元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ワンダーウーマン」

2017-09-11 06:22:50 | 映画の感想(わ行)

 (原題:WONDER WOMAN)予想を上回る面白さで、鑑賞後の満足度は高い。矢継ぎ早に作品を投入し、駄作はあるが快作も確実に存在するMARVEL陣営に比べ、DCコミック側は感心しない展開が目立っていたのだが、本作の登場によって状況が変わってきた。次なる「ジャスティス・リーグ」のシリーズにもいくらか期待が持てる。

 古代より女性だけのアマゾン族が暮らすパラダイス島で、ようやく誕生したプリンセスのダイアナは、快活で好奇心旺盛だが島の外の世界を知らずに育った。そんなある日、彼女は島に漂着したアメリカ人パイロットのスティーヴを助ける。折しも外界では第一次大戦の真っ最中。スティーヴを追って島に侵攻しようとしたドイツ軍を撃退したダイアナ達だが、彼からドイツが大量破壊兵器を開発して世界を脅かそうとしていることを聞き、ダイアナはこれは軍神アレスの仕業だと確信。世界を救うため、二度と島には戻れないと知りながら彼女はスティーヴと共にロンドンへ赴く。

 まず、舞台を戦時中に持ってきたのが勝因だ。各国が自前の正義を振りかざし、殺戮行為を正当化していた時代。そんな混迷の中にあって、ダイアナの“アレスを倒せばすべて解決する”という考え方も、結局は戦争当事者達の(表向きの)スローガンと一緒である。そんな一面的な考え方から、戦争および人間の行動様態の実相が解明されていくという筋書きは、ヒロインの“成長”ともシンクロし、かなりの効果を上げている。

 そして何と言っても主演のガル・ガドットだ。堂々とした体躯と群を抜くルックス。しかも、若干の天然ぶりと可愛らしさをも感じさせ、これ以上には無いと思える起用である。アクション場面も文句なしで、特に塹壕から飛び出してドイツ軍に向かって突撃していくシークエンスは、胸が躍った。

 スティーヴに扮するクリス・パインも絶好調。“パッと見た感じは軽量級だが、実は熱血漢”という役柄を上手く表現していた。そしてパトリック卿を演じたデイヴィッド・シューリスもさすがの海千山千ぶりだ。監督のパティ・ジェンキンスは何と「モンスター」(2003年)以来の仕事になるが、かなり上達した様子が窺える。

 まあ、終盤の敵の首魁とのバトルが他のヒーロー映画とあまり変わらない展開になったり、マッドサイエンティストの女性化学者(エレナ・アナヤ)の掘り下げが浅かったりと欠点もあるのだが、勢いのある作劇の前にあっては気にならなくなってくる。

 マシュー・ジェンセンのカメラによる戦場のリアルで寒々とした光景や、ルパート・グレグソン=ウィリアムズの音楽も要チェック。今後の「ジャスティス・リーグ」の出来がどうなるかは分からないが、ワンダーウーマンに限っては心配御無用といったところだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夏の別れ」

2017-09-10 06:47:33 | 映画の感想(な行)
 81年作品。高名な脚本家である中島丈博が設立した“中島丈博ぷろだくしょん”の第一回作品だが、第二回以降の話を聞いたことがないので、このプロジェクトは自然消滅したのだと思う(間違っていたらゴメン)。そのことを暗示させるように、何とも気勢の上がらない出来だ。

 湘南海岸の近くに住む18歳の浩は、高校卒業後も目的がなく毎日ブラブラしている。彼の楽しみは当てもなく海を泳ぐことだが、ある日沖に浮かぶ豪華なヨットの上で、白昼堂々と睦み合う男女を目撃する。その神々しいまでの存在感に圧倒された浩は、自分も“ヴィーナス”みたいな相手を探したいという無謀な願望を抱く。だが、その“ヴィーナス候補”は意外に早く現れる。それは、ひょんなことから知り合った売れっ子モデルの響子だった。身の程も知らずにアタックを開始する浩だが、彼女をよく知るルポライターの俊介はいい顔はしない。やがて事態は思わぬ展開を見せる。



 暑苦しい浩の家庭の状況を狂騒的なタッチで映し出した冒頭から、大海原を泳ぐ浩の画像に切り替わるタイミングは絶妙。しかし、良かったのはこの部分だけ。勝手な思い込みで無鉄砲な行動を続ける浩には共感できないし、響子と俊介との関係性も、思わせぶりだが実質的に何も描かれない。だから終盤の暗転もインパクトが小さく、若造の成長ドラマにもなっていない。監督はこの作品がデビュー作となる東映出身の井上眞介だが、これ以降もあまり目立った仕事はしていないようだ。

 ただ、響子を演じる萬田久子の放つ独特のオーラだけは印象的だった。これが彼女の実質的なデビュー作で、演技面では見るものは無いが、目を離せないヤバそうな雰囲気はこの頃から健在だった。それに比べれば、主役の安藤一夫をはじめ麻生えりか、五十嵐めぐみといった面々はどうでも良い。滝田栄や佐々木すみ江、井川比佐志、平田昭彦といったベテランも出ているのだが、持ち味が出ていたとは言い難い。

 そういえば本作は別の映画との二本立て上映だった(配給は東映系)。昔は注目作の興行の合間に、こういう(穴埋め的な)カップリングの番組もあったことを思い出す。今では考えられないことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エル ELLE」

2017-09-09 06:36:57 | 映画の感想(あ行)

 (原題:ELLE)物足りない出来だ。監督がポール・ヴァーホーヴェンだから、もっとエゲツなく、もっとセンセーショナルに盛り上げて然るべきだったが、彼もトシを取って丸くなったのか切れ味不足で退屈至極な展開に終始。期待していた“変態度”が低すぎて話にならない(笑)。

 ゲーム会社の社長を務めるミシェルは、ある日自宅に侵入してきた覆面の男にレイプされてしまう。ところが彼女は警察に通報もせず、訪ねてきた息子ヴァンサンには何事も無かったかのように接する。翌日、いつも通りに出社したミシェルは、共同経営者で親友のアンナと共にスタッフから新作ゲームのプレゼンテーションを受ける。そして周囲に暴行を受けたことを平然と触れ回る。

 ミシェルの父は死刑囚で、母親は若い男を漁っている。ヴァンサンの妻は病院で出産するのだが、赤ん坊の肌の色は黒くて明らかに彼の子供ではない。それでもヴァンサンは普通の夫婦を演じようとする。近所に住む銀行員パトリキは一見マジメだが、熱心すぎるカトリック教徒の妻に振り回されている。斯様に一筋縄ではいかない面々に囲まれているミシェルだが、レイプ事件の真犯人とも奇妙な関わりを持ち続けることになる。

 主演のイザベル・ユペールが高評価のようだが、逆に彼女が画面の真ん中に鎮座することで、映画自体のインパクトがかなり薄められているような気がする。なぜなら、元々ユペールは根っからのクセ者で、特にミヒャエル・ハネケ監督の「ピアニスト」(2001年)では、超弩級の変態ぶりを披露している。そんな彼女が本作でアブノーマルな役柄をエキセントリックなタッチで演じても、“何を今さら”という感じなのだ。

 それでもヴァーホーヴェンの演出が賑々しく盛り上げてくれるのならば良かったのだが、今回の彼の仕事は何やらスマートでハイ・ブロウな線を狙っているためか、どうも及び腰だ。

 曰くありげな人物を多数配しているわりには、突き抜けた描写が見られない。ラストなんか完全に拍子抜け。少なくともヴァーホーヴェンが2006年に撮った「ブラックブック」の足下にも及ばない。主役をユペールのような難物ではなく、普段はマトモな役をこなしているマトモな女優を起用した方が、数段効果的だったはずだ。

 ローラン・ラフィットやアンヌ・コンシニ、シャルル・ベルリングといった脇のキャストは、馴染みが無いせいか印象が薄い。ステファーヌ・フォンテーヌの撮影とアン・ダッドリーの音楽は及第点に達しているが、それだけでは評価は出来ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ワールド・アパートメント・ホラー」

2017-09-08 06:32:23 | 映画の感想(わ行)
 90年作品。大友克洋監督による実写映画としては他に「蟲師」(2007年)があるが、私は未見である。ただし、アニメーション作家の印象が強い大友だが、オムニバスや短編を除いた長編アニメは2本だけで、現時点では(自主映画を除いた)実写作品と同数である。だから“アニメーション映画の作り手として云々”という前置きは適当ではなく、虚心に一本の劇映画として接するのが相応しいと思われるが、それにしても本作は面白い。この時期の邦画を代表する快作だと思う。

 東京の場末に建つ古ぼけたアパート・南海荘には、不法滞在しているアジア人が多数住み着いていた。彼らを叩き出すため地上げ屋からチンピラヤクザのヒデが派遣されるが、なぜか錯乱状態に陥って撤退。代わりに弟分の一太が送り込まれ、さっそく嫌がらせを開始するが、住人たちはまったく動じない。

 それどころか彼らのトンチンカンなリアクションにより、一太のストレスは増すばかり。やがてアパート全体にポルターガイスト現象が起こり、一太は発狂寸前。住人たちは悪魔払い師を呼び、怪しげな儀式を始めて何とかその場は収まるが、今度はヤクザたちがアパートに乗り込んで大乱闘が勃発する。

 幾何級数的に大きくなる騒ぎを、腰砕けにならずに最後まで引っ張る演出に感服する。俯瞰やローアングルを多用したカメラも効果的で、どんなに際どいシーンにも笑いを忘れないところは流石だ。

 そして下っ端のチンピラに“日本人は、白人だァ!”と叫ばせてしまうシニカルな視点は、現代にも通じる危うい現実認識を感じさせてドキッとする。今の日本にはアジア人労働者は必要不可欠で、その数は増えていることは頭では分かっているのだが、ついついその存在に鬱陶しさを覚えてしまう我々の“本音”を突きつけられる思いだ。そして、この汎アジア的な視点をオンボロアパートのドタバタ劇というマイナーな題材で扱ってしまう野心的な作者のスタンスを評価したい。

 SABUや中村ゆうじ、中川喜美子、出川哲朗といった濃いキャスティングも要チェックである。またスタッフに(今は亡き)アニメーション界の鬼才・今敏が加わっていることも感慨深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ベイビー・ドライバー」

2017-09-04 06:28:32 | 映画の感想(は行)

 (原題:BABY DRIVER )世評通りの面白さだ。ストーリーはありがちだが、キャラクター設定と“仕掛け”が抜群に上手く、最後までまったく飽きさせない。一部では“カーチェイス版「ラ・ラ・ランド」”という声もあるらしいが、はっきり言って「ラ・ラ・ランド」より遙かに楽しめる。特に音楽の使い方の巧拙は、天と地ほどの違いがある。

 アトランタの町で犯罪組織から“逃がし屋”の仕事を請け負っている通称“ベイビー”は、若造のくせに超高度なドライビングテクニックで警察をキリキリ舞いさせ、成功率は100%を誇る。彼は幼い時の事故の後遺症で慢性の耳鳴りを患っているのだが、自分なりにプレイリストを仕上げたiPodで音楽を聴く時だけ耳鳴りが治まり、凄腕のドライバーに変身するのだった。ある日彼はレストランでウェイトレスのデボラに一目惚れしてしまい、彼女と付き合うために足を洗うことを決心する。しかしベイビーを手放したくない彼のボスは、逆らうとデボラに危害を加えることを仄めかして、より危険な仕事に向かわせる。

 主人公が聴く音楽とカーアクションとが見事にシンクロしていることに、まず驚嘆する。音楽に合わせて車が縦横無尽に走り回り、宙を飛び、クラッシュする。使われている楽曲がこれまたセンス満点で、クイーンやサム&テイヴなどのポピュラーなナンバーから、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンやフォーカスなどの通好みまで、作者および主人公のディープな趣味を見せつけるかの如く効果的に並べられている。また、ベイビーが自作の曲を保存するメディアがカセットテープだというのも泣かせる。

 予想通り、ベイビーが中盤以降に取り組むミッションは一筋縄ではいかず、仲間同士の裏切りや思わぬトラブルによって事態は二転三転する。ボスよりも悪辣なギャングに追いかけられる一方で、ベイビーと今は亡き両親との関係や、耳が不自由な養父に対する愛情などが挿入され、ドラマに厚みを与えている。

 これがハリウッド進出第一作になる英国の異能エドガー・ライトの演出はノリまくり、緩急も加えた名人芸で唸らされる。主演のアンセル・エルゴートは文字通りのベイビー・フェイスだが、芯の強さを感じさせる。ヒロイン役のリリー・ジェームズも(少しケバいけど)悪くない。またケヴィン・スペイシーとジェイミー・フォックスが嬉々として悪役を演じていいるのも見ものだ。

 個人的にウケたのが主人公の(若い頃の)母親役にスカイ・フェレイラが扮していて、得意の歌声を披露していること。さらに、裁判所の職員役でウォルター・ヒル監督が顔を見せているのにはニヤリとした。言うまでもなく彼が撮った「ザ・ドライバー」(78年)は、このジャンルの代表作だ。あの映画と比べてみるのも一興であろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「デッドコースター」

2017-09-03 06:50:01 | 映画の感想(た行)
 (原題:Final Destination 2 )2003年作品。間一髪で飛行機事故を逃れた高校生たちが、死神から追い回され次々と無惨な最期を遂げてゆくという「ファイナル・デスティネーション」(2000年)の続編。前回はアイデア倒れの凡作と言うしかなかったが、この二作目は「マトリックス リローデッド」のアクション監督をつとめたデイヴィッド・エリスが演出に当たり、かなり気合いの入ったサスペンス・ホラーに仕上がっている。

 友人達と遊びに行くため車を運転していたキンバリーは、インターチェンジから高速道路に入る直前に、大規模な玉突き事故が発生して自身を含めた大勢の犠牲者が出る白昼夢を見る。正気に戻った彼女は、現実が夢の中身をトレースしていることに気付き、自分の車でインター入り口を塞いで後続車が事故に巻き込まれるのを防ごうとする。



 すると現実に事故は起こり、多くの死亡者が出る中、夢の中では死ぬことになっていたキンバリー自身を含めた9人が生き残った。キンバリーは1年前に起きた(前作での)飛行機事故との共通点に思い当たり周囲にそれを伝えるが、誰も真面目に受け取らない。しかし、死神は着々と彼女達に迫ってくる。

 冒頭の自動車事故のシーンだけでも度肝を抜かれること請け合いだが、ヒロインの“予知夢”により九死に一生を得た人々が“死ぬ運命”から抜け出せずに一人また一人と倒れてゆく展開は前作の数倍衝撃度が高い。

 観客の“こう来るだろう”という予想を全て裏切るドミノ倒し的な“惨劇ショー”は、血生臭さよりも“この手があったのかー!”といった仕掛けの周到さに感服してしまう。ある時はじれったいほど場を引き延ばし、またある時は呆気なく登場人物を消し去る。そのメリハリの効いた演出リズムは圧巻で、最後まで観客の目を画面に釘付けにする。

 A・J・クックやアリ・ラーター、マイケル・ランデスといったキャストには馴染みは無いが、ヘタに有名な俳優を起用していない分、血祭りに上げられる順番が予測できないという“利点”がある。上映時間が1時間半と、コンパクトなのも良い。また続編を作れそうなラストのオチも相まって(まあ、実際この後3本出来るのだが)、プログラム・ピクチュアの最良の形を見せてくれる快作だ。よほどのホラー嫌いでなければ、観て損は無いと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハイドリヒを撃て!『ナチの野獣』暗殺作戦」

2017-09-02 06:24:25 | 映画の感想(は行)

 (原題:ANTHROPOID)暗くて重い映画だが、明るい題材ではないので仕方がない。とはいえ、掘り下げが浅いので歴史物としての存在感が出せていない。史実を知らない観客にとっては“勉強”にはなるだろうが、それ以外の価値は見出しにくい映画だ。

 1942年。ナチスがヨーロッパ全域に勢力を拡大していく中、チェコスロバキアもドイツの支配するところとなり、ナチス第三の実力者と呼ばれたラインハルト・ハイドリヒが副総督として君臨していた。イギリス政府とチェコスロバキア亡命政府はハイドリヒ暗殺計画を企て、ヨゼフやヤンをはじめとする7人の工作員を秘密裏にチェコ領内に送り込む。彼らはプラハのレジスタンス組織やその家族と接触し、実行に向けて着々と準備を進める。過去に何回か映画化された“エンスラポイド作戦”を取り上げた作品で、監督は「ブロークン」(2008年)などのショーン・エリス。

 元々カメラマンだったエリス監督(撮影も担当)らしく、彩度を抑えてリアリティを持たせたドライな映像は印象的だが、各キャラクターは深くは描かれない。ヨゼフやヤンは単に直情径行型の若造として設定されており、せいぜい取って付けたような色恋沙汰が挿入されるだけで、個性があまり見えない。

 そもそも、彼らが祖国チェコに対してどういう想いを抱いていたのかハッキリしない。連合国側に存在を認めさせたいという動機だけならば、あまりにも無謀な作戦ではないか。確かにハイドリヒは冷酷で残忍だ。しかし、彼はナチスの上級幹部であっても、決してトップではない。ハイドリヒをチェコの地から駆逐しても、代わりの面子が後釜に座るだけだ。

 しかも、ナチスはこの暗殺計画の報復として、膨大な数のプラハ市民を虐殺している。果たして主人公達の行動およびチェコスロバキア亡命政府の判断が、損得勘定から考えて意義があったのかどうか(映画を観る限り)疑問だ。余談だが、ハイドリヒはレジスタンス勢力が主に中産階級のインテリ層から成ることを察知しており、彼らを締め上げる代わりに労働者階級に対して優遇策を取っていた。そのあたりのチェコ国民の実情をすくい取っていれば、もう少し作劇に奥行きが出てきただろう。

 終盤は教会に立て籠もったヨゼフ達と、彼らを捕らえようとする数百人のドイツ兵とのバトルが描かれる。このシーンは迫力があってなかなか見せる。だが、漫然と突入していくドイツ兵がバタバタと倒れていく場面の繰り返しであり、いわばゲーム感覚だ。「プライベート・ライアン」や「ハクソー・リッジ」とは別次元のシロモノだと思った方が良い。キリアン・マーフィやジェイミー・ドーナンなどのキャストは熱演だが、ドラマ自体が煮え切らないので印象に残らない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「心の地図」

2017-09-01 06:22:06 | 映画の感想(か行)
 (原題:Map of the Human Heart)92年作品。1931年、地図を作るためイヌイット(エスキモー)の村にやって来た英空軍のウォルターはアヴィックという土地の少年と仲良くなるが、アヴィックは結核にかかっており、モントリオールの病院に運ばれる。そこで白人とインディアンの混血の少女アルベルティンと親しくなるが、修道尼バンヴィルによって仲を裂かれる。成長したアヴィックは彼女を探すためカナダ空軍に志願。手がかりは彼女が口ずさんでいた歌だけだ。北極、カナダ、ロンドン、ドレスデンと舞台は広がり、彼はアルベルティンと十数年ぶりに再会を果たすが、戦争の影は二人の甘い期待を押しつぶしていく・・・・。



 イヌイットの青年と混血の娘の愛を、30数年にわたって描く大河ドラマ。題材も面白そうだったが、スタッフの豪華さが目を引く。製作は「ワールド・アパート」のティム・ビーヴァン、撮影はエドゥアルド・セラ、音楽がガブリエル・ヤレド、SFXが「エイリアン」のリチャード・コンウェイ。アヴィックに扮するのはジェイソン・スコット・リーだが、アルベルティンを演じるのはアンヌ・パリローで、ジャンヌ・モローやジョン・キューザックも顔を出すというのだから、面白くなって当たり前というような映画だ。

 しかし・・・・。観終わって、ホント怒ってしまった。全然面白くない。原因は監督だろう。ニュージーランドの新鋭ヴィンセント・ウォードの演出はメリハリがほとんどない。漫然と脚本を映像に写しかえているだけで、ドラマとしての盛り上がりに欠ける。ここが自分が描きたい、というポイントが見えてこない。

 たとえば、ロンドンのアルバート・ホールの屋上で二人が密会する場面、飛行船の上で抱き合う場面、アルベルティンと結婚したウォルターの嫉妬、爆撃後の地獄のようなドレスデンで戦争の真の悲惨さを主人公が知る場面。しかるべき監督が撮ったら、それこそ感動的に観客をノセてくれるところだが、そんなことはまったくなし。まるで安手のTVドラマのように平板な画面が流れるだけだ。

 取って付けたようなラストも感心せず、チンケな特撮が興ざめ。監督の好みらしい幻想的なイメージ・ショットが随所に挿入されるが、これが全然絵になっていない。何より、主人公二人の激しいパッションが感じられない(彼らが子供の頃の場面の方がまだマシである)。なお、私は本作を第6回東京国際映画祭で観たのだが、一般公開時には話題にもならなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする