猫のひたい

杏子の映画日記
☆基本ネタバレはしません☆

特別な一日

2013-11-28 04:00:16 | 日記
1977年のイタリア映画「特別な一日」。
1938年のローマ。ヒトラーがローマにやってくるという記念すべき日、人々は浮かれ
ていた。式典の日、市民のほとんどが広場へ向かった。
主婦のアントニエッタ(ソフィア・ローレン)は早朝から夫と6人の子供たちを起こし、
準備をさせた。皆が出掛け、アパートにひとり残ったアントニエッタ。夫は決して
優しくはなく、満たされないものを感じていた。
家事を再開したアントニエッタは、ペットの九官鳥に餌をやろうとして、うっかり
窓から逃げられてしまう。九官鳥は向かいの階段に止まった。そのすぐそばの部屋に
男性がいるのを確認し、アントニエッタはその部屋を訪ねた。窓から九官鳥をつかまえ
たいと思ったのだ。
部屋の住人ガブリエレ(マルチェロ・マストロヤンニ)の協力もあって無事九官鳥をつか
まえたアントニエッタに、ガブリエレは陽気に話しかけてきた。2人はダンスを踊った。
家事があるからと、コーヒーの誘いを断ってアントニエッタは慌てて家に帰った。
アントニエッタは興奮していた。高ぶった気持ちのままガブリエレの部屋を覗くと、
ガブリエレは誰かに電話をかけていた。
しばらくして、アントニエッタが掃除をしていると、ガブリエレが訪ねてきた。

名優ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの共演作(この2人は何度も共演
している)で、地味だけどとても良かった。タイトル通り、アントニエッタとガブリエレ
の一日だけの交流を描いている。
冒頭、ヒトラーがローマを訪れ、人々が歓喜に沸く様子が、実際の映像で映し出される
のが印象的だ。イタリアでもこんなに支持されてたんだなあ、と思った。
しかもアントニエッタの家はファシスト党である。というか近所の人たちも皆そうなの
だが。
ガブリエレが反ファシストだと知ってアントニエッタが不信感を持つ場面があるが、今
考えれば怖いことだ。正しいのは反ファシストであると人々が理解するのはずっと後の
ことだ。ヒトラーやムッソリーニが大きな支持を得ていたこの時代、ガブリエレのような
権力に抗う人たちがとても生きにくかったであろうことは、悲しいことだ。
あの歴史を繰り返してはならない、と改めて思った。
夫が浮気をしているのを知っているが、どうにもならないアントニエッタ。秘密を抱えた
ガブリエレ。この2人がその日出会ったことは、きっと意味のあるものだったのだと思う。
この映画はカンヌ国際映画祭やアカデミー外国語映画賞などにノミネートされている。
少し生活に疲れた雰囲気を出しているソフィア・ローレンがきれいだった。

ところで本編が始まる前に、「この映画は時代背景や制作者の意図を尊重し、オリジナル
のまま放送します」というようなテロップが出たのだが、最近昔の映画を放送する際に
こういう”お断り”のテロップが出ることが多い。今なら描写されないような不適切な表現
やセリフが使われているからなのだろうが、私は何が良くないのかわからなかった。
フランス映画「月夜の宝石」や日本映画「泥の河」をテレビで観た時もそのようなテロップ
が最初に出たが、「月夜の宝石」は「もしかして不適切なのってあの場面?」と思った場面
があったが(私の考えが合っているかはわからない)、「泥の河」は何がいけないのかわか
らなかった。不適切な場面ってあったっけ?と思った。
私は映画をオリジナルのまま放送するのは当たり前だと思っている。人が作った作品に
勝手に手を加えていいわけがない。映画だけでなく昔の漫画の再販にも「この漫画には
不適切な表現が見られますが、時代背景を考えて云々」と書いてあったりする。
大体不適切って何なのだ。少し神経質過ぎるのではないかと私は思う。差別用語、放送
禁止用語と言われている言葉にしても、元々は差別目的で作られた言葉ではないはずだ。
単に状態や状況を表す言葉として使われていたはずだ。私はこういう”言葉狩り”が嫌い
なのだ。いつ誰が何故差別だと感じるようになったのかもはっきりしない。言葉だけで
なく、映画や漫画などの描写にしても、である。
今は前述のようなテロップが出るからまだいいようなものの、昔は古い映画がテレビで
放送される時、日本映画のセリフや洋画の吹き替えがいきなりプツッと部分的に消され
ていて、イラッとすることがよくあった。何と言ったのかわからないじゃないか。
あれは見ている方にはとても不快だった。
こうした行為を表現の自由の弾圧だと考えるのは、大げさだろうか。
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僕が星になるまえに

2013-11-26 04:02:50 | 日記
イギリス映画「僕が星になるまえに」を観にいった。
29歳のジェームズ(ベネディクト・カンバーバッチ)は末期がんで、30歳になるまで生きら
れないことを知っている。自分が死んだ後の家族の悲しみを思うと辛いが、哀れみの目で
見られるのはもっと嫌だ。ジェームズは死ぬ前にひとつだけ望みを叶えたいと思っている。
それは「世界で一番行きたい場所」である、バラファンドル湾への旅だ。ジェームズの願い
を叶えるために3人の親友が集まってくれた。失業中で現在はジェームズの世話をしている
デイヴィー(トム・バーク)、テレビ番組の制作をしているが、仕事や恋人としばらく距離を
置きたいと考えているビル(アダム・ロバートソン)、作家だった父の影響を受け、作家へ
の夢を捨て切れないまま会社経営をしているマイルズ(JJ・フィールド)。彼らはジェームズ
の支えになり、旅に同行することを決めた。ジェームズをカートに乗せ、彼らは旅立った。
ジェームズの家族に、必ず連れて帰ると約束して。しかしバラファンドル湾への道のりは
容易ではない。ジェームズの体力も徐々に失われていき、モルヒネを飲む回数も増えていく。

感動的な映画だったのだが、うーん…私には今一つだった。この映画はイギリスだけでなく
他国からの評価も高かったらしい。レビューを読んでも皆高評価だ。
登場するのはほとんどメインの4人だけだが、旅の中でいろんな人々との出会いがあったり、
ケンカをしたり仲直りをしたり、ロードムービーとしてはおもしろかった。
余命いくばくもないジェームズの願いを叶えるための旅が、デイヴィー、マイルズ、ビルに
とっても人生を見つめ直す機会になる。その過程は共感出来る。容態が悪くなっていく
ジェームズを見ていると、胸が痛んだ。悟っているように見えるジェームズも、本音は
「もっと生きたい」のだ。
ただラストが私は気になる。あのラストに泣く人も多いかもしれないが、キリスト教国で
あるイギリス映画で、あのラストはどうかなー、と思った。
出来れば違う形のラストにして欲しかったな。映像はとてもきれいだった。
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黒いスーツを着た男

2013-11-22 04:47:38 | 日記
フランス映画「黒いスーツを着た男」を観にいった。
自動車ディーラーに勤務するアラン(ラファエル・ペルソナ)は、修理工から地道に努力して
出世し、社長に気に入られ、ついには社長令嬢との結婚を10日後に控えていた。
しかし深夜パーティで羽目を外して酒に酔い、パリの街角で運転中、男性をひいてしまう。
あわてて車から降り、呆然となって倒れている男を見るが、同乗していた同僚たちに促される
まま逃走してしまう。
だがその一部始終を、医者志望のジュリエットがアパルトマンのバルコニーから偶然見ていた。
ジュリエットは現場へ行き、すぐに救急車を呼ぶ。
被害者の容態が気になったジュリエットは翌日病院へ行き、昏睡状態の被害者の妻ヴェラと
出会う。ヴェラはジュリエットが通報してくれたことに感謝する。ヴェラと夫はモルドヴァ
共和国からの移民で、不法就労者だった。
一方アランも出社したものの良心の呵責に耐えかね、被害者の容態を確かめるために病院へ
行き、昏睡状態の男を見てショックを受ける。更にアランは、新聞に事故の目撃者がいると
書かれていたことも気掛かりだった。
この時、アランを見かけたジュリエットは、運転していた男の顔は暗くて見えていなかった
ものの、その姿に犯人であると確信し、アランの後を追う。

久し振りのフランス映画、おもしろかった。アランは悪い男ではない。人をはねてしまったが
結婚式を10日後に控えていることもあり、同僚たちに逃げることを促され、そのまま逃走して
しまう。心の中は罪の意識でいっぱいで、仕事も手につかない。その心情をラファエル・ペル
ソナがとても細やかに表現していた。
意識不明の被害者とその妻は不法就労者であり、この映画はフランスの移民の問題をも浮き彫り
にしていると思った。モルドヴァ共和国なんて私は初めて知った。
でもジュリエットのとった行動は理解に苦しむ。「全てを失ってしまう」とアランに懇願された
からとはいえ、結果としてアランをかばってしまったのだ。心細いヴェラはジュリエットを
信頼し、親しくなっていくが、そのヴェラを裏切る行為だ。もちろんジュリエットもそれは
わかっているのだが。
ジュリエットが事故を目撃しさえしなかったら、ジュリエット、アラン、ヴェラの人生が関わり
合うことはなかった。偶然の出来事が人々の人生を狂わせていく。フランス映画はこうでなく
ちゃ。満足。
それとストーリーには関係ないが、ジュリエットっていくつなんだろう、と思った。医者志望
ということで大学の講義にも出ていたが、とても大学生には見えない。全然きれいでもないし
若くも見えない。おまけに妊娠しているのだ。この先どうやっていくつもりなんだろう。

主演のラファエル・ペルソナはアラン・ドロンの再来と騒がれているそうだ。確かに若い頃の
アラン・ドロンに似ている。少し線が細いが。でもやっぱりアラン・ドロンの方が断然美形だ。
美形だが、アラン・ドロンのような"ギラギラした悪さ"を感じない。
私はアラン・ドロンより美しい男性は未来永劫現れないと思っている。
偏見かな?いや偏見ではないと思う。
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ダニー・ザ・ドッグ

2013-11-17 04:01:09 | 日記
アメリカ・フランス合作映画「ダニー・ザ・ドッグ」。
ダニー(ジェット・リー)は幼い頃母親と引き離され、悪徳高利貸しのバートに殺人マシンと
して育てられた。常に首輪をかけられ、バートが首輪を外して命令すると人を襲う。
地下室に住まわされ、人間らしさはほとんどないように見えたが、絵本を読むのを好み、
特にピアノの絵に心を動かされていた。
ある日ダニーは貸倉庫で盲目のピアニスト・サム(モーガン・フリーマン)と出会う。サムは
倉庫の中にあるピアノの調律のためにやってきたのだった。サムの弾くピアノの音色に、
ダニーは心温まるものを感じた。
数日後バートとダニー、バートの手下らが乗った車が銃撃され、バートは倒れ、ダニーは
必死に脱出した。再び倉庫に行ったダニーはサムと再会し、サムは喜ぶが、負傷していた
ダニーは気絶してしまう。
ダニーが気がつくと、そこはサムの家だった。サムは音楽学校に通う養女のヴィクトリアと
暮らしていた。ダニーはおびえ、なかなか心を開かなかったが、サムとヴィクトリアの
優しさに触れるうちに、少しずつ人間らしさを取り戻していく。そして殺人の世界で生きて
きた自分の人生に疑問を持つようになる。

リュック・ベッソン脚本のアクション映画だが、それだけではない感動的な映画だった。
幼い時から「闘犬」として育てられてきたダニー。命令されれば人を殺すことをなんとも思わ
ずに遂行する。恐ろしい、そして悲惨な生活である。
それがピアノを弾くサムとヴィクトリアに出会ったことで、ダニーの心は変化していく。
ダニーのその闘犬のような目は、次第に優しくなっていく。ジェット・リーの表現力はすごい
と思った。
それにしてもサムとヴィクトリアは、よくあんな異様な人間を家に住まわせる気になるなあ、
と思った。ダニーはほとんどしゃべらず、スプーンの使い方も知らない。首輪もつけている。
いくらなんでも普通の人間ではないとわかるだろうに、平気で同居するのはちょっと理解
できない。親切、お人好しを越えている。普通なら有り得ないだろうなあ。
ジェット・リーはこの映画の時40歳かそれをちょっと過ぎたくらいだったと思うのだが、
まるで青年のように見えた。ジェット・リーは強く、そして優しい。
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冒険者たち

2013-11-07 04:00:07 | 日記
1967年のフランス映画「冒険者たち」。
新型エンジンの開発に取り組む中年の自動車技師のローラン(リノ・ヴァンチュラ)と、若い
パイロットのマヌー(アラン・ドロン)は親友同士。2人はローランの工場に鉄くずを売って
もらいにきた彫刻家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)と親しくなる。
ある日マヌーは所属する飛行クラブの会員から仕事を持ちかけられる。映画会社からの依頼
で、凱旋門の下を飛行機でくぐり抜け、それを撮影するというものだった。
マヌーは請け負うが、失敗し、パイロットのライセンスを停止させられてしまう。映画会社の
依頼主に連絡をとると、そんな仕事は頼んでいないと言う。マヌーは飛行クラブの会員に
騙されていたのだった。
一方ローランも開発中のエンジンに異常があるのを発見して気落ちしており、レティシアも
個展を開いたものの評論家からは酷評され、ショックを受けていた。
3人は、コンゴ動乱の際に国外脱出しようと莫大な財産を乗せたセスナが墜落し、今も財宝が
海底に眠っているという話を聞きつけ、コンゴに宝探しの旅に出た。

うーん、あまりおもしろくなかったなあ。この映画世界的に評判がいいらしいのだが、そん
なにいいかな。フランス映画マニアの私の好みに合わなかったのか?
前半は3人の人生というか生活や、次第に仲良くなっていく様子が描かれていて、明るい感じ。
明るい映画が苦手な私は最初の方で「おもしろくないかも」と思ってしまった。
けれども後半は雰囲気が変わって、哀愁漂う描写が多くなってきた。だから後半は結構おも
しろかったのだが、ちょっと映画としてバランスがとれていないように思った。
俳優は良かったと思う。アラン・ドロン(若い!)とリノ・ヴァンチュラのコンビが良かったし
ジョアンナ・シムカスもかわいかった。リノ・ヴァンチュラってもう亡くなっているんだなあ。
この映画でわかったことは、アラン・ドロンは髪やヒゲが無造作に伸びていてもかっこいいと
いうことである。
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