昭和46年11月10日。JR大船駅から徒歩15分、「風呂無し、トイレ共同」の6畳一間が、私たち夫婦の出発点。勤め先は東京。だが、当時の給料ではとても都心に住めなかった。
朝早く家を出て、遅く帰宅する生活に、「何のために上京したのだろう?」と、ぼやく私を、なぐさめ力づけてくれたのは、妻の笑顔と富士山だった。冬晴れのある日、アパートのトイレから窓越しに富士山が見えた時の鮮烈な感激は、いまも脳裡に刻み込まれている。身をよじるようにして顔をかたむけ、四角い小さな窓枠から遠くに見た富士山は、切り取った一幅の絵のようだった。「いつか、富士山を近くに見て暮らしたい」と、そのとき心ひそかに誓った。
一昨年、転勤生活に終止符をうち、生まれ故郷の金沢に戻ったが、加齢とともに冬の寒さが身にこたえるようになって来た。温暖な気候のなかで、残りの人生を心豊かに過ごしたいと願う気持ちが日増しに強くなってくる。「いつか、きっと」の夢が叶いますように。
朝早く家を出て、遅く帰宅する生活に、「何のために上京したのだろう?」と、ぼやく私を、なぐさめ力づけてくれたのは、妻の笑顔と富士山だった。冬晴れのある日、アパートのトイレから窓越しに富士山が見えた時の鮮烈な感激は、いまも脳裡に刻み込まれている。身をよじるようにして顔をかたむけ、四角い小さな窓枠から遠くに見た富士山は、切り取った一幅の絵のようだった。「いつか、富士山を近くに見て暮らしたい」と、そのとき心ひそかに誓った。
一昨年、転勤生活に終止符をうち、生まれ故郷の金沢に戻ったが、加齢とともに冬の寒さが身にこたえるようになって来た。温暖な気候のなかで、残りの人生を心豊かに過ごしたいと願う気持ちが日増しに強くなってくる。「いつか、きっと」の夢が叶いますように。