1967年のイタリア・フランス合作映画「異邦人」を観に行った。
第2次世界大戦前のアルジェ。会社員のアーサー・ムルソー(マルチェロ・マス
トロヤンニ)は、老人施設から母親の訃報を受け取る。遺体安置所で母親と対面
もせず、葬儀で涙も流さない彼は、翌日元同僚のマリー(アンナ・カリーナ)と再
会し、海水浴や映画に行き、一夜を共にした。ムルソーは同じアパートに住む友
人のレイモン(ジョルジュ・ジェレ)とアラブ人とのトラブルに巻き込まれ、数日
後海岸でそのアラブ人と再会した時、レイモンから預かっていた拳銃でアラブ人
を射殺してしまう。裁判でムルソーは殺した理由を問われ、「太陽がまぶしかっ
たから」と答える。非人道的で不道徳だと非難された彼は死刑を宣告される。
昔の映画のリバイバル上映である。アルベール・カミュの小説をルキノ・ヴィス
コンティが映画化。ヴィスコンティ、カミュ、マストロヤンニという何とも豪華
な組み合わせだ。「今日、ママンが死んだ」というムルソーの独白から始まるこ
の物語はとても難解だ。と言うよりムルソー自身が難解な人物なのかもしれない。
ムルソーは母親の訃報を聞いて老人施設へ行くが、施設の職員に促されても遺体
との対面もしない。時間を持て余し、タバコを吸ったりコーヒーを飲んだりした。
葬儀では涙も見せなかった。翌日には元同僚のマリーと楽しい時間を過ごした。
同じアパートの友人レイモンは評判の良くない男だが、ムルソーには付き合いを
やめる理由はない。
ムルソーは何と言うのか、退廃的な性格である。物事に意味を見出そうとしない。
母親の死を悲しまなくても、母親を嫌いなわけではない。マリーに「私を愛して
る?私と結婚したい?」と聞かれても、「愛など無意味だ。でも君が結婚したい
のならしてもいい」と答える。彼にはあらゆることが無意味なのだ。印象深いの
はムルソーの汗である。物語は夏のとても暑い日で、ムルソーは老人施設に向か
うバスの中からずっと汗を拭いている。母親の棺の側でもそうだ。ムルソーとレ
イモンが海岸を散歩していると、レイモンと因縁のあるアラブ人に会い、レイモ
ンはアラブ人にナイフで腕を切られてしまう。レイモンを病院に連れていった後
ムルソーは海岸でまたそのアラブ人に会うのだが、アラブ人はナイフをちらつか
せ、ムルソーは彼を拳銃で撃ってしまう。
ムルソーは逮捕され、留置場に入れられるが、たくさんの犯罪者が雑魚寝状態な
ので驚いた。マリーが面会に来るが、他の人たちにも面会者が来ていて、檻越し
に一斉にしゃべっているので何を言っているのかよくわからない。昔の留置場っ
てこんな風だったのか。やがてムルソーの裁判が始まるが、彼は殺人の理由を聞
かれて「太陽がまぶしかったから」と答え、陪審員たちに失笑される。けれども
ムルソーにはそれしか理由が思いつかないのだ。ただでさえ暑いのに、アラブ人
が持っているナイフに太陽の光が反射して、頭がクラクラしていた。夏でなけれ
ばムルソーは殺人を犯さなかったのかもしれない、と思った。
訳のわからないことを言っているムルソーは無神論者で、それが更に判事の心証
を悪くした。もはやムルソーの犯行について審議するのではなく、彼の人間性を
問う裁判になっている。老人施設の職員も出廷し、ムルソーが母親の死を悲しん
でいなかったことを証言する。母親の死など事件には何の関係もないのに、その
ことでムルソーは冷酷な人間だと判断されてしまう。そして非人道的で不道徳だ
ということで死刑判決が下りてしまうのだ。多分ムルソーは冷酷なのではなく、
感情が薄いのだろう。母親が死んだことも、アラブ人が死んだことも、自分が死
刑になることも、大した意味を持たないのだ。
ラスト近くで独房に入れられたムルソーが司祭と話すシーンは印象的だ。全てに
おいて無感情なムルソーが、司祭と神について話した時は口論のようになってし
まう。司祭は「神を信じないなんて気の毒に」と言う。ムルソーは気の毒な人な
のだろうか。私にはよくわからない。カミュの小説は読んだことがないが、こう
いう不条理な物語を書く人なんだなあと思った。読めばきっとおもしろいだろう。
この映画の時マルチェロ・マストロヤンニは42~43歳くらいで、とてもかっこ
よかった。年を取ってからもいいけれど。
良かったらこちらもどうぞ。ルキノ・ヴィスコンティ監督作品です。
「ベニスに死す」
「若者のすべて」
「家族の肖像」
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第2次世界大戦前のアルジェ。会社員のアーサー・ムルソー(マルチェロ・マス
トロヤンニ)は、老人施設から母親の訃報を受け取る。遺体安置所で母親と対面
もせず、葬儀で涙も流さない彼は、翌日元同僚のマリー(アンナ・カリーナ)と再
会し、海水浴や映画に行き、一夜を共にした。ムルソーは同じアパートに住む友
人のレイモン(ジョルジュ・ジェレ)とアラブ人とのトラブルに巻き込まれ、数日
後海岸でそのアラブ人と再会した時、レイモンから預かっていた拳銃でアラブ人
を射殺してしまう。裁判でムルソーは殺した理由を問われ、「太陽がまぶしかっ
たから」と答える。非人道的で不道徳だと非難された彼は死刑を宣告される。
昔の映画のリバイバル上映である。アルベール・カミュの小説をルキノ・ヴィス
コンティが映画化。ヴィスコンティ、カミュ、マストロヤンニという何とも豪華
な組み合わせだ。「今日、ママンが死んだ」というムルソーの独白から始まるこ
の物語はとても難解だ。と言うよりムルソー自身が難解な人物なのかもしれない。
ムルソーは母親の訃報を聞いて老人施設へ行くが、施設の職員に促されても遺体
との対面もしない。時間を持て余し、タバコを吸ったりコーヒーを飲んだりした。
葬儀では涙も見せなかった。翌日には元同僚のマリーと楽しい時間を過ごした。
同じアパートの友人レイモンは評判の良くない男だが、ムルソーには付き合いを
やめる理由はない。
ムルソーは何と言うのか、退廃的な性格である。物事に意味を見出そうとしない。
母親の死を悲しまなくても、母親を嫌いなわけではない。マリーに「私を愛して
る?私と結婚したい?」と聞かれても、「愛など無意味だ。でも君が結婚したい
のならしてもいい」と答える。彼にはあらゆることが無意味なのだ。印象深いの
はムルソーの汗である。物語は夏のとても暑い日で、ムルソーは老人施設に向か
うバスの中からずっと汗を拭いている。母親の棺の側でもそうだ。ムルソーとレ
イモンが海岸を散歩していると、レイモンと因縁のあるアラブ人に会い、レイモ
ンはアラブ人にナイフで腕を切られてしまう。レイモンを病院に連れていった後
ムルソーは海岸でまたそのアラブ人に会うのだが、アラブ人はナイフをちらつか
せ、ムルソーは彼を拳銃で撃ってしまう。
ムルソーは逮捕され、留置場に入れられるが、たくさんの犯罪者が雑魚寝状態な
ので驚いた。マリーが面会に来るが、他の人たちにも面会者が来ていて、檻越し
に一斉にしゃべっているので何を言っているのかよくわからない。昔の留置場っ
てこんな風だったのか。やがてムルソーの裁判が始まるが、彼は殺人の理由を聞
かれて「太陽がまぶしかったから」と答え、陪審員たちに失笑される。けれども
ムルソーにはそれしか理由が思いつかないのだ。ただでさえ暑いのに、アラブ人
が持っているナイフに太陽の光が反射して、頭がクラクラしていた。夏でなけれ
ばムルソーは殺人を犯さなかったのかもしれない、と思った。
訳のわからないことを言っているムルソーは無神論者で、それが更に判事の心証
を悪くした。もはやムルソーの犯行について審議するのではなく、彼の人間性を
問う裁判になっている。老人施設の職員も出廷し、ムルソーが母親の死を悲しん
でいなかったことを証言する。母親の死など事件には何の関係もないのに、その
ことでムルソーは冷酷な人間だと判断されてしまう。そして非人道的で不道徳だ
ということで死刑判決が下りてしまうのだ。多分ムルソーは冷酷なのではなく、
感情が薄いのだろう。母親が死んだことも、アラブ人が死んだことも、自分が死
刑になることも、大した意味を持たないのだ。
ラスト近くで独房に入れられたムルソーが司祭と話すシーンは印象的だ。全てに
おいて無感情なムルソーが、司祭と神について話した時は口論のようになってし
まう。司祭は「神を信じないなんて気の毒に」と言う。ムルソーは気の毒な人な
のだろうか。私にはよくわからない。カミュの小説は読んだことがないが、こう
いう不条理な物語を書く人なんだなあと思った。読めばきっとおもしろいだろう。
この映画の時マルチェロ・マストロヤンニは42~43歳くらいで、とてもかっこ
よかった。年を取ってからもいいけれど。
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