猫のひたい

杏子の映画日記
☆基本ネタバレはしません☆

爆心 長崎の空

2013-07-31 02:37:09 | 日記
「爆心 長崎の空」を見にいった。
長崎。大学3年の清水(きよみ 北乃きい)は陸上部に所属し、両親と幸せに暮らしていた。
ある朝清水は母とちょっとした言い合いをして出掛けた。夕方母から携帯に電話がかかるが、
デート中だったため出なかった。帰宅すると、母は心臓発作で死んでいた。
「あの時電話に出ていれば、母は死なずにすんだのではないだろうか」と清水は自分を責めた。
幼なじみの勇一(柳楽優弥)は高校を中退してバイク店で働いているが、清水はいつも登校の時
その店の前を通り、勇一に声をかけていた。
悲しみに沈む清水に、勇一はどうして慰めたらいいかわからなかった。自らも心に傷を抱えて
1人で暮らしている勇一は、敬虔なカトリック教徒である。
一方、砂織(稲森いずみ)は夫(杉本哲太)と暮らしているが、1年前に肺炎で5歳の娘を亡くした
ことから、まだ立ち直れていなかった。
砂織の実家は300年続くカトリックの家であり、両親は被爆者でもあった。砂織は妊娠するが、
また子供を亡くすのではないかという不安で、産む決心がつかない。
砂織は、自分が被爆二世であるために子供が弱いのではないかと考えていた。
ある日、偶然清水と砂織は出会う。母を亡くした娘と、娘を亡くした母が、それぞれの想いを
話し始める。

柳楽くん目当てで見にいったのだが、いい映画だった。突然母を亡くした女子大生。幼い娘の
死から立ち直れない女性。辛い過去を抱えた少年。被爆者の両親。それぞれの心情が丁寧に
描かれていた。
また、砂織の家族や勇一がカトリック教徒であることも大事な点だと思った。長崎は日本に
おけるキリスト教(特にカトリック)の中心地であり、被爆地でもある。そのことが登場人物たちと
リンクしていて、歴史を振り返ると悲しみを感じる。長崎の歴史はキリスト教と原爆なしには
語れない。
清水の母親が急死して、葬式の後、母が死ぬ前に作っておいたカレーを、清水と父(佐野史郎)が
食べるシーンがある。「お母さんが最後に作ってくれたカレーだ。食べよう」と父が言い、清水は
涙をポロポロ流しながらスプーンを口に運び、父も必死で涙をこらえながらカレーを食べる。
そのシーンがとても良かった。
キャストも皆良かった。
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街のあかり

2013-07-23 03:00:44 | 日記
2006年のフィンランド映画「街のあかり」。
ヘルシンキの警備会社で夜警をしているコイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は、
無口でおとなしく、同僚からも上司からも気に入られず、孤独に暮らしていた。
コイスティネンの楽しみは、仕事が終わった明け方、ソーセージ屋に行くこと。ソーセージ
を買い、店のアイラ(マリア・ヘイスカネン)となんてことのない話をする。その時だけが
心穏やかになれた。ある時休憩時間にコイスティネンがカフェにいると、美しい女ミルヤ
(マリア・ヤルヴェンヘルミ)が声をかけてきた。「あなたが淋しそうだった」と言うミルヤに、
コイスティネンは一目で恋に落ちた。金のないコイスティネンは、ミルヤと慎ましいデートを
する。だがミルヤは、警備の厳しい宝石店に強盗に入るために、コイスティネンを利用しよう
と、悪党たちが送り込んできた罠だった。悪党たちは普段のコイスティネンの様子を見て、
利用できる、と踏んだのだった。やがて宝石店の警備の暗証番号がミルヤに知られ、強盗に
入られた。コイスティネンは逮捕された。主犯の名前を教えるように言われたが、彼は決して
ミルヤのことを言わなかった。コイスティネンは服役した。出所後に、華やかな服装で
高級車に乗り込むミルヤと男たちを見て、騙されていたことにやっと気づいたのだった。

アキ・カウリスマキ監督による人間性の再生の物語である。カウリスマキの映画には、救いが
ないものもあるが、これはラストに救いがある。
コイスティネンには何故友達の1人もいないのだろう。普通に社会で働いていて、あんなに
孤独な人っているのだろうか。まあ私も人付き合いは好きじゃないので、彼の気持ちが
わからないでもないが、やっぱり性格なんだろうな。
人と交わることが極端に苦手で、困難を伴う人はたまにいるものだ。(←私)
でも私はコイスティネンが1人でカフェにいる姿を見ると、何故だかホッとする。無表情な
(無表情なのはカウリスマキ映画の特徴の1つであるが)彼の周りは賑やかで、そこだけ違う
宇宙のようだ。
コイスティネンは結局罪をかぶって服役してしまう。バカバカしいくらいの人の良さ。彼に
とってミルヤはそれだけ大事な存在だったんだなあ。
最初から最後までずーっと不幸なコイスティネンだが、最後の最後に一筋の再生への光が
見える。そのシーンは感動的だ。
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誰も知らない

2013-07-19 02:22:25 | 日記
日本映画「誰も知らない」。
ある2DKのアパートに、母けい子(YOU)と12歳の長男明(柳楽優弥)が引っ越してきた。
が、実は母子2人だけでなく、次男の茂、次女のゆきはスーツケースの中に隠れて運ばれ、
長女の京子も人目をはばかるようにこっそりとアパートにやってきたのだった。
けい子は明を連れて大家のところにあいさつに行く。夫は長期出張中だと話す。
母子家庭で子供が4人もいると、部屋を借りるのが大変だからだ。
子供たちは皆父親が違い、出生届けも出されていない。学校に行く年齢の明、京子、茂は
当然学校に行っていない。
けい子はデパートで働き、明しか外に出てはいけない、と皆に約束させた。明は買い物に
いくために外に出る必要がある。
けい子と子供たちの仲は良く、ひっそりとだが楽しい生活が始まった。が、けい子は新たに
好きな男ができ、家を留守にすることが多くなる。
そしてある日、「クリスマスには帰るから」と明に言い残し、お金を置いて、帰らなくなって
しまった。
子供たちだけの生活が始まった。明は家事はなんでもできる。ご飯を作り、妹たちに食べ
させた。しかし、お金が底を尽き、電気や水道が止まってしまう。明は近所のコンビニ店員
から賞味期限切れの弁当やおにぎりを貰ったり、京子は公園の水道で洗濯したりという
日々が続く。

東京で実際に起きた事件をモチーフにした映画である。けい子が母親より女を選んだことに
よる悲劇だ。冒頭で明と友人の少女がスーツケースを転がしながら駅に行くシーンがある
のだが、それが後になってとても悲惨なシーンなのだとわかる。
上は12歳、下は3歳くらいの子供4人だけの生活は、やがて限界を迎える。親のいない生活が
どんなに大変か。家の中が荒れていき、兄弟の間にもいさかいが生じる。この辺りの描写は
胸が痛くなる。

とてもいい映画だったのだが、不満がある。モチーフになった事件を知らない人は、素直に
映画を見られるかもしれないが、知っている人はきっと不満を感じたと思う。
きれいに感動的に描き過ぎなのだ。実際の事件は、この映画どころのものじゃない。もっと
悲惨で、凄惨な事件だ。
もちろん監督はドキュメンタリーを作ろうとした訳ではなく、事件を元にしているけれど
あくまでフィクションとして作るつもりだったのだろうが、悲惨さの差が大き過ぎて、いい
映画だけどなんだか…と、何とも言えない気持ちになってしまう。
それにしてもこの母親は、バカなのか。子供の出生届けも出さず、学校へも通わせず、そう
いう生活がずっと続けられると思っていたのか。子供たちはこの世に存在していないことに
なるのだ。母親もだが、子供たちのそれぞれの父親も、皆無責任だ。
でもやっぱり母親に1番怒りを感じる。「あんたバカ?」と言ってやりたい。

この映画は2004年のカンヌ国際映画祭で、明役の柳楽優弥くんが、史上最年少にして日本人
初の、最優秀主演男優賞を受賞し、話題になった。審査員のタランティーノ監督が、「柳楽
くんの目が頭から離れなかった」みたいなことを言ったらしいが、私もこの映画は柳楽くんで
なければ成り立たなかったのではないか、と思う。
スクリーンで見た柳楽くんの”目の力”はそれ程強く印象的だった。
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嘆きのピエタ

2013-07-16 02:16:49 | 日記
韓国映画「嘆きのピエタ」を見にいった。
天涯孤独な30歳の男イ・ガンド(イ・ジョンジン)は、借金の取り立て屋をしている。
雇われている悪徳金融会社は、3カ月で利子が10倍にもふくらむという悪質なやり方を
している。
ガンドは、債務者に重いケガをさせ、身体障害者にさせ、その保険金で返済させる、非情な
男である。何人もの債務者が、障害者になっている。
ある時ガンドが仕事に行く途中に、見知らぬ中年の女(チョ・ミンス)が近づいてきた。
女は「イ・ガンド」と呼んだ。「なぜ俺の名前を知っている?」と聞くガンドに、女は
「ごめんね、あなたを捨てて」と言った。ガンドは「俺に母親はいない」と言って、仕事に
行った。再び女がガンドの住むビルの一室を訪ねてきて、ビニール袋に入れたウナギを渡し
、去った。ウナギには、「チャン・ミソン」という名前と、携帯電話の番号を書いた紙が
付いていた。ある日酔ったガンドはその番号に電話をかけた。「あんたが俺を捨てた母親
か?」と言うと、電話から子守歌が聞こえてきた。ミソンはガンドの部屋の前まで来ていた。
ガンドはミソンを部屋に入れるが、「母親の証拠は」と迫り、乱暴しようとするが、泣き
叫ぶ彼女を、次第に母親として受け入れていく。
ミソンはガンドの部屋に住み着くようになった。食事を作り、一緒に食べる。孤独だった
ガンドにとって、ミソンは大切な母親になっていた。

2012年ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作品。すごい迫力。すごくおもしろかった。
冒頭からショッキングなシーンがあり、その後も残酷というか目を覆いたくなるようなシーン
が続き、私は見ていて動悸がしてきた。映画館の中で気分が悪くならないだろうかと不安に
なったほど。
ガンドとミソン役の俳優の演技がすごい。血も涙もない、平然と人を障害者にするガンドが、
少しずつ優しい顔つきになっていく、その表現力がすごいと思った。
親の顔も知らず、不幸せに育ったであろうガンドは、ああいう生き方しかできなかったの
だろう。
そしてミソン役の女優の圧倒的な存在感。母親の慈愛の深さをよく表現していたと思う。
ラストも衝撃的。
1つ気になったのは、あんな取り立てのやり方が、韓国ではまかり通っているのだろうか?
ということ。映画の中だけの話ならいいけれど。
この映画の監督がキリスト教徒なのかどうかはわからないが、キリスト教的な物語だ。ラスト
近くの、ミソンのせりふにそれは表現されている。

韓国の映画はおもしろいものが多い。特にミステリーやサスペンスだと、日本映画よりも
レベルが高いと思う。この映画はサスペンスではないが。
「オールドボーイ」という映画が私はすごく好きなのだが、その映画もカンヌ国際映画祭で
審査員特別賞を受賞している。「オールドボーイ」は本当におもしろいミステリーだ。
日本のサスペンス映画がちゃちな感じがしてしまうのは何故だろう。いい監督がいないと
いうことなのだろうか。
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白い家の少女

2013-07-12 02:35:08 | 日記
1976年のアメリカ・カナダ・フランス合作映画「白い家の少女」。
アメリカ・ニューイングランドの海の近くの人里離れた丘に、1軒の白い家があった。
その家に住む13歳の少女リン(ジョディ・フォスター)に、フランク(マーティン・シーン)という
青年が近づき、「君1人?」と尋ねるが、リンは「ママは死んだわ。パパは外出中よ」と言って
フランクをかわした。
ある日大家のハレット夫人が訪ねてきた。フランクはハレット夫人の息子だった。
ハレット夫人は、リンが学校に行っていないことを不審に思っていた。「お父さんは?」と聞く
ハレット夫人に、リンはフランクの時と同じく「出掛けているわ」と答えた。
家の中をうろうろするハレット夫人に、リンは「ここは私の家よ」と言って怒った。
リンは銀行に行き、大金をおろした。銀行員は不審な目で見る。
再びフランクがリンに声をかけるが、パトカーに乗った警官が追い払ってくれた。
警官は「あいつは俺の甥だが、変質者なんだ。気をつけなさい」と言って、パトカーで家まで
送ってくれた。「お父さんは?」と聞かれ、リンは「詩人なの。今は出掛けているわ」と言った。
またハレット夫人がやってきた。家の中を捜索するようにうろうろし、地下室の扉を開けた。
夫人は何かに驚いて、悲鳴をあげて戻ってこようとしたが、リンは扉を夫人の頭に打ち付け、
殺した。
ハレット夫人の車を処分しようとするリンは、手品師の少年マリオと知り合う。

サスペンス映画、になるのかな?ジャンルがよくわからない作品だ。殺人は起きるけれども。
寒さが画面から伝わってくる。1人で銀行に向かうリンの髪が、強い風になびくシーンがいい。
リンは父親を愛している。自分と父親の静かな暮らしを守るためなら、何でもする。
思春期の少女のこのファザー・コンプレックスは、後々のことを思うと怖くなる。
とにかくジョディ・フォスターがいい。当時リンと同じ13歳か14歳くらいだったと思うが、
大人びた無表情が美しく、そしてかわいく、私はこの映画を見てジョディ・フォスターのファン
になった。
リンはどうやって大人になっていくのだろうか。
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