プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●釜山港へ帰って

2005-04-04 14:02:32 | 日記・エッセイ・コラム
 今年は日韓国交正常化40周年にあたるので、記念に「第14回慶州さくらマラソン」大会に参加しようと計画を立てたのは昨年暮れだった。ところが、最近になって竹島問題が浮上し、韓国国内で反日感情が高まっているとのニュースが流れた。 ソウルのごく一部の活動家による喧伝活動だろうとも思ったが、社会科の教科書検定も遡上に上り、韓国内でのデモ報道が大きく扱われるにつれ、不安感がつのり、マラソンツアー自体が見送りにならないかとも心配した。

 しかしながら、滞在中、現地の人の対応で不愉快になるようなことは全く無く、すべて杞憂におわった。それでも、現地ガイドの「高齢者の中には依然として日本統治時代の辛い思い出を抱えている人もいて、日本語の勉強をしているだけで白い目で見られることもある」との話は耳に痛かった。

 自由時間を利用して、釜山市内にある竜頭山公園にでかけた。数年前にも見た景色なのに、私の目には違って映った。沖合い50キロにある対馬を睥睨している李舜臣の銅像を見上げ、おぼろげな記憶を辿ってみた。今から約400年前に加藤清正や小西行長がよろいや兜を身にまといこの地を襲撃した時、何を見、何を感じたのだろうか。豊臣秀吉の朝鮮征伐に始まり、日韓併合時の玄関口にもなった釜山は、日本と最も近く密接な関係を持っている。
21世紀の日韓関係に果たす釜山の役割はどう変化するのだろうか等々、結論が出ないまま、しばし妻と日本史のおさらいをした。

 私の年代ですら侵略戦争の記憶はないが、痛みは与えた者ではなく、受けた者が感じるという基本認識にたって、史実の重みを受け止めないといけない。長い年月の経過によっても風化するものとマグマのように噴火の機会をうかがっているものとがあることを認識したうえで、外交戦略を展開すべきだろう。とりわけ、内政問題の批判の矛先を変える方便に相手国の総理の参拝を攻撃(口撃?)する戦術には、個人の主義主張を曲げてでもこらえるのが大人の知恵なのでは。

 と、最後は時の為政者の批判になってしまうという、いつもの悪い癖が頭をもたげてしまった。時悠人としてもっとも自戒すべきことなのに、、、、、。


◇第14回慶州さくらマラソン大会

2005-04-04 11:14:24 | スポーツ
  2005年4月2日、第14回慶州さくらマラソン大会が開催された。午前7時現在の気象条件は、曇りで気温13度、湿度53%、微風と絶好。コースも全体的にフラットで道路も広く走りやすい。韓国屈指のリゾート地でもあり、観光を兼ねて年々参加者が増えており、ウォーキングの部を含めると約15,000人にもなる。日本からは、ランナーとして344人、ウォーキング(5&10K)に581人と合計925人が参加したそうだが、ウォーカーが多いのには驚いた。

 今年は日韓国交正常化40周年記念ということもあり、読売新聞が海外マラソンに初協賛。大会前夜には、日本人ランナー向けの歓迎会が開かれ、韓国伝統の舞踊等で大会ムードは盛り上がったのだが、楽しみにしていた桜だけが間に合わなかったのが残念だった。数年前、世界遺産に指定されている仏国寺や石窟庵を訪ねた際、桜の季節に開催されるマラソン大会は、コース全体に桜並木がひろがり最高だと聞き、満を持して参加しただけになおさらだった。

 大規模な大会の割には、運営が行き届いており沿道の声援は少ないが、気分良く走ることが出来る大会だ。個人的には、花粉症が悪化し微熱がひかないまま現地入りしたのだが、杉の花粉が飛ばない韓国に着いた途端、症状が改善。練習不足から棄権を覚悟で臨んだハーフマラソンだったが、普門湖を見ながらマイペースで何とか足を引きずりながらも完走した。ワースト記録を塗り替えてしまったが、次回は満開の桜を観ながら楽しく走りたいものだ。
(タイムは2時間14分37秒。妻は10キロに出場、タイムは60分ジャスト)