけでも有意義だった。

 イタリアのSONUS FABER社のスピーカーの音は、明るくて色気がある。新製品のAMATI futuraを試聴することが出来たが、本当に魅力的だ。ドイツ・オーストリア系のオーケストラの音色が、いつの間にか指揮者だけイタリア人に交替したような感じになってしまうのは御愛嬌だが(爆)、それも許してしまえるほどの吸引力がある。仕上げも実に美しい。

 独QUADRAL社のスピーカーは以前のフェアでハイエンド機のTITANや上級機のORKANなどを試聴したことがあったが、今回聴いたのはそれらより安いWOTANである(とはいってもペアで50万円だが ^^;)。ORKANよりもユニットサイズが小さい分だけ低域の量感は抑えられるが、その代わりに中高域の小気味良さが印象付けられる。このメーカーの製品を聴いていつも思うのだが、真の意味で“万人向き”というのは、こういう音ではないだろうか。広いレンジ感を持ち、明るく滑らか。絶対にイヤな音を出さない。音場展開も自然そのものだ。同じドイツ製のELACと比べると知名度では相当に落ちるが、もっと知られて良いブランドだ。

 国産のスピーカーの新製品としては、SONYが2010年末にリリースしたSS-NA2ESのデモが行われていた。重量が1本32kgのトールボーイ型で、ユニットにも筐体にも作りに手間暇を掛け、にもかかわらずペア40万円弱という、それだけ聞くとかなりのコストパフォーマンスを確保していると言える。しかし、出てくる音にはまったく感心しない。全体的にキッチリと作られてはいるのだが、まろやかさや艶・色気・温度感・空気感・明るさといった音楽鑑賞に必要なファクターは皆無(おまけに、高域にヘンな強調感がある)。もちろん“色気だの何だの、そんなのは不要だ! 解像度と情報量とレンジの広さだけがあれはばいい!”と切って捨てるユーザーも多いことは想像に難くないが、少なくとも私は家庭でこの音を聴きたくはない。

 別のブースで鳴っていたPIONEER(およびそのハイエンドブランドのTAD)のスピーカーも、同様に無機的で楽しくない音しか出ていない。日本の大手メーカーのスピーカー開発者は、もっとコンサートに足繁く通ったり、自分で楽器を手にするなどして、音楽に接する機会を多く持つべきである。

(この項つづく)
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「第8回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その2)

2011-04-16 06:16:53 | プア・オーディオへの招待

 このイベントのもうひとつの注目企画が「ハイエンドカートリッジ体験会」である。以前にも述べたが、カートリッジというのはレコード針及びレコードの音溝の振幅を電気信号に変換するための発電コイル等を含めた装置の総称である。昔はたくさんの商品が市場に出回っていたが、CDが市民権を得た80年代後半から製品数が少なくなり、一頃は極少数のメーカーを除いて総撤退状態になっていたものである。ところが近年またアナログが見直され、ラインナップが復活しつつある。

 このフェアで取り上げられた機種は4つ。ACCUPHASEのAC-5、My Sonic LabのEminent GL、ortofonのMC-A90、そしてJan AllaertsのMC2 Finishである。使用していたターンテーブルとトーンアームのブランド名は分からなかったが、フォノイコライザーは独Burmester社のもの、アンプは独Lindemann社製、そしてスピーカーは国内ガレージメーカーのG.T.soundのものが起用されていたようだ。

 まずAC-5だが、国産高級アンプ・メーカーの雄であるACCUPHASEの製品らしく、かなりカッチリとした音造りをしている。高域から低域まで過不足無く出て、音場の広さも申し分ない。次にデモされたEminent GLはAC-5とほぼ同じ展開ながら、音像の実体感と彫りの深さが加わった感じだ。製造元のMy Sonic Lobは数々の国内有名メーカーで実績を上げたエンジニアが定年後の2001年に立ち上げたガレージ・メーカーだということだ。

 MC-A90になると、音に明るさとまろやかさが出てくる。デンマークに本拠を置くortofonはMC型カートリッジの老舗で、数多くの名機を作り出している。この製品もさすがの存在感を醸し出していた。最後にMC2 Finishに付け替えてみると、音に陰影が加わる。レンジも広い。まさに横綱相撲だ。Jan Allaertsは米国のエンジニアの名前で、一人で手作りするために僅かしか市場に出ない。その意味でも今回の試聴は得難い経験だったと思う。

 ・・・・と、ここまで書いてきて、むなしさを感じてしまった(爆)。なんとAC-5は定価25万円、Eminent GLは35万円、MC-A90は55万円、MC2 Finishに至っては75万円という高価格なのである。たかがレコード針に数十万円も注ぎ込めるユーザーなんて、どのくらい存在するのだろうか。このイベントに集まった手練れのオーディオファンでも、75万円のスピーカーは買えても75万円のカートリッジなんかに縁はないだろう。

 昔は、カートリッジは2,3万円も出せば十分使えるものが手に入った。6,7万円の値段が付けられていれば高級品クラス。10万円を超えればハイエンドだった。それが現在、いくらユーザーが少なくなったとはいえ、35万円だの55万円だのといった一種法外な価格の商品が平気で出回っているという事実は、何か釈然としないものを感じる。

 正直な話、75万円のMC2 Finishと25万円のAC-5との音質差はそんなにあるわけではない。両者を聴き比べれば分かるが、その機会だってこのようなイベントでもない限り、一般ユーザーが持てるはずもない。通常、アンプやスピーカーならば3倍の価格差は圧倒的であるはずだが、そのようなグレード差は今回の試聴会で感じることはとうとうなかった。

 我々が買えるような、5万円クラスのカートリッジとの比較から始めるべきだったと思う。まあ、試聴に使用したディスクがあまり録音の良いものではなかったのも、盛り下がる原因の一つだったのかもしれないが。

 カートリッジの聴き比べと平行して、レコードクリーナーのデモンストレーションも行われた。ところが、ただのクリーナーではない。独Hannl社Mera ELという製品で、定価が55万円もする。クリーニング液を利用する湿式タイプで、幅と奥行が38センチ、高さも24センチという、大型プレーヤー並の図体だ。

 輸入代理店のアンダンテ・ラルゴ社の関係者は素晴らしい性能であることをアピールし、実際にクリーニング効果はけっこうあると言えるのだが、このためだけに55万円を払うかといえば、たとえ手元にカネがあったとしても二の足を踏むだろう。当然の事ながら、盤面の傷とか盤全体の歪みとかには対応出来ない。あくまでもこれはクリーナーなのだ。ハッキリ言って、個人的にレコード盤自体をまるで腫れ物に触るように後生大事に扱うことには、抵抗感を覚える。しょせんは音楽メディアの一つに過ぎない。普通にキレイにしていればそれでいいのではないかと、大雑把な性格の私などは思ってしまうのだ。

 ただし、アンダンテ・ラルゴ社が提供しているオーディオラックはなかなかのものだと思った。一見華奢だが、実際触るとビクともしない高剛性。他社のゴツいラックに比べても見た目の圧迫感がない分見栄えが良い。ラックによっても音は変わる。次回はラックの聴き比べ大会なんかやっても面白いのではないだろうか。

(この項つづく)
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「第8回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その1)

2011-04-15 06:36:22 | プア・オーディオへの招待

 去る4月8日から10日にかけて、今年(2011年)で第8回目となる「九州ハイエンドオーディオフェア」が福岡市博多区石城にある福岡国際会議場で開催された。一時は震災の影響で実行も危ぶまれたらしいが、どうにか例年通り開かれたのは嬉しい限りだ。

 今回の目玉企画のひとつは「Net Audio最前線!」である。評論家の山之内正を迎え、近年にわかに脚光を浴びているネットワークを利用したオーディオシステムの紹介と実演が行われた。インターネット回線およびパソコンと音楽データを格納するサーバーなどから構成されるネットオーディオは、講師の山之内によれば「オーディオソースがレコードやCDなどの回転系メディアから脱却する、エポックメイキングな方法論」であるらしい。

 以前のフェアでも紹介されたスコットランドのLINN社DSシステムを手始めとして、iPadやiPhoneを機器の制御用として使う方式が披露された。また、音楽データの取扱を簡便にするソフトウェアや、複数のオーディオシステムをLANで繋いで音の出方を一括管理するメソッドなども紹介されている。少なくとも、CD数千枚・数万枚分の音楽データを容易に整理・コントロールできるという意味では、ネットオーディオは導入する価値があるだろう。

 しかし、この催しでは私が一番知りたいことを教えてはくれなかった。ネットオーディオで扱われる元の音楽データは、とどのつまりがCDなのだ。ネット上でダウンロードできる音楽ソフトは圧縮音源であり、CDよりも音は悪い。もちろんLINN社などが提供する高音質ソフトも出回ってはいるが、それは絶対数が足りない。だから多くは市販CDからデータをコピーして、HDDをはじめとする各種メモリーに読み込ませるしかない。ここで問題になるのは、CDからコピーされネットオーディオにて再生されるサウンドのクォリティと、普通にプレーヤーから再生される音とでは、どちらが上質であるのか・・・・ということだ。

 講師の山之内は「ほぼ同等。またCDからリッピングされた音楽信号の再生の方が優れていることもある」などと言っていたが、そんなことは直ちに信じられない。両者の聴き比べから始めるべきだったと思う。

 もしもCDからリッピングされた音楽信号の再生が、CDプレーヤーを使用する従来型の再生よりも音質面で総体的にいくらかでも劣るのならば(現時点ではその可能性は高いと思う)、私にはネットオーディオを導入する理由はない。人生は長いようで短い。そのなかで音楽に浸ってリラックスできる時間はほんのわずかだ。その貴重な時間を、せっかく手持ちのCDがあるのにわざわざパソコンに読み込んで、結果としてCDプレーヤーよりも落ちる音質に付き合わなきゃならない道理なんか、どこにもない。

 いくらネットオーディオはCDを取っ替え引っ替えする必要がないといっても、簡便性だけではオーディオは語れないというのも、また確かなのだ。

 大枚叩いてネットオーディオを導入するより、上質なCDプレーヤーを揃える方が、私にとっては(今のところ)合理的な選択である。もちろん、レンタルしてきたCDをバックアップするにはパソコンの助けが要る。でも、そんな音源はBGM的に聴くか、iPod等に放り込んで外出先で楽しむという使い方しかしない。つまりはメインの音源ではない。お気に入りのソースとしっかり対峙するには、やはり出来るだけ良い音質で聴きたいものだ。

 断っておくが、私もネットオーディオにも可能性はあると思う。将来ネット上にCDを凌駕する高品質な音楽ソースが溢れるようになれば、私も嬉々としてシステムを導入するだろう(笑)。会場ではMARANTZのネットワークプレーヤーがデモされていたが、同社は米アップル社と機器の共同開発をしているという。IT業界とオーディオ業界との提携で、また何か新しい方向性が見えてくることも大いに考えられる。期待を込めて、推移を見守りたいものだ。

(この項つづく)
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「高校デビュー」

2011-04-14 06:33:18 | 映画の感想(か行)

 他愛のない映画なのだが、楽しい時間を過ごすことが出来た。河原和音の同名コミックの映画化で、監督は快作「ハンサム★スーツ」の英勉ということから予想される通り、過剰にマンガ的な映画である。ただし「ハンサム~」にあった、時折キラリと光る深い主題の提示なんかは無い。でもそれが悪いということではなく、ストレートにコメディ路線を突き進もうという、作者の開き直りが感じられて好ましいとも言える。

 中学時代にはソフトボールに明け暮れ、大きな実績も挙げてきたヒロインの晴菜は、高校入学を期にソフトを捨てて恋をしようと決意する。しかし、そんな彼女の気負いとは裏腹に男っ気のない生活が半年間も続く。切羽詰まった晴菜は、偶然出会った学園一のモテ男のヨウに無理矢理“弟子入り”して“恋愛指南”を請うことになるが、ヨウの側も過去の苦い経験から色恋沙汰には及び腰だ。かくして、ナイーヴ過ぎる一本気な女の子と斜に構えた二枚目野郎との、珍妙な恋愛道中が始まる。

 話としてはスクリューボール・コメディの典型であり、誰しも展開と結末は予想が付く。問題は語り口なのだが、これがけっこう侮れない。周りのキャラクター配置と、二人の前に立ちはだかる“障害”の挿入に無理がないのだ。英監督が得意とするカラフルな画面造型とポップな筆致は健在で、多少の展開のもたつきも軽くカバーしてしまう。大人の登場人物がほとんど出てこないのも、良い割り切り方だと思った。

 晴菜に扮するのは映画初出演の大野いと。コイツは面白い。小さい顔に、それとアンバランスなほどに体育会系の身体。ギクシャクと妙な動きでスクリーン上を走り回り、素っ頓狂な科白回しで観る者の笑いを誘う。演技面ではまだまだであるが、出てくるだけで周囲におちゃらけた空気を充満させる陽性の持ち味は貴重だ。

 ヨウを演じる溝端淳平は“ルックスだけの大根”といった域を出ないが(爆)、ヨウの友人役の菅田将暉と古川雄輝がナイスキャラ。何より愛嬌がある。逢沢りなや宮澤佐江といった脇の女優陣も悪くない。ただし、お笑い芸人の起用はマイナス。ここは普通の俳優にコメディ演技をさせた方がインパクトが高かっただろう。

 上映時間が1時間半程度と短いのもメリットで、肩肘張らずに眺めているには絶好のシャシンだ。とはいえ、英監督には次回は別の題材に挑んでも面白いのではと思った。
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「SHOWER こころの湯」

2011-04-13 06:37:08 | 映画の感想(英数)
 (原題:洗澡)99年作品。北京の下町で銭湯を経営する親子と、そこにやってくる常連客との交流をペーソスたっぷりに描く人情喜劇だ。

 冒頭に出てくる“人体自動洗浄装置”はケッ作。キャスト面ではTV「大地の子」でもお馴染みのチュウ・シュイが実に良い。見ているだけでホノボノとしてくる。まさに“癒やし系”の老年俳優である。

 ただし、後半彼がいなくなると、作劇上の欠点が目立ってくるのも事実。余計なエピソードが多いし、そのどれもが納得できる決着をつけないまま漫然とエンドマークを迎えてしまう。チャン・ヤン監督は「スパイシー・ラブスープ」(97年)のようなオムニバスものならボロを出す前に切り上げられるが、長編映画におけるドラマの交通整理に関してはまだまだのようである。

 それにしても、先日観た「再会の食卓」でもそうだったが、銭湯の閉鎖をはじめとする容赦ない再開発を強行する中国当局は、地域コミュニティなんか屁とも思っていないのだろう。もちろん住民エゴが横溢するのも困るが、こういう有無をも言わせぬ遣り口は、決してホメられるものではない。
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「君を想って海をゆく」

2011-04-12 06:31:51 | 映画の感想(か行)

 (原題:Welcome )長い間映画を見続けていると、今まで知らなかった事実を扱っている作品に出会って驚くことも多々あるが、本作もそのひとつだ。ここで描かれているのはクルド人難民問題。もちろん故郷を追われたクルド人達の存在は誰でも知っているが、他国にたどり着いた彼らを待つシビアな境遇には身を切られる思いがする。

 舞台はフランスのカレなのだが、この地ではクルド人は完全な“異質なもの”として処遇され、彼らに便宜を図った者はもちろん、親切心から手助けをすることも違法だ。市民ボランティアでさえ、ゲリラ的な活動を余儀なくされている。たとえ普遍的な人情の発露であっても、国家権力によって抑えつけられるという不条理。それがフランスのような先進国で罷り通っている事実は、閉口するしかない。

 物語はクルド人の少年が英仏間のドーバー海峡を泳いで渡ろうとする様子を中心に進むが、もちろん記録に挑戦するわけではない。英国に移住した恋人に会いたいがための切羽詰まった行動なのだ。彼はその前にも密航を企てるが、ことごとく発覚して検挙される。残る手段は自力で海を渡るしかない。だが、水泳は素人である。彼はかつて五輪のメダリストだった水泳コーチに、無理矢理に弟子入りして教えを乞う。

 昔は一流選手として知られたこのコーチは、中年になった今は落ちぶれて地方の市民プールで働いている。彼の造型は巧みである。妻とは別居中で、離婚寸前。若い頃は天狗になって周囲を思い遣ることはなく、トシ取った今そのツケが回ってきたのだ・・・・という、よくある設定を用いていないのが良い。

 彼は元々他人と心を通わすことが苦手な人間だったのだ。彼の部屋にある大量の書物やCD類は、世間一般で言われるような“体育会系”のイメージではない。内向きのキャラクターであったにも関わらず、水泳の才能で思いがけず世に出てしまった。そのディレンマが年を重ねた今も彼を悩ませている。そして、何とか人のために生きたいと思っていた時に出会ったのが件のクルド人少年だ。

 二人がやがて家族のような親密な時間を過ごすようになるまでのプロセスは、なかなか自然で良い。なお、アメリカ映画なんかとは違って本作は万々歳のハッピーエンドにはならない。社会情勢そのものが楽観を許さない局面に達しているということだろう。そんなフィリップ・リオレ監督の指摘は痛切だ。

 少年役のフィラ・エヴェルディ、コーチに扮するヴァンサン・ランドン、共に好演。コーチの妻を演じるオドレイ・ダナもしっとりとした魅力があって良い。語り口は幾分ウェットなところがあるが、まずは観る価値はある佳作だと言える。
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「WATARIDORI」

2011-04-11 06:33:53 | 映画の感想(英数)
 (原題:Le Peuple Migrateur )2001年作品。100種類を超える渡り鳥の生態を丹念に追った記録映画だ。監修を務めたジャック・ペランはかつて「ミクロコスモス」で昆虫の世界を描いてみせたが、渡り鳥をネタにした今回の作品は、前回よりも格段に製作の困難を伴ったであろうことは想像に難くない。2002年度アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネート作品でもある。



 それを克服したスタッフの努力にただただ感服するのみである。正直言って、この作品に対して“展開がどうの”とか“テーマはこうだ”とか言及するのは野暮であると思った。ここには環境保全を主張するようなワザとらしいナレーションも、鳥の生態を必要以上に紹介するような教条主義的コンセプトもない。観客は単純に映像の素晴らしさを堪能すればよく、そのためには散見されるヤラセなど無視してOKだ。

 ブリュノ・クーレによる音楽も実に心地良い。またニック・ケイヴの楽曲と共にロバート・ワイアットのナンバーが採用されていたことには驚いた。言うまでもなく往年の先鋭的なジャズ・ロックバンド「ソフト・マシーン」のドラマーであり、今も活動を続けている英国ロック界の異能だ。こんなところで名前が出てくるとは思っていなかった。
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「再会の食卓」

2011-04-10 06:58:16 | 映画の感想(さ行)

 (原題:団圓 APART TOGETHER )卓越した脚本が、作品のテーマを浮き彫りにする。歴史に翻弄されて別々に生きることになった男女と、現代の世相とを並立させることによって、家族の幸せの意味を改めて考えさせる、なかなかの秀作だと思う。

 第二次大戦後に上海から台湾に渡った元国民党兵士のイェンションは、大陸に戻れずに妻と生き別れになってしまう。彼はそのまま台湾で家庭を持ち、40年の歳月が流れる。やっと“里帰り”が許され、イェンションは今は上海で新しい家庭を持っているユィアーを訪ねることになる。すでに台湾での伴侶を亡くし、隠退生活に入った彼は余生を“本当の妻”であるユィアーと共に暮らすために、彼女を連れて帰るつもりなのだ。ユィアーの夫のシャンミンは、事情を知りつつも精一杯にイェンションをもてなすのだった。

 誰が悪いわけでもない。愛し合っている者達でさえ、簡単に引き裂かれるような厳しい時代だった。何度も登場する食事の場面は、各人のセリフよりも饒舌だ。今のユィアーの子供達は、当然の事ながら母親が台湾に行ってしまうことに反対する。ただ、狭い家の中で食卓を囲み膝突き合わせて言い合いをするうちに、相手の心情というものを徐々に理解していく。

 自分の立場に固執するだけでは何も解決しない。大事なのは、全体的な幸せがどのように上手く“配分”されていくかだ。さらに本作の巧妙なところは、ユィアーの孫娘のドライな視点を挿入させ、物語を“引いて”眺めるようなスタンスをセッティングしていることだ。対象に接近しすぎず適度な距離を置くことによって、終盤の思いがけない展開の伏線としている。

 激しい時代の流れに巻き込まれたシャンミンたちの世代に対し、現代において家族を離反せしめるものはいったい何なのか。作者の真摯な問題提起が光る。ラスト近くの扱いなど、小津安二郎作品を想起させるほどだ。

 ワン・チュエンアンの演出は実に粘り強い。長回しで捉えた食卓の風景は登場人物に安易な“逃げ場所”を与えず、事態に向き合う覚悟を包み隠さず活写する。リン・フォン、リサ・ルー、シュー・ツァイゲンといったキャストは達者で、直截的ではなくどちらかといえば抑えた演技なのだが、それだけ登場人物の心情を浮き彫りにさせることに成功している。上海の下町の風情も捨てがたい。2010年ベルリン国際映画祭で脚本賞を獲得しているが、それも納得出来るほどの質の高い作劇だ。
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